2017年10月22日

「横浜関帝廟」の近くの中国料理店で大学のクラス会


2017年10月21日(土)  「横浜関帝廟」の近くの中国料理店で大学のクラス会

「横浜関帝廟」(横浜市中区山下町)近くの「一楽」で、K大教養部J3 のクラス会があり、雨で市川ライオンズの野球練習が中止になったので、出席出来ました。

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今回その気になって、関帝廟に祀られている神さんを調べてみると、以下の5体です。

1.主神「関聖帝君」は後漢・三国時代にかけて活躍した関羽であり、ご利益は交通安全、商売繁盛、入試合格、 学問です。

2.「玉皇上帝」は万物の根源、宇宙の創造主、絶対的な支配者とされ、一般的には道教の「天帝」と同じものと考えられており、ご利益は国泰平安です。

3.「地母娘娘」は中国古代天地創造神話に由来する神で、横浜関帝廟では旧暦10月18日が聖誕日とされており、ご利益は除災、健康です。 

4.「観音菩薩」は浅草寺から“分香”されたそうですが、ご利益は解難、健康、縁談、安産です。

5.「福徳正神」は俗称を「土地公」といい、中国古代農耕社会から生まれた自然神で、旧暦2月2日が聖誕日とされており、ご利益は金運、財産安全です。

クラス会には今年は15人(関西からも1人)が参加しましたが、一浪組は確実ですが、現役組にとっても、古希祝いの場になりました。

近況報告は、配偶者も含めて、どうしても病気自慢が多くなる傾向にあります。

クラス54人中4人が物故していますが、生存率93%は大したものです。

私なんかも、憎まれっ子ではありませんが、世に憚っている1人です。



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2017年10月18日

「題目立」は静寂の中に演者の独特の抑揚の詞章が響きわたります

2017年10月12日(木)  「題目立」は静寂の中に演者の独特の抑揚の詞章が響きわたります

「八柱(やはしら)神社」(奈良市上深川(かみふかわ)町)の毎年10月12日の秋祭の宵宮祭に、「題目立(だいもくたて)」が行われます。

宝ヶ池球技場での「上七軒テニスクラブ」のテニスを楽しんだ後、第二京阪道と新名神高速、京奈和道、名阪国道を経由して、17:00前に神社に着きました。

本殿の下にある、参籠所と社務所に囲まれた庭に、正面2間、奥行き2間半ほどの地面に蓆を敷き、奥に「屋形」を置き、2重の竹柵で三方を囲い、真ん中に1間四方ほどのの板敷(「シコフミ台」)を置いた舞台が作られていますが、雨を心配してブルーシートが被されています。

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18:00を過ぎると、神社の隣にある「古義真言宗 元薬寺(がんやくじ)」にある「楽屋」で、装束を整えます。

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氏神への奉納芸能ですが、上深川には数え17才で「宮座(みやざ)」に加入する慣わしがあり、座入りによって初めて一人前の地域の成員として認められるという、「成人儀礼」の性格もある行事です。

数え17才の者だけでは人数が足りないようなので、かなりの年配者も2人混じっているのは、今時の世相を如実に反映しています。

境内では集落のご婦人方によって「ぜんざい」が振舞われていたので、題目立が始まる前に1杯と、終わってから1杯戴きましたが、例年に比べると低い気温のもとで、大変美味しく戴きました。

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19:00になると、長老に先導された演者たちが、楽屋から、舞台のある神社の境内へ上がってきました。

長老が「ミチビキ歌」(「安芸の国 厳島の 弁財天は たからえんざや ほうがまの そうようの」)を謡い、他の者は唱和します。

源平の武将を題材とした演目である「厳島(いつくしま)」や「大仏供養(だいぶつきよう)」、「石橋山(いしばしやま)」の3曲の「詞章(ししょう)」が、ここには伝承されていますが、今晩上演されたのは「厳島」です。

「厳島」は、「弁財天」、「清盛」、「小松重盛」、「神主」、「ほんさんみ重衡」、「つねもり(経盛)」、「左大臣(宗盛)」、「くらんど(教経)」の8人の演者で、演じられました。

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崇敬する厳島神社を訪れた清盛が、弁財天から「節刀(せっとう)」という天下を治める長刀を授けられる、という筋です。

弁財天は、本殿のすぐ下に設けられた「屋形」の中に座り、屋形の左右に2人づつ、正面に3人が立ち並びます。

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参籠所に居る3人の長老の「番帳さし」(呼び出し)から、「1番清盛、2番小松」と、台詞の順番と役名が呼び出されると、名乗りを上げ、会話体に綴られた長い物語の詞章を、独特の抑揚をつけて謡うように語り出します。

