2020年01月21日

イスタンブールから成田へ

2020年1月6日(月) イスタンブールから成田へ

01:55イスタンブル発成田行きトルコ航空052便に乗り継ぎましたが、前便が順調に飛んだので、大きなイスタンブール空港でも、十分余裕がありました。

帰国便では赤ワイン(13.7%)だけにしました。

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飛行ルートは来た時よりも南側を飛び、偏西風のアシストを期待できる、中央アジア、タクラマカン砂漠の北、北京、東シナ海、韓国横断、というものでした。

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ポピュラーなクラシック音楽を聴きながら、数時間は眠って、19:40成田に着きました。

成田は帰国客でごった返していたので、荷物が出て来るのに時間がかかりました。



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2020年01月20日

今年の船橋クラブ野球練習“事始め”

2020年1月20日(月) 今年の船橋クラブ野球練習“事始め”

13:00から船橋市グラスポで、船橋クラブの野球練習に初参加しました。

今年の船橋クラブの練習は既に始動していますが、私は月曜日にしか参加できないので、今日が最初です。

4月からは千葉県古希還暦野球連盟還暦リーグ戦が始まりますが、今年は新戦力が加わったので、戦力アップが期待されています。

今日の練習メニュは、ピッチングマシーンによるハーフ打撃、内外野シートノック、ベースランニングでしたが、ピッチングマシーンを相手に好い感触で打てました。

スコピエ(北マケドニア共和国)で買ってきたplazmaというビスケットは、船橋でもみんな美味しいと言って食べてくれました。

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スコピエ観光して帰国の途に

2020年1月5日(日) スコピエ観光して帰国の途に

バルカン最後の気温測定では6:00の気温が4.7℃と高めだったので安心して、かつ時間的余裕もあったので、「マケドニア門」や「マケドニア広場」辺りを朝散しました。

街中には野良犬が多く、餌を求めて擦り寄ってくる内は未だ可愛いのですが、集団で屯していると、ブータンほどではないにしても、怖さを感じます。

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序で乍ら、野良猫もバルカン中何処へ行っても沢山おり餌を求めて来ますが、コトル城内(12月30日)で、鼻水を垂らしながら真ん丸になって、寒さに耐えて路上に佇んでいた猫を思い出します。

夜行便に乗るまでスコピエを観光しました。

「Mustapha Pasina Dzhamiya(ムスタファ・ パシナ・ジャミーヤ)」は、スコピエがオスマン帝国に陥落した直後の1492年に、宰相ムスタファ・パシャにより建てられました。

スコピエ城塞は紀元前2世紀にローマ人により建設されましたが、城壁は6世紀ビザンツ帝国時代のもので、周りには新市街が広がっています。

城壁の塔の上に翻る、北マケドニア共和国の国旗を見て、お隣さんは、どのようにコメントするんでしょうかね。

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「Crkvata Sveti Spas(聖スパス教会)」は、1824年に建設されたマケドニア正教の教会ですが、モスクより高くならないように、地下2m掘って建てられています。

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「Memorial House of Mother Teresa(マザーテレサ(1910-1997)記念館)」は、スコピエで生まれたマザーテレサが洗礼を受けたカトリック教会の跡地に、2009年に建設されました。

彼女の生家や教会は、1963年の地震で崩壊しました。

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母がルーマニア人で父は少数民族のアルーマニア人の出身だと読んだと学芸員に質問したところ、両人ともにアルバニア人とするのが通説だとという答えがありました。

昼食は、豚肉と玉葱、パプリカの煮物を戴きました。

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最後の晩餐となった夕食は、メルルーサのフライをRakija(ラキア、45%)で戴きました。

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20:45スコピエ発イスタンブル行きトルコ航空1006便で、マケドニアを出国しました。



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2020年01月19日

オフリド観光して首都スコピエへ

2019年1月4日(土) オフリド観光して首都スコピエへ

ヴェランダのテーブルの上に置いた腕時計は、0.5℃を計測しましたが、巷の情報では氷点下4度だったそうです。

湖岸から近かったので、朝散して湖岸まで行ってみましたが、寒くてたまらんので早々に引き揚げて、部屋でゆっくりしました。

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かつてはオフリド市内に365もの教会があり、マケドニアのエルサレムと呼ばれた時代があったそうです。

Old Town(旧市街)にある「Church of St.Kliment( 聖クリメント教会)」には、聖書の場面が教会内部壁面いっぱいに描かれていますが、撮影禁止です。

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元々は聖マリアに捧げられた教会でしたが、886年キリスト教布教の為にやって来た聖クリメントの遺骸がここへ移されて以降、改称されました。

境内にあるイコン博物館には、木造の聖人像が展示されていましたが、正教関係で像を見るのは、結構珍しいように思います。

要塞まで行く途中には、古代ローマ円形劇場があました。

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オフリド旧市街西側の丘の上にある「Tsar Samuel’s Fortress(サミュエルの要塞)」は、10〜11世紀にブルガリア帝国皇帝サミュエルが、オフリドを首都に定めた際に建てたものです。

城壁上からの眺望は抜群で、オフリドを統治しているかのような気分にもなります。

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城壁の近くの茶屋で、お茶にして、トルコテーで一休み。

「Church of St. Sofia(聖ソフィア教会)」は、11世紀に建てられたオフリドを代表する大聖堂でしたが、オスマン帝国時代にはモスクに転用され、内部のフレスコ画は全て塗りつぶされてしまいました。

