2017年02月25日

白久保天満宮(群馬県中之条町)

2017年2月24日(金)  白久保天満宮(群馬県中之条町)

8:30頃にに船橋市を出て、11:45にJR吾妻線中之条駅に着きました。

「白久保(しろくぼ)天満宮」(群馬県吾妻郡中之条町大字五反田字白久保)の宵祭りに、毎年2月24日に行われている「白久保のお茶講」を観に来ました。

神社や「お茶講(ちゃこう)の家」のある白久保集落までは、既に路線バスが廃止されて久しく、タクシーで行くしかありません。

中之条観光協会の方に教えていただいた、中之条駅近くの「そばきり 吾妻路(あづまじ)」で蕎麦を戴いてから、タクシーで白久保の「お茶講の家」を目指しました。

「吾妻路」(「変わりそば」と「もりそば」)を、「群馬の地酒 利酒セット」(「馥露酣(ふくろかん)」(高崎市)と「群馬泉(ぐんまいずみ)」(太田市)、「結人(むすびと)」(前橋市))で戴きました。

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摘みのチーズは、「かえし」(醤油と味醂、砂糖)に浸けたもので、なんとも言えん程美味でした。

「変わりそば」というのは、うどんより太めの正方柱計の蕎麦で、つけ汁か醤油か塩に浸けて戴くことになってます。

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ヒマラヤ黒塩やヒマラヤ赤塩、マチュピチュインカ天空塩、アンデス紅塩、イラン岩塩ホワイトの5種類が並んでましたが、ヒマ黒とマチュにしました。

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神社には、「お茶講の家」でお茶講の準備状況を見学した後に15:30頃に参拝しましたが、150段位の石段を直急登したのでしんどかったです。



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2017年02月21日

鳥羽の火祭り

2017年2月12日(日)  鳥羽の火祭り

ホテルに荷物を預けて休憩した後、「鳥羽神明社(とばしんめいしゃ)」まで、40分ほど歩いていきました。

14:30頃に神社に着くと参道の右側に、高さが5mもある大松明「すずみ」が2基聳える姿に、圧倒されました。

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すずみは「神木(しんぎ)」を茅で包み、それを青竹60本でまわりを囲み籐で巻き上げ、根元に1年を表わす「十二縄(じゅうになわ)」を巻いたものです。

神木は、地元でアベマキと呼ばれている、枝付きの栃の木です。

神明社の西にある「宮西川」を境に東西の地区に分け、西を「福地(ふくち)」、東を「乾地(かんち)」と呼び、25歳の厄男である「神男(しんおとこ)」を1名ずつ選びます。

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15:00近くになると、神殿の隣の建物でワッショイワッショイと気勢を上げていた「神男」と100名ほどの「奉仕人」が、白い鉢巻を巻き、白足袋を履き、腹に晒を巻いた姿で現れました。。

15:00には、神男2人が御幣をもって先頭に立ち、奉仕人が隊列を組んで約1q南にある鳥羽海岸へ、禊の為に出発しました。

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15分ほどで海岸に到着すると、そのまま海の中に入って行き、遠浅の海の中を延々と沖に向かって進んでいきます。

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再び戻ってきたのが15:33頃でしたから、10分ほど歩いた先まで進んで、海水で首までを浸し、御幣は海の中で洗い落としたようです。

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海中での禊は、福地の神男が御幣を付けた竹棹を海に投げ入れ、これを乾地の神男が拾って終わった様です。

海中から上がって海岸の焚火で体を温めた後、15:45頃に、乾地の神男が御幣が取れてしまった竹竿を持ち、隊列を組んで神社に戻って行きました。

夜の「火祭り」まで時間があったので、三河鳥羽駅から1駅乗って吉良吉田駅まで戻り、「花友」で生ビと清酒「吟醸 尊王(そんのう)」(山崎合資、西尾市、300ml、15.5%)を飲んで、エナジーを補給しました。