台本は「番帳」や「「語り本」と呼ばれ、役毎の分冊形式になっているようです。

始まって1時間くらいは、演者達が代わる代わる謡い続けるのを、本殿への階段の踊り場から鑑賞しましたが、隣に居られた新聞記者の方と色々と話をしました。

寒さも手伝ってか凛とした空気が漂う中で、静かに謡われる詞章は、荘厳な雰囲気を醸し出します。

清盛以外の演者は、「ソー」と呼ばれる、黒地に白筋が2本入った「素袍(すおう)」上下を身に付け、立烏帽子を被り、扇を襟首に挿して、神主と弁財天以外は弓を持っています。

清盛は、青地に白の斑点の素袍上下を着て扇を持ち、弁財天は化粧を施して宝冠を被って長刀を持ち、神主は、白幣を持っています。

20:00を過ぎると動きが見られ、神主が白幣を持って踊り、板敷の上に白幣を置いたり、清盛が弁財天から節刀を授かったりします。

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26番が終わり「入句どん」という呼び出しがあると、「経盛」が板敷に進み出ます。

他の者が「呼び出し歌」として「ヨロコビ歌」(「モンドニヤリキニ ヤリコドンド」)を歌うと、経盛は扇を掲げて胸を反らし、板敷(シコフミ台)の3方を踏み固める「フショ舞」(「シコフミ」とも)を舞います。

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最後に全員で祝言の意味合いを持つ「入句」を唱和して、20;30頃に奉納が終わり、長老の先導により「ミチビキ歌」を歌いつつ、元楽寺の楽屋に戻っていきました。

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「語り物が舞台化された初期の形」と見做され、類例の少ない「語り物」の系譜の芸能であり、中世の芸能の姿をうかがわせるという特色があるようです。

芸態・詞章ともに、能や「幸若舞」等と近似しているようです。

題目立の起源は明らかではありませんが、「多聞院日記」(天文3(1534)年)には、「題目立トテ田舎ノ宮ウツシノ時…‥ソモソモコレワミナモトノケムクラウヨシツ子トハワカコト也ト」と引用されています。

また最古の台本としては、奈良市丹生神社に、天文・文禄・慶長(1532〜1615年)各期の奥書がある「厳島」の残欠本があるそうです。



2017年10月17日

「小山城」は「思川」に浸食された崖の上に

2017年10月8日(日)  「小山城」は「思川」に浸食された崖の上に

「栃木蔵の街還暦野球大会」の後、栃木市の南にある「小山(おやま)市」を歴史散歩して帰りました。

「祇園城」とも言われる「小山城」(栃木県小山市)は、鎌倉時代に下野国守護を務めた関東有数の豪族領主である小山氏の居城です。

祇園城という名の由来は、築城時に小山氏の守護神として祀った「祇園社」(現「須賀神社」)にあると伝えられています。

城の西側には、渡良瀬遊水地に流れ込む「思川(おもいがわ)」が流れていて、川に浸食されて出来た崖は、天然の要害をなしています。

初代以来鎌倉幕府で勢威をふるってきましたが、第11代に至って関東管領足利氏に反抗したので、滅亡しました。

その後室町幕府の配慮により、同族の結城氏から養子を迎えて、第2次小山氏を再興しました。

第9代が北条氏等に攻められて、天正18(1590)年に第2次小山氏も滅亡しました。

帰途「道の駅 思川」で夕食を摂り、「松茸かゆ」を頼んで、今年初めての松茸を貪るように食べました。

小山は「小山評定」の行われた所でもあるので、食堂の壁にはデカデカと宣伝されていました。



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2017年10月16日

「梁川城」址は原っぱの只中にひっそりと

2017年10月6日(金)  「梁川城」址は原っぱの只中にひっそりと

伊達市というのは、その名称や所在地等に関する知識にも乏しかったのですが、白石市から国道4号線を1時間ほど南下して、県境を越えて至りました。

「梁川(やながわ)城」(福島県伊達市梁川町)は、13世紀中期(鎌倉時代)に、伊達氏によって創建されたとみられる平山城です。

大永3(1523)年に、14代が陸奥国守護に任じられたので、天文元(1532)年に桑折西山に本拠を移すまでは、奥州の政治的中心地であったようです。

簡単な看板が立っているだけなので、NAVIだけで探し出すのは難しく、同じ所を2度も旋回した挙句に、やっと辿り着けました。

特に中世の庭園(「心字の池」)は昭和53(1978)年頃に復元されましたが、庭園が本丸址部分に残っているのは、全国的には珍しいらしいです。

白石市に居た時に明日の「栃木蔵の街還暦野球大会」中止の連絡が入ったのですが、予約したホテルに連泊出来ないことを確認したので、一旦千葉に戻って出直すことにしました。



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2017年10月15日

白石城天守閣は木造で復元されて20年の「小十郎」の居城

2017年10月6日(金)  白石城天守閣は木造で復元されて20年の「小十郎」の居城

東北道を何度も走りながら、白石(しろいし)市を訪ねたことがなかったので、寄ってみました。

「白石城」(宮城県白石市)は、蒲生氏や甘糟氏、伊達氏等が入れ替わり、江戸時代には伊達の重臣「片倉(小十郎)氏」1万8千石の居城になりました。

「三層櫓」(天守閣)は、全国的にも数少ない、木造によって復元されています。

NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」から小十郎の部分を抜粋したヴィデオが流されていましたが、残念乍ら記憶にありません。