昼食はソフィァ教会の近くのレストランで、オフリド鯉のグリルを、ZLATEN DAB(330㎖、4.5%)で戴きました。

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オフリドから約175q北上して、最終の訪問地、北マケドニア共和国の首都Skopje(スコピエ)へと向かいました。

途中の峠の休憩所で、マケドニア人のカップルからKoreaかと訊かれてムツッ、Chinaかと訊かれてウンザリ、やっと女性がJapanかと来たので、満面の笑顔。

スコピエのホテルの隣のスーパーで、バルカンの何処にでも見られるplazmaというビスケットを、野球仲間と娘達への土産として買い込みました。

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夕食には、トゥリ・タバという、ビーフとチキン、野菜のオーブン焼きを、CKONCKOの生ジョッキで戴きました。

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フルーツが盛られたグラスが、面白い形をしていました。

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マケドニア音楽の生演奏も楽しみました。

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標高240mくらいにまで下りて来たので、18:15の気温は7.1℃と、多少は穏やかになりました。



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2020年01月18日

今年の市川ライオンズ野球練習“事始め”

2019年1月17日(金) 今年の市川ライオンズ野球練習“事始め”

13:00から市川市国分で、市川ライオンズ古希Bの野球練習を始動しました。

4月からは千葉県古希還暦野球連盟リーグ戦が始まるし、3月には同リーグの県西部4チーム(松戸、浦安、船橋、市川)によるオープン戦が計画されているので、2月中には身体を仕上げなければなりません。

今日は、各自の調整段階に応じたペースで安全第一で行うことを、主将として最初に提案しました。

今日の練習メニュは、準備体操(NHK第1を包含)、ダイヤモンド一周走、塁間(25m)ダッシュ走2本、キャッチボール、塁間送球、内外野ノック、内外野守備連携ノック、緩球打撃10スウィング、速球シフト打撃7本(バント2+打撃5)、べ―ラン4本(1塁駆け抜け、1塁過ぎまでのヒット時走、2塁盗塁から3塁へ、外野フライタッチアップ)という、ほぼフルとしました。

今後の推移を見て監督と相談し、チームメイトの意見も訊きながら、重点練習項目を絞っていきたいと思います。

私は2月中旬までは全力疾走を避けたい方針ですが、練習でも打球が飛んでくると、ついつい走って仕舞います。

スコピエ(北マケドニア共和国)で買ってきたplazmaというビスケットは、みんな美味しいと言って食べてくれたので、ホッとしました。

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昨年末の梶岡(元阪神タイガース投手)杯で始球式に使った阪神タイガースのユニフォームを、総幹事Hさんから頂いたので、私の強い影響下でトラキチとなった孫娘に譲渡しました。

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ベラティ千の窓の町を見てオフリド湖へ

2019年1月3日(金) ベラティ千の窓の町を見てオフリド湖へ

6:00の気温は1.5℃ですが、ベラティは谷あいにあるので、平地よりは低めです。

ホテルの部屋からは、今は稼働していない繊維縫製工場の屋根の連なりが見えましたが、嘗ては繁栄していたそうです。

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ベラット城の真下でオスム川の北側には、ベラティ3地区の1つMangalemi(マンガレミ)地区がありますが、モスレムが多く住んでいます。

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四角く大きな窓を持つ白い漆喰壁と赤い屋根の家々が、斜面に折り重なるように並んでいますが、地震対策として1階は石材、2階は木材を使用しており、山間で日没が早いので、採光のために2階に大きな窓を並べました。

「千の窓の町」と言われています。

Gorica(ゴリツァ)橋を渡った川の南側には、ゴリツァ地区が向かい合っていますが、アルバニア正教徒の多い地区です。

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ベラティから東北へ175q、Republika Severna Makedonija(マケドニア語のラテン文字転写、北マケドニア共和国)Ohrid(オフリド)へ移動しました。 

車窓には野菜畑や果実栽培樹木畑が連なっており、食卓で戴いている野菜や果物が、新鮮で豊富な理由が良く分かります。

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トーチカも、その気になって見ていると、所々に散見されます。

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ところで車窓等に見られる車は、バルカンでは欧州車が殆どで、中でも独車(ベンツやVW)が圧倒的です。

日本車の補修体制が整っていないことや、コソヴォに見られるように、国外へ出た親戚筋等が、車で来て車を置いて帰るケースが多いことが、日本車の少ない理由だそうです。

アルバニア・北マケドニア国境は標高約1,000mにありましたが、出国は無審査で、入国審査もさして手間取らなかったのは、運転手さんが差し入れた飲料のお陰鴨。

マケドニアの名称についてはギリシャ共和国との間で対立が生じていましたが、2019年、マケドニア共和国が「北マケドニア共和国」に国名を変更することで決着しました。

昼食には、鱒のグリルをCKONCKO Premium Lager(330㎖、4.9%)で戴きました。

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オフリドはThessaloniki(テッサロニキ、ギリシャ)、デュラス(アルバニア)、Brindisi(ブリンディジ、イタリア)を結ぶエグナティア街道筋に当たっているので、古来から通商の町として栄えてきました。

オフリド湖(湖面標高693m、面積は琵琶湖の約半分)を1時間ほどクルーズして、2011年9月16日以来約8年ぶりに、「Church of St. John Bogoslov-Caneo(聖ヨヴァン・カネオ教会)」と再会しました。

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その後「The Cathedral Church of St. Sophia(聖ソフィア教会)に寄りましたが、冬場は寒いので早めに閉められていました。

土産物屋でマケドニア民俗音楽のCD(6€)を買いました。

風呂上りには、夕日の沈む湖面を眺めながら、Vranacのグラスを傾けました。

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夕食には、豆と肉のオーブン煮込みを戴きました。

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標高が約700mあるので、北緯41度に下がってきたとはいえ、18:00の気温が3.9℃ですから、また寒くなりました。