19:30少し前には火祭りの神事が始まり、神男たちは拝殿でお祓いを受けます。

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神男や奉仕人たちは、古い幟で作った、白と黒の斑に見える衣装を身に着けていますが、黒いのは幟の文字で、魔除けの意味を持つと言われています。

神男が2人、「添棒(そえぼう)」(前年の神男)が2人、「奉仕人」(神男の補助をする者、各15名)30人、「水かけの者」、「払い棒で落ちた火を払い除ける者」、「火打ち石で火をつける者」、「合図の太鼓を打つ者」、「清めの塩をまく者」、その他「警護者」等で100名近くに上ります。

19:50頃に神事が終わると、拍子木が打たれる厳かな雰囲気の中、高提灯を先頭に、「宮司」達が「すずみ」の前まで整列して進みます。

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20:00過ぎには、神男たちが火打ち石により点火した火を、「ゆすり棒」の先端に括り付けた藁に移し、「ゆすり棒」によって2基の大松明「すずみ」の上部に同時に点火すると、2基の「すずみ」は、あっという間に燃え上がります。

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火が「一の藤(胴藤)」まで燃え移る頃(上から3分の1位)、「一の棒」を入れる太鼓の合図があり、神男たちは「すずみ」に「ゆすり棒」を突き刺して揺さぶります。

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奉仕人たちも梯子や丸太をよじ登って、「すずみ」をゆすったり、燃える茅を掻き出して下へ落としますが、「すずみ」につかまって全身でゆする奉仕人たちの姿や頭巾の形が猫に似ているところから、「ネコ」と呼ばれています。

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「ネコ」は火に包まれないように水を掛けてもらいますが、熱くて堪らなくなると、猫のように「すずみ」から飛び降りたりします。

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半分程燃えた頃、「二の棒」の合図の太鼓が鳴り、神男たちが「ゆすり棒」を「すずみ」に突き立てて揺さぶると、火の粉が舞い上がり、炎が神社の森を赤く照らします。

7割位燃えたところで、「三の棒」の合図の太鼓が鳴ると、奉仕人たちは茅をかき出して、「神木」を取り出そうとします。

「神木」は真っ直ぐな棒ではなく、枝が出て曲がっており、しかも燃え残っている青竹が邪魔になり、思うように引き出すことは大変ですが、奉仕人たちは必死で「神木」を取り出し、競って拝殿前に納めます。

火が煙に変わって立ち込める中で、「十二縄」を取り出して、競って拝殿前に納めます。

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勝負の結果によって豊凶を占う神事ですが、「福地」が勝てば、山間部が豊作に恵まれ一般に雨も多く、「乾地」が勝てば、干天が続いたり異変が起こると伝えられています。。

20:30には、両方の「神木」と「十二縄」が拝殿前に納められ、火祭りが無事終了したことが奉告され、神事は終了しました。

ホテルからは送迎バスが出ていたので、帰りは楽に帰れました。

翌日は、三河湾の長閑な風景を楽しみながら名鉄蒲郡線で蒲郡に出て、豊橋からこだま号に乗って帰りました。

豊橋駅では「飯田線秘境駅オリジナル弁当」と清酒「四海王 鬼殺し」(福井酒造、豊橋市、300ml、15〜16度)を買い込みましたが、昼間の酒は周りが素面なだけに良く効くので、私一人が‟夢の途中♬”(来生 たかお)」。

目の前を恐ろしい速さで、のぞみ号かひかり号がビュンビュン飛ばしていきますが、こだま号に乗って、来し方行く末に思いを馳せるのも、ええもんやなぁ。



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2017年02月20日

鳥羽神明社(西尾市)

2017年2月12日(日)  鳥羽神明社(西尾市)

8:15に近鉄伊勢市駅を発って、10:55には名鉄吉良吉田駅に着き、ホテルの送迎バスを待つ間に、駅の近くの「花友」という食事処で、「うなぎ長焼定食」を戴きました。