「白石城歴史探訪ミュージアム」では、小十郎に関する物語の立体ハイビジョンを観ました。

また此処は「奥羽越31列藩同盟」が締結された城ですが、ヴォランティア案内の方に薩長の話題を出すと、やんわりと不快感を示されました。

明治3(1870)年以降に北海道へ移住した武士達は、幌別郡(現登別市)や札幌郡白石村(現札幌市白石区)等に入植しました。

ミュージアムの食堂で昼食にし、郷土料理の「鶏うーめん(温麺)」を戴きましたが、温麺は油が使われてないので消化が良いそうです。

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展示室には「仙台藩主のおもてなし覚書」(近世後期)という、参勤交代の途中で宿泊した仙台藩主を接待した時の備忘録の展示がありましたが、その中に「うむめん」との記載があります。

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2017年10月14日

秋保神社と「秋保の田植踊」とは直接の関係は無し

2017年10月6日(金)  秋保神社と「秋保の田植踊」とは直接の関係は無し

国指定の重文である「秋保(あきう)の田植踊」の行われる秋保地区のホテルに宿泊し、前夜の車宿の疲れを癒しました。

「緑水亭オリジナルビール かがり火」と、「発泡清酒 すず音」(活黹m蔵、宮城県大崎市、5%)で、エナージーを補給しました。

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朝食のヴァイキングでは、ここでも中国人が存在感を示していますが、マナーはだんだんと良くなってきています。

「秋保神社」(仙台市太白区秋保町長袋)の社務所で訪ねると、「秋保の田植踊」は秋保神社には関係なく、湯元や長袋、馬場といった各集落で行われるとのこと。

4月第3日曜日に長袋地区、4月29日に馬場地区、5月5日に湯元地区と分かれているので、どこを狙うのか、これからも課題です。



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2017年10月13日

「雄勝法印神楽」の雄勝町は復興の最中

2017年10月5日(木)  「雄勝法印神楽」の雄勝町は復興の最中

「雄勝法印(おがつほういん)神楽」の行われる宮城県石巻市雄勝町は、どのような状況にあるのか。

雄勝湾を囲む地域や、雄勝半島の北東部に点在する集落の神社で行われる神楽は、YouTubeで見る限り、各地域の熱意や意気込みによって、復興されつつあります。

雄勝にあった雄勝町支庁のあったところまで行って、コーヒーを飲みましたが、ここにあった支庁は3階まで津波が来て、今はプレハブの建物が建てられていました。

海岸沿いの県道238号線も工事中で、この先進んでも迷惑になるかもしれんと思い、ここまでで諦めました。

「法印神楽な奴」(雄勝法印神楽保存会公認サイト)というホームページには、「雄勝法印神楽の奉納される神社と日程」が記載されています。

残念ながら、今日は、奉納される神社はありません。

事前に確認したうえで、2カ所位は観られる日程が組めれば好いなと思っています。

秋保(あきう)温泉までは「女川(おながわ)街道」(国道398号線)を経由しましたが、各所で道路工事が行われており、復興の大変さを感じました。



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2017年10月11日

「樅ノ木は残った」の原田甲斐の首塚がある「東陽寺」へ

2017年10月5日(木)  「樅ノ木は残った」の原田甲斐の首塚がある「東陽寺」へ

「東陽寺」(登米市東和町米谷)は、寛文11(1671)年に起こった「伊達騒動」で有名な、「原田甲斐」ゆかりの寺です。

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NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」で放映されたのを、学生の頃に鑑賞したことがあります。

この樅ノ木は、「船岡城址公園」(宮城県柴田郡柴田町船岡)にあるそうです。

「東陽寺」が船岡から現在地に移された際に、甲斐の首は甲斐寄進の梵鐘に隠して運ばれ、本堂の裏に密葬されて、目印として銀杏が植えられたと言われています。

逆臣ということで世を憚って墓石はなく、甲斐の墓と伝えられる自然石があるのみでしたが、後に銀杏の大木の前に、原田甲斐の「首塚」が建てられています。

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2017年10月10日

伊達氏ゆかりの佐沼城址と寺池城址

2017年10月5日(木)  伊達氏ゆかりの佐沼城址と寺池城址

登米市迫(はさま)町には「佐沼(さぬま)城祉」(「鹿が城」とも)に「登米市歴史博物館」があり、「旧亘理(わたり)邸」が近くにあります。

佐沼城は、伊達氏の家臣「佐沼亘理氏」の居城でした。

一方「寺池(てらいけ)城址」(「臥牛城」とも)は、登米(とめ)市登米(とよま)町にあり、「登米伊達氏」2万1千石の城下町の城址です。

城址に近い「観光物産センター 遠山之里」で昼食にして、「B1グランプリでお馴染みのメニュ あぶらふ丼」と「登米の郷土料理 はっと汁」(一般的には「すいとん」と言われる)の「くららーセット」を戴きました。