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2020年01月17日

ティラナ観光後アポロニア経由ベラティへ

2019年1月2日(木) ティラナ観光後アポロニア経由ベラティへ

6:00の気温は、4.9℃ですから、今の日本並みです。

午前中はティラナ市内を観光しました。

「 Monumenti i Skënderbeut(スケンデルベウ像)」は、昨日プリシュティナで見た騎馬像と同じようなものです。

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「Xhamia Et'hem Beut(エザム・ベイ・ジャミーア)」は、町の創建者の子孫により、1821年に建造されたモスクですが、残念ながら修理中でした。。

国立美術館の裏庭には、レーニン像やスターリン像といった遺物が、まとめて置かれていました。

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アルバニア人民共和国時代の指導者 Hoxha(ホッジャ)が、国内に設置した50万個以上のトーチカの一部が、現在でも所々に残っています。

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ティラナから南へ130q行った「Apollonia(アポッロニア)遺跡」は、紀元前6世紀にギリシャ人が入植し、後にローマ人が侵略してギュラケイアから改称されました。

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ティラナ西の外港Durresデュラスと並ぶ港町として栄えましたが、地震や河川流の変化により港機能を喪失し、衰退したそうです。

Odeon(オデオン)というギリシャ劇場は、ローマ円形劇場よりも小振りで、屋根が付いていたそうです。

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昼食は、考古学者Leon Reyの名の付いた丘の上のレストランで、ラムのグリルを、KORCA(330㎖、4.1%)で戴きました。

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東方へ60qにあるBerati(ベラティ)は「千の窓の町」とも言われ、2,400mのトモル山麓に発達した町ですが、標高は100m位しかありません。

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先ず「Klaja e Beratit(ベラティ城」址に登りましたが、紀元前4世紀には砦が築かれていたそうです。

「Muzeu Ikonografik Onufri(オヌフリ・イコン博物館)」では、16世紀に活躍したアルバニアのイコン作家オヌフリの作品を鑑賞しました。

城の南端の展望台からは、オスミ川の対岸にありアルバニア正教徒が多く住むGorica(ゴリツァ)地区を、眼下に眺めました。

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城址から下りて来た道に沿って墓地がありましたが、モスレムも正教とも同じ敷地に埋葬されているとのことでした。

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シャワー上りに、昨日プリシュティナのスーパーで買ったVRANACを、じっくりと嗜みました。

夕食にはアルバニア郷土料理である、牛肉ヨーグルトオーブン焼きTavë Kosi(タヴェ・コシ)を”食べ越し”ましたが、ヨーグルトの酸っぱさの好く利いた柔らかい肉が堪らなかったです。

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ビールはTIRANA(500㎖、4%)で。

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17:30の気温は6.5℃でした。



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2020年01月16日

プリズレン近郊ワイナリーを訪ねティラナへ

2019年1月1日(水) プリズレン近郊ワイナリーを訪ねティラナへ

コソヴォでの朝食には、松茸の味お吸いものに、薄っぺらい餅が2枚だけ入った雑煮を、”平和な”祖国を思い浮かべながら、有難く戴きました。

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5:00の気温は氷点下3.6℃でしたが、朝食の後近くのスーパーまで少し朝散して、PlantaseVRANAC(ヴラナツ)ワイン(750㎖、14%、10€=1,200円)を買いましたが、モンテネグロからの輸入品でした。

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午前中は、プリシュティナを観光しました。

旧市街には、1389年コソヴォの戦いに参加したオスマン帝国スルタン・ムラト1世(1326-1389)が建てた「チャルシャ・ジャミーア」や「ジャシャール・パシャ・ジャミーア」、オスマン帝国スルタン・メフメト2世(1432-1481)が建てた「ファーティヒ・ジャミーア」というモスクが群立しています。

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チャルシャ・ジャミーアの向かいには「ユニティ・モニュメント」という、高さ15mの民族融和の記念碑が建っています。

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「Skënderbeu(スケンデルベウ、アルバニア語 )像」のスカンデルベグ(1405-1468)は、中世アルバニアの軍人であり、オスマン帝国に抵抗してアルバニアの独立を勝ち取った民族的英雄です。

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彼の本名はGjergj Kastrioti(ジェルジ・カストリオティ)といい、通称のスケンデルベウは、トルコ名のİskender Bey(イスケンデル・ベイ)に由来するそうです。

「Mother Teresa(マザーテレサ)像」のマザー・テレサことAgnesa/Antigona Gongea Boiagi(アグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ)は、1910年コソボ州・ユスキュプ(現在北マケドニアのスコピエ)に生まれました。

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両親がコソヴォの出身で、母はルーマニア人で父は少数民族のアルーマニア人(マケド・ルーマニア人とも)という説があります。

「NEWBORN Monument(ニューボーン・モニュメント)」は、2008年のコソヴォ共和国独立を記念して建てられた、長さ22m、高さ3mのモニュメントです。

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ちなみにNはNature、EはEnergy、WはWater、BはBiodiversity(生物多様性)、OはOxygen、RはRecycling、NはNatureを示しているそうです。

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プリシュティナから南西へ85q、コソボ南部の都市Prizren(プリズレン)に向かう途中で、Rahovec vineyards(ラホヴェツ葡萄園)にある、6代続く小規模ワイナリーDaka Familyに寄りました。。