小さいけれど身が引き締まっていて、もちもちした食感がして、なかなか美味しかったです。

「鳥羽神明社(とばしんめいしゃ)」(西尾市鳥羽町、旧社格は「村社」)は、第51代平城天皇の大同年間(806〜809年)の創建と伝わっていますが、神宮寺消亡の際に、由緒記録等が焼失してしまったので、詳細は分りません。

1200年の歴史を有するとされる「鳥羽(とば)の火祭り」は、嘗ては旧暦1月7日に行われてきましたが、昭和45(1970)年以降は、毎年2月の第2日曜日に行われています。

25歳の厄男を中心とした「ネコ」と呼ばれる「奉仕人」が、燃えさかる大松明「すずみ」に立ち向かい、「神木(しんぎ)」と「十二縄(じゅうになわ)」を競って取り出し、神前に供える旧正月の行事です。



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2017年02月19日

高向御頭神事

2017年2月11日(土)  高向御頭神事

「高向御頭神事(たかぶくおかしらしんじ)」の歴史は、前稿の「高向大社」で書いた通りです。

6:45に御頭の行列が「会所(かいしょ)」を出発して高向大社へ着き、9:00から神社の祭典が行われたそうですが、それには間に合いませんでした。

必死に歩いて9:10過ぎに高向大社に着くと、宮司による御祓いが行われていましたが、神殿に向かって左側に「上社(かみしゃ)」の御頭、右側には「鏑(かぶら)社」の御頭が置かれています。

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9:30頃には、神前に置かれていた御頭が太鼓と松明に導かれて、「日和だー、日和だー」との掛け声とともに鳥居まで運ばれてきて、鳥居前の 「不浄除け石」を一周すると神殿へ引き返す、「日和見(ひよりみ)」という行事がありました。

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9:35頃から神前にて、「大社御頭(かみさん)」による「七起こし舞い」という獅子舞が奉納されました。

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「七起こし舞」は序段「中門入り」に始まり、1段目「おこし」から2段目「にのこうじ」、「りんがん」、「きりびょうし」、「とりまめ」、「かみいれ」、「すらへ」までの7段から構成されていて、素戔嗚尊の八岐大蛇退治の神話を表していると言われています。

11:00過ぎに舞は終わり、「鏑社御頭(かぶらさん)」による獅子舞が続けて行われますが、寒いので日の当たる場所に退散しました。

11:30過ぎには太鼓、松明とともに獅子は、「布久目物(ふくめもの)」に出掛けました。

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各戸が「ククメモノ」(布久目物)とか「厄を付す」と称して、金や米、餅を獅子に託し、「打ち祭り」行事によって村内を巡り、村境で「斬り祓い」儀式を行う事によって、新年の除災儀礼とされるものです。

12:00過ぎに各戸を回って来た上社の獅子は、上社の「禱屋(とうや)」である樋口幸・元彦氏宅に到着し、ここでも七起こし舞を奉納します。

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「禱屋」は高向大社の神祭(大祭・小祭)に奉仕し、2月の大祭・御頭神事の当日に「禱屋番」を努めます。。

当主が21歳以上の男子の家では、男子が20歳以上になれば禱屋入りして禱屋の資格を得、順番が来れば禱屋番を引き受けて、氏子としての責任を果します。

平成10年頃から少子高齢化の影響を受けて、禱屋入りする人数が減少してきて、大変だそうです。

七起こし舞に先立って、玄関前で、代わる代わる御頭を掲げて左右に振って、「前髪や」とか「ろくや」(26歳のこと)とか「中老や」とか叫びながら気勢を上げます。

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「大社御頭(かみさん)」は26歳歳が優先的に揚げる権利があり、「鏑社御頭(かぶらさん)」は23歳だそうです。