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すいとんの舌触りがぬるっとしていて、すいとんとしては最高級の味でした。

因みに登米市役所本庁は、迫町佐沼に置かれています。



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2017年10月09日

「大慈寺」(宮城県登米市)では「米川の水かぶり」という火伏せ行事が 

2017年10月5日(木)  「大慈寺」(宮城県登米市)では「米川の水かぶり」という火伏せ行事が 

「羽田のお山がけ」の後は、登米(とめ)市や石巻市雄勝(おがつ)町、女川町、秋保(あきう)温泉、白石市、伊達市を、主に歴史散歩してから、「栃木蔵の街還暦野球大会」の行われる栃木市で宿泊する日程を組みました。

宮城県登米市東和町米川には、「米川の水かぶり」という国指定重文の行事が行われる「曹洞宗 法輪山 大慈寺」があるので、訪ねてみました。

「米川の水かぶり」は火伏せ行事ですが、厄払いや成人儀礼、通過儀礼の意味もあるそうです。

2月の初午の日に、大慈寺境内の「秋葉権現社」にお参りした後、通りの家に水をかけながら町中を南から北に走り抜けるようです。

今年は2月12日(日)に行われましたが、その日私は西の方で、「鳥羽火祭り」(愛知県西尾市)を鑑賞していました。

「米川の水かぶり」も、死ぬまでに一度は観たいものです。



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2017年10月08日

雨天順延の「栃木蔵の街還暦野球大会」は短縮日程で

2017年10月7日(日)  雨天順延の「栃木蔵の街還暦野球大会」は短縮日程で

「栃木市長杯 第19回蔵の街還暦・古希野球大会」は、土曜日から雨天順延で今日、「栃木市総合運動公園野球場」で行われました。

日程短縮のため試合時間や時刻等が変更になったのは仕方ないのですが、試合開始時刻を11:40から10:30に早めた挙句に、相談もなく10:20に更に早められたので、我々の試合前練習はトスバッティングに入ったところで終えざるを得ず、中途半端なものになりました。

遠来のチームには大変なプレッシャーになるので、配慮を望みたいところです。

「古河わたらせクラブ」(茨城県)と戦いました。

1番レフトで先発しました。

第1打席は、63歳の速球派投手の生きのいい球に対して、奇襲に出て初球バントを試みましたが、投手への小フライとなり、好フィールディングに阻まれました。

第2打席は、バントを阻止したいのか、速球でポンポンと気持ちよくストライクを取りに来たので、敢え無く見逃し三振。

第3打席は、速球に合わせたものの、真っ芯には当たらず、セカンドフライを打たされました。

3遊間を強烈に破るヒットが何本もあったので、捕球して内野に返球することが多かったです。

試合時間が1時間半に制限されたので、5回3-10で負けました。



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2017年10月07日

「羽田のお山がけ」の羽田山6合目までの急登はかなり厄介

2017年10月5日(木)   「羽田のお山がけ」の羽田山6合目までの急登はかなり厄介

「羽田のお山がけ」は、「羽田(はた)神社」(宮城県気仙沼市赤岩上羽田)の裏手にある「羽田山」(標高460m)へ、7歳(満6歳)男児が登拝して無事の成長を祈願する行事で、毎年旧暦8月15日に行われます。

7歳男児とその付き添いの大人男性が、山頂に祀られている「月山神社」にお参りして下りてきます。

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甘えが生じないように「親子お山をかけるな」とされており、男児に付き添って登る男性(女人禁制)は、山道が急登で祖父では危険なので、伯父や叔父が務めることが多いようです。

参加者は羽田地区だけではなく、気仙沼市や唐桑町、本吉町等の近隣地区の広範囲に及んでいますが、御多分に漏れず、年々参加者の数は減ってきているそうです。

明治時代までは、羽田山の奥にある「徳仙丈山」から「愛宕山」までの7つの山々を縦走していたと言われ、開始時刻も0.00で、「一番山」と称して登り始め、ご来光を拝んでいました。

しかし「一番山」の希望者が先を争って殺到し、どんどん早くから集まるようになったため、昭和42年頃からは、前日にも「一番山」を行うこととし、2日間に亘って行うようになりました。

6:30頃に今日最初の男児が母親に連れられて着き、「先達料」を払って、「ハチマキ」、「浄衣」、「オイズル」(イロとかシロとも呼ぶ)、「杖」を身につけてもらいます。

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今年は、4日は9:00、11:00、13:00、15:00の4回、5日は7:00、9:00の2回の登拝とされていますが、昭和50年頃までは時間が決まっておらず、 ある程度の人数に達すると出発していました。