2種類の赤ワイン、白ワイン、ブランディを試飲してから、RAKI RRUSHI(Grape Brandy、750㎖、45%、10€=1,200円)に決めましたが、旅行中に少し飲んで残りは祖国に持ち帰りました。

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プリズレンには中世セルビア王国の都が置かれ、オスマン帝国時代にはアルバニア人の文化的中心地として栄えました。

コソヴォ紛争によりセルビア人が逃げ出したので、住民の大多数はアルバニア人になりましたが、モスクの他に、セルビア正教やカソリックの教会も残されています。

プリズレンにはトルコ語を話すアルバニア人の割合が高いことも、この町の特徴です。

「 Ura e Gurit(ウラグリ、Uraが橋、Guritが石、石橋の意)」は、ルンバルディ川に架かる石橋で、15世紀の終わりのオスマン帝国時代に造られ、1979年洪水により流されてしまいましたが、1982年に再建されています。

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Stephen Uroš II Milutin(ステファン・ウロシュ2世ミルティン、在位1282-1321)によって14世紀に建造された「Kisha Shenpremte Levishke(レヴィシュケの正神女教会)」はセルビア正教の教会で、紛争で内部を破壊されたので見学はできませんが、オスマン帝国時代にはモスクにされていました。

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市庁舎の壁面には、コソヴォ共和国を承認した諸国の言語で感謝の言葉が書かれていて、中段左側にARIGATO GOZAIMASU JAPAN、とあります。

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2019年11月中旬現在で、我が国等93ヶ国から承認されていますが、国連加盟国の半数近くの85ヶ国から承認拒否されている現状には、依然厳しいものがあります。

コソヴォ・アルバニア国境は順調に通過し、シュコドラから更に南下して、プリズレンから約195q南西に当たる、Republika e Shqipërise(アルバニア共和国)の首都Tirana(ティラナ)に着きました。

街中で、なかなか斬新な形をした交通信号機に巡り合いました。

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夕食は鱸のグリルを、KORCA(330㎖、4.1%)というビールで戴きました。

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ティラナは北緯41.2度まで南下しており、アドリア海にも近く標高が100mくらいなので、21:30の気温は8.1℃まで上がり、寒さは多少緩和されています。



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2020年01月15日

アルバニアを横断してペヤ経由プリシュティナへ

2019年12月31日(火) アルバニアを横断してペヤ経由プリシュティナへ

5:00の気温は3.5℃と、まあまあ高めでした。

ポドゴリツァから東へ約220q、国境を越えてRepublika e Kosovës(コソボ共和国)Peja( アルバニア語でペヤ、セルビア語ではPeć(ペーチ))へ移動しました。

モンテネ北部山岳地帯通過道路では、コソヴォ側が除雪されてないそうなので、一旦アルバニア共和国に入出国する南周りルートに変更しました。

ポドゴリツアの郊外の道路の両側には、ブドウの木が広範に栽培されているのが見られましたが、恐らくヴラナツ種が中心なんでしょうか。

Shkodra(シュコドラ)はシュコドラ湖畔の美しい国境ですが、モンテネ・アルバニア出入国には1時間くらい時間がかかりました。

しかも大晦日ということもあって、買い物客の車で混んでいたので、アルバニアの街中では大渋滞に遭遇しました。

Morine(モリナ)というアルバニア・コソヴォ国境でも出入国審査に21分かかったので、この際ドライヴァーの30分休憩(EU基準)を満足してしまおうということにして、9分間待って出発しました。

Prizren(プリズレン)に入るまでは山岳地帯を走りましたが、周りには雪を被った2,300〜2,400m級の山々が遠望されます。

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プリズレンにはコソヴォ紛争の前には64工場があったのですが、現在は4工場のみが稼働しているにすぎず、廃墟となった工場群が無残にも立ち並んでいます。

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街中で見かけたRKSというナンバー標識は、コソヴォでは一般的なもので、KSという標識ならセルビア共和国に入国できるそうですが、出くわしたことはありません。

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Peja( アルバニア語でペヤ)での遅い昼食では、すずきの塩焼きを、生ビールPeja(1.5€=180円)で戴きました。

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コソボ共和国の民族構成はアルバニア人92%、セルビア人5%と、モスレムの多いアルバニア人が大多数を占めていますが、ペヤにはセルビア正教の総主教座が置かれており、マッコト特別な町です。

「Patrikana e Pejës(ペヤ総主教修道院)」はペヤ近郊にありますが、創建時期は不明です。

13世紀中頃に、それまで大主教座のあったŽiča monastery(ジチャ修道院、セルビア共和国)がブルガリア帝国の脅威にさらされた際に、より山深く安全なこの地に大主教座が移されました。

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セルビア王Stefan Uroš IV Dušan Silni(ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン、在位1331-1355)時代の1346年に、コンスタンティノープル総主教庁から独立して、セルビア正教総主教座に昇格しました。

ペヤの南12kmにある「Manastir Visoki Dečani(ヴィソキ・デチャニ修道院)」は、セルビア王Stefan Uroš III Dečanski(ステファン・ウロシュ3世デチャンスキ、在位1321-1331)によって1335年に建てられ、同王はここに葬られています。

コソヴォはNATOの指揮の元、KFOR(Kosovo Force、コソボ治安維持部隊)が4地域に分けて治安維持を担っており、この地域にはイタリア軍をリーダーとした軍隊が駐留しているそうです。

紛争で修道士が100人から26人に減ったということですが、自給自足生活をしており、ワインも造っています。

DECANI MONASTWRY Red wine(750㎖、13.5%、ヴラナツ種、10€=1,200円)を買って帰り、帰国後正月明けの初ディナーで、娘と飲みました。