神事には「共盛団」という組織があり、それには古来から継承されてきた年齢に応じた、下記の5つの職制があります。

1.「前髪(まえがみ)」:16歳から18歳までの団員。

2.「額地(がくち・ひたいじ・したいじ)」:19歳から20歳までの団員で、「前髪」を指揮して、若衆中の雑役処理に当たる。

3.「若衆(わかしゅう)」:21歳から30歳までの団員で、 9段階あり、23歳と26歳は、御頭を1番に揚げる特権がある。

4.「中老(ちゅうろう)」:31歳から41歳までの団員で、若衆からみて老分である。

5.「年寄役(としよりやく)」:42歳以上に資格がある。

接待係の方から清酒を勧められ、腹も減っていたので、蒟蒻や竹輪、沢庵を摘みに美味しく戴いていたら、紙コップに4杯くらいも飲んでしまいました。

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神社では、この辺にコンビニか食堂はありませんかと尋ねたら、富山県新湊から娘さんの嫁ぎ先にやってきたというご婦人から、コンビニは無いから小型のバウムクーヘンをどうぞと2個も戴いたので、大いに感謝しています。

「七起こし舞」の奉納が終わると、「口取り(くっとり)舞」が禱屋宅座敷で、奉納されました。

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14:00過ぎには、獅子は禱屋宅を出て、「布久目物」に出掛けました。

夜行われる「打ち祭り」まで時間があったので、一旦ホテルにチェックインして休憩し、ホテルのレストラン「伊勢みやび」で「伊勢志摩めぐり」(「てこね寿司」と「伊勢うどん」)を、清酒「宮の雪 冷や生貯蔵酒」(宮崎本店、四日市市、13度、300ml)で戴き、腹ごしらえをしました。

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「会所横ツムギ祭場」で「打ち祭り」の始まるのを待っていたら、19:20頃に松明に導かれて獅子行列がやってきて、祭場の火を三周してから、元来た道を戻って「斬り祓い」祭場へと向かいました。  

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村の村落の狭い街路を2頭の御頭行列が行き、道中ずっと代わる代わる御頭を振りかざし、左右に振り回していきます。

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22:00過ぎには 「斬り祓い」祭場に到着し、行列は会所へ戻って行きました。

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会所に戻って「お方踊り」が舞われた後に「打ち祭り」は終了しますが、斬り祓い祭場で終わったと勘違いして、このまま帰りました。

村はずれの斬り祓い祭場まで来てしまって、何処にいるのかサッパリ分からなくなったので、周りの人に訊きまくって、何とか宮町駅に辿り着きました。



2017年02月18日

高向大社(伊勢市)

2017年2月11日(土)  高向大社(伊勢市)

「高向(たかぶく)大社」(三重県伊勢市、旧社格は「村社」)の「御頭神事(おかしらしんじ)」は、2009年以降は、2月の第2土曜日に行われています。

伊勢地方では獅子のことを「御頭(おかしら)」といい各地で神事がおこなわれていますが、高向大社のものは特に有名で、約800年の伝統があります。

JR豊橋駅を5:47に発ち、8:10に近鉄伊勢市駅に着いてホテルに荷物を預け、高向大社に着いたのは9:00頃になりました。

伊勢市駅から1駅の宮町駅に着いて駅員に訊いても、高向大社の場所が分からないので、茫然自失。

それはないやろ、なんでやねん!

気を取り直して、予習して頭に叩き込んできた地図を頼りに出発し、途中で訊きまくって、何とか辿り着くことが出来ました。

明治41年に近隣の2社を合祀しましたが、御薗村の神社合祀には参加せず、孤高を保ったそうです。

伝えによると、長暦2(1038)年、高向の住人で本滝定行という人が、3年前から枯れていた大きな柳の木を切って、2頭の御頭を作り、「大社」と「加布良(かぶら)社」に献進しました。

杉の木のヤニの中から化生したと言われる「木椙」という男子が12歳頃になった頃(1181年)、全国的な天候異変や悪疫が蔓延する「養和の大疫」が発生し、この地方でも多くの死者が出たそうです。

この時、神が木椙に乗り移り、氏寺の神庫から御頭を出し、長老・神役人・村役人らを従えて村中をお祓いの舞をして回ると、悪疫が退散し、激しかった流行病もぴたりと止まりました。