7:00になると「羽田神社奉賛会」の方から登拝要領についての説明があり、気仙沼に住む米人(Retire後、気仙沼に居住して日本文化を探求中)と、千葉県から来た変な爺についても紹介がありました。

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7:10頃には、宮司を先頭にして、男児3人(昨日の1番山には約40人集まったそうです)、付き添い3人、先達2人、それに米人1人と千葉県から来た爺1人が、登拝に出発です。

2合目「祓川(はらいがわ)」にある「禊所」で、手を洗い口を漱いでから羽田山に登り始めます。

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6合目までは尾根筋の急登で、前日の野球練習の後500qを夜走りして、3時間しか眠っていない身には堪えましたが、はーはー言い乍ら登り切りました。

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3合目「山の神」、4合目「早馬(はやま)神社」(田の神)、5合目「姥石」(女人結界で、ここから上には女性の登拝は禁じられていた)、7合目「愛宕神社」、8合目「サイノカミ」が祀られており、登拝者は参拝しながら登っていきます。

7:50頃、羽田山頂の「月山神社」に着くと、男児達は神社の周囲を右回りに3回駆け回った(オハチメグリ)後、宮司のお祓いを受けます。

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下りは8合目「杖納所」で杖を納め、6合目「別れ」から登りとは別の下り道を下りて、8:15頃に羽田神社の本殿に出て、登拝は終わりました。

お山がけをしないと一人前の男とは見なされず、沖乗りもさせられないという所もあるように、男児の成長過程における重要な通過儀礼とされており、宮城県内に見られる七つ児参りの典型例としても貴重な行事です。

また羽田地区では、「羽田のお山をかけた者は最上(もがみ)をかけるな」ともいわれており、羽田のお山がけをした者は出羽三山(月山神社)への登拝が禁じられ、最近までこの禁忌が守られていたそうです。



夜走りして羽田神社(気仙沼市)で車宿

2017年10月4日(水)  夜走りして羽田神社(気仙沼市)で車宿

市川市塩浜での市川ライオンズBの水曜日練習(土曜日との週2回実施)を終えて、16:00頃に「羽田(はた)神社」(宮城県気仙沼市)に向かいました。

首都高、常磐道、仙台東部道路、三陸道を経て、2:00過ぎに羽田神社に着きました。

「羽山のお山がけ」の「一番山」の出発が5:00と聞いており、ホテルに泊まってもいられないので車宿しました。

SUV車の後部座席を前に倒して睡眠スペースを作り、寝袋に潜り込んで3時間ほど眠りました。

車内からドアロックしたので、車内でごそごそしていると防犯ブザーが作動したり、車会社から電話がかかってきたりしたので、急激に冷え込んだ天候とともに大変でした。

翌朝は寝坊して5:23に目が覚めたところ、周りに人の気配がないので急いで社殿に直行したら、ここ5年くらいは「一番山」は7:00になっているとのことで、気が抜けるやら、何故かホッとするやら。



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2017年09月25日

なんと「大江の御船神事」で行列に付いて回った方が野球部コーチの親戚とは

2017年9月25日(月)  なんと「大江の御船神事」で行列に付いて回った方が野球部コーチの親戚とは

9月17日に投稿した「大江八幡宮の御船神事は荒波を乗り越えて」で書いた、「道中は、御渡りの道の先導をされていた方にくっ付いて歩き、昔の色んな話等を聞かせていただいた」方が、市川ライオンズBコーチSさんの親戚である事が判明しました。

電話での連絡だったので詳しい経緯は訊いていませんが、初めてのことです。

今までには、御田の神事の主役2人の内のお1人から「御田の後にアップされたブログ等を探して読むのも楽しみですので励みになります」とのコメントを戴いたことがあります。

また子供歌舞伎を演じた娘さんの御父上から「今、この記事を発見しびっくりしました。遠いところから足を運んでいただき大変うれしく思います。見苦しい演技で大変恥ずかしいですが自分がお弓を演じました。ちなみに前日の夜は寺子屋をやり下の子二人と共演しこの日の夜は五人男で、このはと倅で共演しました。」というコメントも戴いたことがあります。

このような事実関係が判明したり、コメントを戴くと、こちらこそ励みになり、ますます遣り甲斐を感じます。



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2017年09月20日

「飯津佐和乃神社の御船神事」には勇壮な「御船返し」が

2017年9月17日(日)   「飯津佐和乃神社の御船神事」には勇壮な「御船返し」が

「飯津佐和乃(はずさわの)神社」(静岡県牧之原市波津、旧「郷社」)は、延長5〔927)年に編纂された「延喜式神名帳」に記載された「式内社」とされています。

「御船神事」は、明治時代に「大江八幡宮」から導入されたもので、静岡県の重文に指定されています。

牧之原市役所相良庁舎に車を止めさせてもらって、街中を歩いて行くと、御輿行列に行き当たりました。

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旧相良町の街中を行く御船(「須佐男丸」)は、大江に比べると勇壮で動きが激しいです。