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85q東にある、コソヴォ共和国の首都Prishtina(プリシュティナ)で宿泊し、花火や爆薬の騒音にも負けることなく、2019年晦日の夜を熟睡しました。

標高は約550mあるので、22:00の気温は少し低めの、0.4℃でした。



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2020年01月14日

コトルで城壁に登りポドゴリツァへ

2019年12月30日(月) コトルで城壁に登りポドゴリツァへ

5:00の気温は4.3℃ですから、今までに比べると若干高めです。

治安は悪くないというので、6:00からスタリ・モストまで朝散しましたが、まだ真っ暗で風が強いので寒いです。

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モスレム居住区であるネトレヴァ川東岸に建つ「Koski Mehmed-Pasina Dzamija(コスキ・メフメト・パシナ・ジャミーヤ)」は、橋の撮影スポットのようですが、入場料を取ってました。

モスタルからは標高600〜700mの山地を上り下りしながら南に向かい、アドリア海沿岸を南東へ約200q行って、Crna Gora(ツルナ・ゴラ。ヴェネツィア語ではモンテネグロ。ともに黒い山の意)のKotor(コトル)へと向かいました

ボスニアとツルナ国境Bileca(ビレカ、標高約550m)でも、乗り込んできた審査官にパスポを提出しましたが、出入国に30分くらい掛ったので、前回よりは時間を要しました。

その後しばらく進むと、遠くにキラキラと眩しいアドリア海が姿を現しましたが、眼下にはフィヨルド地形のコトル湾が美しい景色を見せています。

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コトルは15〜18世紀ヴェネツィア共和国の支配下にありましたが、現在はセルビア正教75%、モスレム15%、カソリック10%でカソリックは少数派ですが、14の教会の内カソリック12、正教2となっており、依然勢力を保っているような感じもします。

昼食は城内のイタ飯レストランで、Merluza(メルルーサ)というタラ目メルルーサ科の魚のムニエルを、Niksickaというビールで戴きました。

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後背の山に築かれた城壁はヴェネツィア時代に築城されたもので、途中にある救世聖女教会まで登りましたが、山上からの景色は正に絶景です。

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またここは18世紀ロシアのピョートル大帝以来、ロシア南下政策の拠点でもあり、今でもツルナ・ゴラ(モンテネグロ)とロシアは友好関係にあります。

コトルはカソリックと正教会文化圏の狭間にあるため、両方の教会が見られます。

1166年に建てられたカソリックの「Katedrala sv. Tripuna(聖トリプン大聖堂)」や、1195年創建のセルビア正教会の「Crkva Ljke(聖ルカ教会)」等があります。

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コトルからはアドリア海沿岸を南下して、Budva(ブドヴァ)から内陸に北上して約90q、ツルナ・ゴラの首都Podgorica(ポドゴリツァ)に向かいましたが、ブドヴァにはロシア系ホテルやリゾートが林立していました。

ポドゴリツァは、1946年から1992年までの間は、ティトー(1892-1980)の名を冠して、Titograd(ティトーグラード)と呼ばれていました

夕食時には、モンテネの名産赤ワインVravac(ヴラナツ)を戴きました。

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少し内陸に入ったとはいえ、標高が50m程度なので、20:30の気温は5℃と高めでした。



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2020年01月13日

サラエヴォを観光してモスタルへ

2019年12月29日(日) サラエヴォを観光してモスタルへ

サラエヴォでの5:30の気温は氷点下1.6℃でした。

午前中はサラエヴォ市内を観光しました。

「Tunel Spasa(トンネル博物館)」は、旧ユーゴスラヴィア軍に包囲されて孤立した時に、サラエヴォ空港近くからトンネルを掘って自軍占領地域まで物資の輸送を行った、ボスニア軍の長さ約800mのトンネルです。

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人一人がやっと通れる位のトンネルですが、約25mが公開されており、地下がトンネルの起点となった民家には、当時の映像等の数々の歴史資料も展示されています。

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スナイパー通り等を走ると、未だに癒えぬ戦争の傷痕が、所々に散見されます。

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内戦で焼失した1984年サラエヴォ冬季五輪スタジアムは、今やサッカー場に生まれ変わっていて、現地ガイドさんはIvica Osim(イヴィツァ・オシム)元日本代表監督のことを誇らしげに語っていました。

五輪補助グラウンドの跡地には「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦(1992-95)犠牲者墓地」があり、27万人の死者の一部が、宗教の違いを超えて同じ敷地に埋葬されています。

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ボスニア系セルビア人の愛国主義者、Gavrilo Princip(ガヴリロ・プリンツィプ、 1894-1918)の立派な霊廟が、ひと際目立っています。

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「Baščaršija(バシュチャルシヤ)」は、サラエヴォの旧市街の中心に位置する職人街で、オスマン帝国統治下の16世紀に、アラブの商業地区をモデルに設計されました。

バシュチャルシヤにある「Latinska ćuprija (ラティンスキー橋)」は、サラエヴォの中心市街を流れるミリャツカ川に架かるオスマン帝国時代からの歴史的な橋です。

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この橋の北の袂(サラエヴォ博物館の前)でプリンツィプが、1914年オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子を暗殺したので、名称はPrincipov most(プリンツィプ橋)と改称されましたが、ユーゴスラビア崩壊後には元の名称に戻されました。

「Muzej Sarajevo(サラエヴォ博物館)」の前で暗殺事件が起こったのですが、その壁面の石板に、その経緯が説明されています。

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昼食にはボスニア料理Cevapcici(チェバプチチ)を、パンに挟んだ肉団子に、玉葱やトマトペースト、Kaymak(カイマック、クリームチーズとヨーグルトの中間くらい)を付けて戴きました。