これが「御頭神事」で舞われる獅子舞の始まりであり、高向獅子神楽の舞人が「杉太夫」といわれる由縁です。



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2017年02月17日

豊橋鬼祭

2017年2月10日(金)  豊橋鬼祭

「安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)」(愛知県豊橋市)で行われる「豊橋鬼祭(おにまつり)」は、翌日は伊勢市で行われる「高向神事」を観に行くので、「宵祭」だけを鑑賞することにせざるを得ませんでした。

「鬼祭」は、 元々、日本の神話を田楽に取り入れたものだと言われています。

江戸時代初期に、それまでの田楽中心の農村的祭礼から、賑やかな「赤鬼と天狗のからかい」中心の都市的祭礼へと、変化していったと考えられています。

田楽の一種が豊年を祈る特殊神事として、古式を崩さずに継承され、神楽と田楽の混淆が著しい所に、特徴があります。

神楽には、「笹良児(ささらこ)神楽」や「日の出神楽」が、田楽には「赤鬼と天狗のからかい」や「司天師(してんじ)田楽」があります。

8:00から行われたとされる「青鬼修祓」は、場所が特定出来なかったので、観ておりません。

9:40頃には、神殿の南の方にある「潔斎殿」の前に、「青鬼」(「赤鬼」や「天狗」とは違って「神役」ではない)の担当町である「中八町」の子供達が集まり、「あーおー」と大声を上げています。

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10:10頃には、青鬼が両脇を抱えられて潔斎殿から出てきて、神殿の前に設えられた「八角台」まで走って行くと、子供達も付いて行きます。

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青鬼には、八町通3丁目に住む、満年齢12歳の男子が、選ばれています。

岩戸舞は、古代服を着た「天児屋命(あまのこやねのみこと)」や「太玉命(ふとだまのみこと)」、「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」の3神によって舞われ、青鬼に扮した「手力男神(たちからおのかみ)」が、力強い所作を披露します。

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その後「青鬼厄除飴まき行事」が行われ、八角台から「タンきり飴」が撒かれましたが、ポジションが良くなかったので、1つもゲットできませんでした。

11:00ごろからはランチに出掛け、その後「吉田城」や「吉田神社」を訪ねました。

13:00前に神社に戻り、神殿に向かって左にある「神楽殿」において奉奏された「五十鈴神楽」を観ました。

この後も16:00まで時間が空いたので、ホテルにいったん戻り、休憩しました。

16:25過ぎには、青鬼が氏子地域から神社へ戻って来て、再度、岩戸舞と青鬼厄除飴まき行事が行われました。

今度の飴まきでは、前回の失敗からの学習効果が出たのか、3個をゲットしました。

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袋の中身が気になったので1個を開けてみると、片栗粉がぎっしり詰まっていて、その中に小さな「タンキリ飴」が数個入っています。

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青鬼は神社を後にして氏子の各戸を訪問し、ご祝儀をもらった後、氏子を片栗粉で真っ白にして、気勢を上げながら次の家へと向かいます。

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結構速いペースで進むので付いて行くのを諦めてホテルに戻り、豊橋駅前の「「いちょう」という店で、「なめし田楽」(菜飯と豆腐田楽7本)を、生ビと冷酒で戴きました。

これまでに既に14,601歩歩いていたし、これから夜の本番に備えて、体を温めておく必要がありました。

19:00少し前に「潔斎殿」を覘くと、「赤鬼と天狗のからかい」に出演する「赤鬼」(大学生の18歳、中世古町)と「天狗」(実習教員の23歳、飽海町)の衣装合わせが、着々と進められています。

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19:00過ぎには「夜宮祭」が始まり、先ずは「司天師(してんじ)田楽」や「笹良児(ささらこ)神楽」が舞われました。