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山車が4台ほど出ていて祭りの規模が大きく、行列が街中の広い道路を通っており、船若衆も大勢いて交替が可能なので、暴れ捲ることが可能なのです。

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また飯津佐和乃神社では御船神事の保存会が組織され、氏子以外の人の参加も得ているのです。

本家の様に伝統に拘るか、祭りイヴェントとして割り切って楽しむか、時代背景や社会情勢に応じて、変貌を遂げてきたものと思われます。

御船神事は、2社以外にも、「神明神社」(牧之原市細江)や「鹿島神社」(牧之原市勝俣)にも伝えられており、市役所の方の話によれば、夫々の継承の仕方が違うので、各々の特徴があるそうです。

市役所の近くに「大栄館」という寿司屋があったので、刺身定食を戴いて帰途に就きました。



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2017年09月19日

「大江八幡宮の御船神事」は荒波を乗り越えて

2017年9月17日(日)   「大江八幡宮の御船神事」は荒波を乗り越えて

坂戸大会が終わった後、圏央道と東名高速を経由して、「大江八幡宮(おおえはちまんぐう)」(静岡県牧之原市大江)の「御船神事(おふねしんじ)」を鑑賞するために、静岡県御前崎市まで走りました。

大型台風の接近で、海岸縁の旅館の海に面した窓には風が吹き荒び、海面には白波が立っているので、開催が心配でしたが、少し内陸にある神社の付近は風もなく、雨も降っていません。

同神事は、海上安全を祈願して、毎年9月第3日曜日に行われます。

田沼意次が「相良(さがら)藩」(現在の牧之原市)の藩主になり、相良城を築城した江戸時代中期に、城下町の廻船問屋が航海安全と商売繁盛を祈願して、意次が国入りした時に船の精巧な模型を寄進し、練って入城したのが始まりとされています。

8:00少し前に神社に着くと、未だ帆柱が立っていない「菱垣廻船(ひがきかいせん)」と「樽廻船(たるかいせん)」が、拝殿に向かって右脇に並んで置かれています。

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両船ともに全長が2mくらいで、重量は約50-60s程あるそうです。

神社には文政6〔1823)年の「御船新造作帳」や翌年の「八幡御船造替掛金帳」が残されていて、模型の廻船製作の経緯を知ることが出来ます。

文政7年に大江八幡宮に奉納された、千五百石の樽廻船と千石の菱垣廻船を10分の1に縮小した1代目の御船は、3代目の模型船に役目を譲って、現在は資料館に展示されているそうです。

伝統を継承していくために、20年ほど前から中学生による、小振りの御船も加わり、「お練り」にも参加しています。

8:00頃から祭礼が拝殿で始まりましたが、揃いの浴衣を着た「船若(ふなわか)」と呼ばれる氏子の若者達が船の前に座り始め、「柱起こしと帆上げ」が8:30頃から始まりました。

船若の先輩2人と女性2人が交替で船若衆に向かって、源平の壇ノ浦の戦いに因んだ木遣り歌を歌うと、船若衆が合いの手や短い木遣り歌を入れて応じます。

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木遣り歌に合わせて帆柱が起こされていきますが、帆の張り方が間違っていたら漁業関係者が気にするので、その日の風向きに合わせて調整された帆が、最後に上げられます。

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「お渡り」当日の朝には先ず風向きを調べ、帆の向きが定まったら縄で縛って固定しますが、縛り方は実際に使われているやり方なので、非常に頑丈です。

昔はお渡りの前日に御船を海に持って行き、海水に漬けて浸けて清めていましたが、現在使用している船は接着剤が使われているので、海水には浸けられないそうです。

9:30には御船は神輿行列を「先共(さきども)」して、海岸近くに設けられた「御旅所」(大江地区コミュニティ防災センター)を目指して、「お渡り」に出発しました。

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一艘の船の前後を4人の船若が担ぎますが、体力を必要とするので若い世代が中心になっているものの、御多分に漏れず少子化によって交代要員が限られているので、道中では台車に載せて運ぶ区間もありました。

お渡りでは、船若は「御船唄」といわれる4曲の「練り歌」を歌いながら、氏子地域の大江集落を隈なく回ります。

要所要所では立ち止り、練り歌の終わりには「御船を返す」といって、船首と船尾を交互に船底が見えるまで垂直に高く上げ、大海の荒波を乗り切って勇ましく進む姿を表現します。

曲と曲の切れ目には、担いだままで走ったりしますから、いくら若いとはいえ重労働には間違いありません。

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道中は、御渡りの道の先導をされていた方にくっ付いて歩き、昔の色んな話等を聞かせていただきました。

11:30過ぎに御旅所に到着すると、御船の帆が下ろされました。

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その後ここでは神事が行われた後休憩となりますが、台風の動向が気になっていたのと、市役所の方から「飯津佐和乃(はづさわの)神社の御船神事」のことを教えていただいたので、旧相良町の市街地に、別の御船神事を観に行くことにしました。