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ほうれん草のチーズパイも、LASKO MALT(0.0%、パイナップルのサイダー)とともに戴きました。

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昼から南西へ130q、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦(ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦とRepublika Srpska(スルプスカ共和国)の2つの構成体からなる連邦国家)の中心都市、Mostar(モスタル)へと移動しました。

標高をグングンと下げて行くと徐々に雪が無くなり、標高約60mのモスタルはアドリア海に近いので、何となく生暖かく感じます。

Stari Most(スタリ・モスト、古い橋の意)は、1566年にNeretva(ネレトヴァ川)に 架けられましたが、1993年にクロアチア系のカトリック民兵によって破壊された後、2004年に復興されています。

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ホテルに着くと早速近くのスーパーにワインを買いに行き、KUPINOVO VINO(750㎖、4%、VINO ZUPA)という、どうやらブルーベリーワインを買ってしまい、風呂上りに一杯やりました。

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夕食にはトンカツをOzujsko(330㎖、5%、2€=240円)というビールで戴きましたが、デザートは瀬戸内のじゃこ天のような恰好をした超甘菓子でした。

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2020年01月12日

今年のテニス“事始め”

2019年1月12日(日) 今年のテニス“事始め”

先週5日の朝練がコートコン不良で流れたので、テニス朝練としては初動となり、私にとっても初打ちとなりました。

サングリーンテニスクラブに7人が集い、いつも通り、サーヴィス&ヴォリイ、2対1の強打ストローク、ヴォリイ、スマッシュをこなしました。

私は時差ボケが未だに癒えず、6:00に一旦目を覚ましたものの、実際に起きたのは8:00直前になり、多少は遅刻しました。

しかし身体の動き自体は快調で、今のところ暖冬でもあるので、脚もよく動きました。

練習の後、ゲームを一つ楽しんで、明日も来ることを約して帰宅しました。



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ズラティボルからヴィシェグラドを経てサラエヴォへ

2019年12月28日(土) ズラティボルからヴィシェグラドを経てサラエヴォへ

ズラティボルのホテルで起きると、窓外は一面の雪景色で、4:40の気温は氷点下2.7℃でした。

ズラティボルから少し南へ行った、標高約500mにある「Mileševa(ミレシェバ)修道院」は女子修道院で、1236年、ステファン・ヴラスティラヴ王(在位1233-1243)により建設されました。

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フレスコ画「白い天使」が有名ですが、撮影禁止です。

ズラティボルから西方へ70q行くと、途中セルビアとBosna i Hercegovina(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)との国境を越えて、Višegrad(ヴィシェグラド)に着きました。

出入国審査官が乗り込んできたので顔写真のあるページを提示して提出したら、査証スタンプが押されて返ってきましたが、その間10分程度なので順調に済みました。

昼食は鱒の唐揚げだったので、NEKTAR(330㎖、5%)というLager Beerで戴きました。

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小説「ドリナの橋」を書いたノーベル賞作家である、Ivo Andrić(イヴォ・アンドリッチ、1892〜1975)が幼少期を過ごしたヴィシェグラドには、モンテネグロの山を源とする全長346qのDorina(ドリナ)川が流れています

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ドリナの橋と言うのは、オスマン帝国宰相Sokollu Mehmed Paşa(ソコルル・メフメト・パシャ、1506-1579)の命により建築家Mimar Sinan(ミマール・スィナン、1489?-1588)が16世紀末に架けた、「Most Mehmed-paše Sokolovića(メフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋)」のことです。

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ドリナの橋は、全長179.5m、11のアーチからなる石橋ですが、雨に濡れた橋と言うのも情緒があります。

小説「ドリナの橋」には、目まぐるしく変化するこの地の歴史の流れが、時代を追って描写されています。

橋幅は小説を読んで想像していたよりも広く、普通車が余裕をもって擦れ違えるのではないかと感じました。

バルカンでは何処でも無料トイレが殆ど無くて困るのですが、ここでも川縁のホテルのトイレを利用するだけだと50ユーロセント(約60円)必要で、日本人の感覚では馬鹿らしいので、超甘菓子(約100円)を試しに買ってみました。

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その後、首都Sarajevo(サラエヴォ)まで約120qを西に走りましたが、徐々に積雪が深くなり、途中ではノーマルタイヤから履き替えてないと思われる車が坂を登り切れずに立ち往生し、周りの助けを得ながら奮闘していました。

緯度は43.5度でベルグラドと大して変わりませんが、標高が約500mあるので、その分少し寒目です。

夕食には、Sarajevsko(500㎖、4.9%)というビールで、Sahan(サハン)という、煮込み料理を何種類か盛り合わせたものを戴きました。

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その中でSarma(サルマ)は、ブドウの葉で挽肉や穀物等の具を巻いた料理です。

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21:00の気温は、氷点下0.7℃と、かなり冷え込んでます。



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2020年01月11日

今年の野球“事始め”

2019年1月10日(金) 今年の野球“事始め”