15:00から「お渡り」が再開され、朝に大江八幡宮で行われた出発の神事と同様の神事が、御旅所でも行われた後、大江八幡宮に戻る予定だそうです。

昔は御旅所に1泊して2日間かけてお渡りをしていましたが、今は祭りの関係者に負担をかけないため、1日に短縮されたようです。

御船一行が大江八幡宮に戻ってくるのは18:00頃ですが、境内には直ぐには入らずに神社の前で40分間程激しく練り、最後の力を振り絞って、渾身の練りを披露するのだそうです。

御船神事は大江八幡宮以外にも、牧之原市内の「飯津佐和乃(はずさわの)神社」や「神明神社」、「鹿島神社」の3社にも伝えられていますが、国の重文に指定されているのはここだけです。



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2017年09月17日

「全水戸」には完敗

2017年9月16 日(土)  「全水戸」には完敗

「第13回坂戸市長旗関東還暦軟式野球大会」(埼玉県坂戸市)では、「全水戸」(茨城県)と、10:30から坂戸市民総合運動公園野球場A面で戦いました。

僅か1安打、0-10で、6回コールド負けしました。

長渕剛「完敗」。

1番レフトで先発しました。

第1打席はセイフティバントを試みたものの、捕手に捕られてアウトになりましたが、もう1m先に転がしてたら、内野安打になってました。

第2打席はファーストフライとなりましたが、これももう1-2m遠くに飛んでいたら、ヒットになるところでした。

守備に更に磨きを掛けるには、、左右へ振られた時のランニングキャッチの練習が、必要だと思いました。

試合後、圏央道と東名高速を走って、静岡県御前崎市へと向かいました。

旅館の風呂で体を休め、「御前崎 旬彩」(森本酒造、菊川市、17度、300㎖)という誠に美味しい酒で、身体をほぐしました。



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2017年09月11日

今年最後の暑気払いの夜は阪神タイガースの3連勝

2017年9月10日(日)  今年最後の暑気払いの夜は阪神タイガースの3連勝

15:00から本八幡駅近辺の「くつろぎや」で、残暑に立ち向かうべく、市川ライオンズBチームの遅い暑気払いを行いました。

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午前中のテニス朝練では、極めて調子が良かったので、1人ですが意気揚々と“繰り出し”ました。

野球談議に花が咲き、ライオンズBの存在意義とか、仕事を理由とした欠席の可否等についても、議論が及びました。

カラオケは駅近くの店で、4時間ほど過ごしました。

今晩の仲間から判断して、「ゆうすげの恋」(森進一)から始めて、「傷だらけの人生」(鶴田浩二)、「分かってください」(因幡晃)、「また君に恋してる」(坂本冬美)、「浪花恋しぐれ」(都はるみ 岡千秋)を歌いました。

今晩は、阪神タイガースの隼太がサヨナラ打を放って、7-6でDeNAに3連勝して2位を固めるとともに、優勝への望みをつなぎました。

たとえ2位になったとしても、クライマックスシリーズでカープを打倒するための礎を、着々と築きつつあります。



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2017年09月10日

浦安ベイクラブとの第2回戦は大差で敗戦

2017年9月9日(土)  浦安ベイクラブとの第2回戦は大差で敗戦

14:15から「天台軟式野球場」(千葉市稲毛区)で、「浦安ベイクラブ」との第2回戦を戦いました。

第1回戦は5月20日に、7-7で引き分けました。

1番レフトで先発しました。

第1打席は1塁後方、ライト前に落ちるポテンヒットで出塁し2盗しましたが、次打者のピッチャーゴロに飛び出してしまって、2・3塁間に挟まれアウトになりました。

第2打席はファウルで粘りに粘った挙句、サイドないしはアンダースローの変則的な投げ方をする投手に、外角にスローボールを投げられて、敢え無く空振り三振を喫しました。

第3打席はタイミングを外されて、ボテボテの3塁ゴロを打たされましたが、残念ながら間一髪アウトになりました。

1回裏に3点を挙げ、有利に進められそうな感じがしたのですが、その後敵の打棒が振るい、3-14(6回コールド)で第2回戦を落としました。

この試合では2回表に、敵の2番打者が誤って1番打者の打席に入り、我々からの抗議で試合が30分ほど中断しました。

審判団が「野球規則」を読んで、当該打者が2ボール1ストライクになっていても、球を打ってないのでアウトにはならず、そのまま続行という結果になりましたが、何か釈然としない雰囲気が残りました。

また試合開始早々から敵の選手の守備位置変更があったりして、バタバタした感じがあったのですが、その変更の連絡が審判団から我々になかったことについては、審判団から謝罪がありました。



posted by yone at 05:52| Comment(2) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

糸魚川日吉神社「根知山寺の延年」(おててこ舞)本祭りでの舞楽奉納

2017年9月1日(金)   糸魚川日吉神社「根知山寺の延年」(おててこ舞)本祭りでの舞楽奉納

ホテルをチェックアウトした後、10:00前に「おててこ会館」に駐車して、神社に向かいました。

神社の奥殿と拝殿で10:00から行れている祭に礼は、戸外の爽やかな大気の中、鬱蒼と茂った木立から洩れてくる木洩れ日を浴びながら、参加しました。

「おててこ会館」まで戻って見学すると、奥の部屋では、稚児達の着付けが行われていました。

12:20頃に、「幟」が根知川の向こうの集落から、橋を渡って担がれてきて、「金蔵院」に入りました。

13:00頃「金蔵院」本堂前に集結した「稚児行列」の一行(幟、鳥面、金棒引き、法螺貝、露払い、獅子、稚児、楽人、等)は、寺の住職から“お祓い”を受けます。

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稚児行列の「行道(こうどう)」は日吉神社まで行われますが、金蔵院前での「くるいの舞」(「飛びつき」とも言われ、太鼓の前で2人の童子が舞う)で始まり、神社の鳥居での「くるいの舞」に終わります。

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途中の「観音堂」では、宮司による神輿渡御の神事があり、観音堂内に安置された2基の神輿に神を乗せて、再び行道が続きます。

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「神仏混淆」の実態をよく表しています。

神社の鳥居に来ると行道は終わり、神輿は石段を登って境内に入りますが、境内では神殿と舞台の周りを3周ほど走って回りますが、嘗ては「押し合い」というもみ合いがあったそうです。

14:00からは舞楽の奉納が始まりました。

この山寺の延年は、「風流(ふりゅう)」(初期の歌舞伎踊り)と「稚児舞楽」を中心に、「神楽」、「万才」、「獅子舞」の類が加えられた、計10曲で構成されています。

1.「くるいの舞」(小学生2人):金蔵院と鳥居下に続き、3回目の出番ですが、前後の動きが主体で、「露払いの舞」や「清めの舞」の意味があります。

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2.「おててこ舞」(踊大将の青年4人と踊り児の子供4人):風流系の小歌踊りですが、「露の踊」や「若衆踊」、「扇車」、「四節踊」、「三国踊」、「百六」の6つの踊りから構成され、踊り児が「熨斗」を背負って踊るところが興味深いです。

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根知山寺延年の代名詞になっている舞ですが、舞というよりは踊りと言ってよく、地元では単に「踊り」と言われているようです。

この演目だけには笛がなく、太鼓と歌に合わせて踊りますが、「シッテン シッテン テコテンテ シッテン シッテン テコテンテ テコテンテ…」といった口拍子が唱えられます。

3.「鏡の舞」(稚児2人):延年に初めて参加資格を与えられる舞で、手に和鏡を持って舞いますが、舞った後には祝儀の玩具や西瓜が舞台に投げ込まれると、稚児達は柳行李に入れて引き揚げていきます。

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4.「鉾の舞」(小学生男女4人):花道で番子から鉾を受け取って舞台に登場し、舞った後、番子に鉾を返して退場します。

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5.「花の舞」(小学1-2年生2人):真赤な衣装に花天冠を被り、手には銅製の盆を持ち、切紙(花)を撒きます。

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6.「弓の舞」(高校生2人):狩衣装束に鳥兜を被り、右手には弓、左手には鈴を持って舞いますが、出て来た時には矢を持っているものの、途中で稚児の「番子(ばんこ)」から渡された弓に取り替えます。

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7.「しめの舞」(20代大人1人):丸しめ縄を持って舞われる出雲系の神楽ですが、素戔嗚尊の凶暴性を表現したもののようで、激しい舞です。

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最後に花道から舞台に向かって、怒りを込めて、丸しめ縄を投げつけて退場する所作は、独特のものです。

8.「種蒔き」(大人2人):「とっつぁ」が鋤で耕すと、「かかさ」が種を蒔くという、農作業を模した所作を行います。

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9.「万才(まんざい)の舞」(大人2人):「太夫「たゆう)」が江戸の名所をうたうと、「才蔵(さいぞう)」がからかうというもので、江戸太神楽の流れを引く芸能です。

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古くから話の筋よりも言葉の掛け合いに重きが置かれ、太夫には声の良い者、才蔵には動作の滑稽さを表現できる者が、選ばれたそうです。

10.「獅子舞」(大人2人):獅子頭はライオン系で、伎楽の流れを汲む獅子神楽ですが、才蔵が獅子に絡みちょっかいを出すと、獅子が噛みついたり、怖がった才蔵が柱に攀じ登ってしがみついたりします。

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才蔵との絡み合いは、根知山寺の延年の独創であろうと考えられています。

16:30頃に終わったので、時間はかかりましたが姫川沿いの国道148号線を30年くらい振りに走り、長野ICから上信越道や上越道を経て、帰宅しました。