午前中、近所の近隣公園で、GOGO80野球倶楽部の初練習を行いましたが、好い天気の元に10数人が集まりました。

ホームプレートを囲んで2列に並び、御神酒を一口含んで、神さんに無事を祈りました。

昨12月23日以来、実に18日ぶりの野球です。

バルカン旅行中に体重が3s増えたので、この3日間減食して2s減量したものの、脚と肩が心配でしたが、初動としては何とか出来ました。

ただ打撃は未だ未だ目と身体が付いて行けず、45球のうち芯で捕えられたのは2〜3割と言ったところですから、これからの調整が必要です。

午後から市川ライオンズ古希Bの新年会が、本八幡のくつろぎやであったので、GOGO80を早退させてもらって参加しました。

今年の抱負を述べあって、大いに盛り上がりました。

私は主将として、6チームから9チームに増えた今年の千葉県連古希リーグ2部において、昨年(5勝5敗)並みの8勝8敗より、勝ち星を1つか2つは上乗せして、1部昇格を目指そうとぶち上げました。

帰途はAさんと2人で30分間カラオケを楽しみ、群青(谷村新司)、喝采(ちあきなおみ)、襟裳岬(森進一)を歌いました。



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セルビア南部イスラムの町ノヴィ・サドを経て高原リゾートへ

2019年12月27日(金) セルビア南部イスラムの町ノヴィ・サドを経て高原リゾートへ

3:30(日本時間11:30)までぐっすり眠りましたが、ベオグラドでの4:00の気温は2.3℃でした。

ベオグラドから南へ約220q下ったNovi Pazar(ノヴィ・パザル、「新しい市場」の意)まで移動しました。

ここ数日はぐずついた天気が続くようですが、どんより曇ったなだらかな丘陵地帯には、民家が点在しています。

民家の煙突には石炭と思われる煙が立ち上っており、途中には炭田が見られ、車内もガス臭くなった地域も通過しました。

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ノヴィ・パザルはコソヴォに近い標高約500mの地にあり、セルビアにおけるボシュニャク人(オスマン帝国支配下にイスラム教に改宗した南スラブ人の末裔)の文化的な中心地です。

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町の人口の85%がボシュニャク人で、セルビア人は僅かに12%ですから国産ビールはなく、TUBORG(500㎖、4.6%)というコペンハーゲンのビールがありました。

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セルビア建国の英雄カラジョルジェの名の付いた、カラジョルジェバ・シュニッツラというカツレツを戴きましたが、ミルフィーユみたいに柔らかい豚肉が美味しかったです。

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デザートとして出て来るのは余りにも甘い菓子が多くて、時には往生するのですが、Baklava( バクラヴァ)という菓子も超甘でした。

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昼食の後、ノヴィ・パザルから西へ約16q、標高約750mにある、中世セルビア王国の修道院の1つである「Manastir Sopoćani(ソポチャニ修道院)」を見学しました。

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中世セルビア王国Stefan Uroš I(ステファン・ウロシュ1世、在位1243〜1276)により1265年頃に建立され、生神女就寝しょうしんじょしゅうしん。生神女とはオーソドックスにおける聖母マリアのこと)というフレスコ画が有名ですが、館内の撮影は禁止されています。

ノヴィパザからルソポチャニ修道院に至る途中にある、13世紀後半に中世セルビア王国の中心地域であったStari Ras(スタリ・ラス)は、いまはすっかり廃墟と化していました。

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更に古いローマ遺跡は、歩くと1時間は掛かる山の上にあるということなので、登るのは諦めました。

その後140q程北に戻り、標高約1,000mにあるZlatibor(ズラティボル)という高原スキーリゾートのホテルに向かいましたが、高度を上げるとともに積雪が増し、今日日のスタッドレスタイアの威力に感服しました。

夕食時のビールはNiksicko(330㎖、5%)という銘柄で、ラキアは花梨ラキアとか聞きましたが、クレカ処理がもたついたのは戴けません。

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21:30の気温は、0.4℃でした。



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2020年01月09日

ベオグラド郊外と市内を観光

2019年12月26日(木) ベオグラド郊外と市内を観光

イスタンブール空港は新しくなって巨大になったので、乗り換えには随分歩かされました。

8:05(時差8時間)にベオグラドに着きました。

Republika Srbija(セルビア共和国)の首都ベオグラドは、「白い町」という意味だそうですが、北緯44.5度、海抜120m位にあるので寒さは厳しいのですが、今年は暖冬で気温は5℃と言ってました。

因みに札幌市は北緯43度なので同程度の緯度にありますが、セルビア以降は緯度を下げて行くので寒さは和らいでいくはずですが、標高の差を考慮するとそうとは限りません。

セルビアはセルビア人が約83%を占め、その多くがセルビア正教徒です。

セルビア到着後、南方約80qTopola(トポラ)にあり、セルビア国王ペータル1世(在位1903-1918)が建てた、「Oplenac(オプレナツ)教会(聖ジョルジェ教会)」を訊ねました。

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トポラは、1804年に起こったオスマン帝国に対する第一次セルビア蜂起の時に、カラジョルジェ・ペトロヴィッチ(1768-1817)が最初にリーダーに選ばれた場所であり、教会はカラジョルジェヴィッチ家の霊廟です。

教会のワインVino Insignija(700㎖、12%、600ディナール=約660円)を風呂上がりの一杯用に買い込みましたが、こんなに簡単に酒が入手できるとは、この先が大いに楽しみです。

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ベオグラドに戻り、Sava(サヴァ)川の水上レストランCRNA MACA(黒猫)で、羊の蒸し焼きを戴きましたが、塩浸けの燻製がスライス状になっていて食べ易くもあります。

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黒ビール(330㎖、5.2%、250ディナール=約280円)とアプリコット・ラキア(恐らく45%程度、300ディナール=約330円)から「バルカン酒をゆく」を始めました。

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「Kalemegdan(カレメグダン)城址公園」の名は2つのトルコ語の単語から形成されており、「Kale(カレ)」は要塞を意味し、「megdan(メグダン)」は戦場を意味するそうで、Sava(サヴァ)川とDonau(ドナウ)川の合流点にあります。

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ここには前4世紀初めには要塞があったと言われていますが、ローマ帝国やオスマン帝国、オーストリア帝国等が入れ替わり入ってきました。

ドナウ川を遡上すると、ハンガリーやオーストリア、ドイツにまで繋がっているのですから、防衛はさぞかし大変なことでしょう。

街中には戦争の傷跡を、所々に見ることが出来ます。

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Josip Broz Tito (ヨシップ・ブロズ・チトー、1892-1981)の墓は「花の家」と呼ばれており、各国からの寄贈品が展示されていました。

1953年から1981年の長きに亘ってユーゴスラビア社会主義連邦共和国大統領を務めましたが、今でも慕われてはいます。

「聖Sava(サヴァ)大聖堂」は2005年に完成した、正教会における最大級のバカでかい大聖堂であり、セルビア正教の中心的な存在です。

聖サヴァ(1174頃–1236) はセルビア正教の創始者であり、聖人です。

聖サヴァの遺体は、最初は28日に訪れる「Mileševa(ミレシェヴァ)修道院」に埋葬されましたが、1594年のオスマン帝国に対するセルビア反乱に対する報復として、サヴァ教会の建つ場所で火葬されました。

夕食には何とも分厚い豚のカツレツを、美味しいスープやビールFelen(330㎖、200ディナール=約220円)とともに戴きました。

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ホテルの窓外に腕時計を垂らして計測したら、21:20の気温は3.9℃でした。

22:00(日本時間6:00)には就寝し、寝不足と疲れからか、直ぐに眠りに就いたようです。



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2020年01月08日

成田からイスタンブール経由ベオグラドへ

2019年12月25日(水) 成田からイスタンブール経由ベオグラドへ

今日からバルカン半島への旅に出ます。

旧ユーゴスラヴィア連邦は、7つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア、ギリシャ),6つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ,マケドニア),5つの民族(セルビア、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、マケドニア),4つの言語(セルビア、クロアチア、スロベニア、マケドニア),3つの宗教(オーソドックス、カソリック、イスラム),2つの文字(ラテン、キリル)を持つ1つの国家、と言われていました。

その違いをどれだけ感じることが出来るのか分かりませんが、先ずは当たってみないと始まりません。

Istanbul(イスタンブール)行きトルコ航空053便で23:00成田を発ちましたが、距離の割にはビジネス席料金が高いので、今回はエコノミー席にしました。

昼間には市川ライオンズ古希Bのミーティングに出席して激論を交わしたので、結構疲れました。

ヴィザラウンジは21:00までだったので、普通缶ビールを1本だけ戴いて乗り込みました。

恒例の目出度い紅白ワインを飲んで、「オールディーズがゴールディ」の中にあったBeach Boysのアルバムや、MozartやBrahms等を聴いているうちに、4時間くらいは眠ったようです。

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殆どロシア上空を飛行しました。

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“飛んで”イスタンブールには5:45(時差6時間)に着き、8:15発トルコ航空1081便Beograd(ベオグラド)行きに乗り換えました。



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2019年12月23日

宗教色皆無のクリスマス忘年会

2019年12月22日(日)  宗教色皆無のクリスマス忘年会

孫娘が希望した、近所の「かつ波奈 北習志野店」でトンカツを食べながら、宗教色皆無の日本式クリスマスの雰囲気に浸りました。

娘と私は脂身の少ないフィレ肉トンカツ、孫娘はトマトチーズ鍋トンカツを頼みました。

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クリスマスプレゼント交換をしたいと言われていたものの、どんな物が好いのか分からず、下手なものを買って行って満足してもらえなければ虚しいので、手ぶらで行きました。

長崎県松浦産サバ缶と菊園もなかを貰ったので、帰り道のスーパーでワインと傘を買って、クリスマスプレゼントとしました。



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2019年12月22日

令和1年度表彰で打撃賞を授与される

2019年12月21日(土)  令和1年度表彰で打撃賞を授与される

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古希・還暦市川ライオンズ令和1年度定期総会で、「打撃賞」を授与されました

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通算打率4割1分9厘でチーム首位打者になり、チームの勝利に多大な貢献をした功績を表彰されたのです。

2020年度は5勝5敗の5分に終わりましたが、2位に入れる可能性がありながらも最後で力尽き、2位に入って1部昇格は出来ませんでした。

来年度は投手・野手ともに補強が出来たので、1部昇格を目指して頑張りたいと思います。

納会(忘年会)ではビールと焼酎のストレートで4合相当を戴き、恒例の「六甲おろし」を多くの読売ファンの前で朗唱しました。

2次会の2人カラオケでは、命あたえて(森進一)、女ひとり(デュークエイセス)、北の蛍(森進一)、わかって下さい(因幡晃)、遠き日の少年(堀内孝雄)、イビョル(離別)(パティ・キム)を歌ったことは覚えています。



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2019年12月21日

古希Bチームの主将に選任され令和1年度打撃賞を受賞

2019年12月21日(土) 古希Bチームの主将に選任され令和1年度打撃賞を受賞

9:30から山崎製パン企業年金基金会館(市川市)で、古希還暦市川ライオンズ年次総会と納会が行われました。

第3号議案来年度チーム編成において、古希Bチームの新しい編成が決まりました。

決議事項ではありませんが、12月から主将に選任されています。

また令和1年度表彰において「打撃賞」を授与されましたが、写真等は明日詳報します。



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