司天師田楽は、2人の「司天師」(足や腰を打たれて傷ついた2神、旭町の46歳と旭本町の42歳)が、夫々小太鼓と皷を打ちながら、傷ついた足を引くような所作をして、面白可笑しく蓆の周りを廻る、古式豊かな素朴な踊りです。

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八足とんで、八方どこへ行っても安全で危害を受けることなく平穏無事であることを意味し、国内の平安になったことを喜びあう踊りです。

司天師を先頭にして6人の笹良児が2列に並んで、「拍板」言われる小板を綴り合わせる楽器を持って付き従い、司天師の1人がポンと皷を打つと、もう1人がテンと小太鼓で受け、笹良児がザラと拍板で拍子をとるので、「ポンテンザラ」と呼ばれています。

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19:40頃、子供たちが潔斎殿の前で「あーかー」と叫ぶ中、赤鬼と天狗が出てきて、最も人気のある「赤鬼と天狗のからかい」が始まりました。

日本神話から採られた武神である「天狗」が、荒ぶる神である「赤鬼」を懲らしめると、赤鬼は自分の非に気づき、お詫びとして「タンキリ飴」を人々に渡していくそうですが、今夜は予習なので其の部分はありません。

「赤鬼」は総身赤の装束で固めた巨躯を白の太い紐でかがり、虎の皮の褌を締め、赤と銀の「だんだら」巻きの撞木をかざし、赤い髪を後ろに長く垂らし、橙を刺した御幣を背負っています。

「天狗」は甲冑に身を固め、太刀を佩き、侍烏帽子を頂き、薙刀を持っています。

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赤鬼が手を上げてさし招くと、天狗もこれに答えて手を上げて招き、天狗は薙刀を構えて大地を踏み締めながら歩み寄り、跳び上がったりして赤鬼に迫ると、赤鬼は八角台の前ま追い詰められます。

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その後赤鬼は参道を退きますが、天狗に追い詰められると秘術である「からかい」の所作を赤鬼が行うと、天狗は怒って薙刀を持ち直して赤鬼に起ち向かいます。

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赤鬼は再三挑戦するものの叶わず、だんだん追いつめられ、八角台のところまで追い詰められて、遂に逃げ出していきます。

天狗もそうですが、重たそうな衣装をまとった赤鬼は更に大変そうで、立ち止まったところでは、はあはあ息をし、ぜいぜい喘いでいます。

21:00頃には、天狗は八角台の上に上り、神前に報告します。

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21:30頃には 「司天師田楽」が、再度舞われました。

途中で小雪が舞う厳しい寒さの中行われた夜宮祭が終了したのは、22:00近くになりました。



2017年02月16日

吉田神社(豊橋市)

2017年2月10日(金)  吉田神社(豊橋市)

吉田城の北を流れる「豊川」に沿って西に歩くと、「吉田神社」(旧社格は「県社」)があります。

「吉田神社略記」には「花火ノ創始ハ羽田吉田綜録二、永禄元年今川義元公吉田城城代太原肥前守知尚花火を始ムトアリ、云々」とあり 、吉田神社が「手筒(てづつ)花火」の発祥の地とされています。

しかし、豊川市の「進雄神社」を、手筒花火発祥の地とする説もあるようです。

7月第3金・土・日曜日に行われる「祇園祭」では、金曜日に境内で約300本の手筒花火が奉納されますが、花火は氏子町内会が手作りして、それを神輿がわりに担いで練り歩いて、奉納するそうです。

13:00には神社に戻って「五十鈴神楽」を観ましたが、その後はホテルに戻ってチェックインし、暫し休憩しました。



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2017年02月14日

三河吉田城(豊橋市)

2017年2月10日(金)  三河吉田城(豊橋市)

安久美神戸神明社は「豊橋公園」のすぐ南にあります。

鬼祭の「青鬼出動」と「岩戸舞」が11:00前に終わったので、豊橋公園のすぐ西にある豊橋市役所の13階にある「COSTA RICA city garden」で、ウィークリーランチを戴きました。

天気が良いので東三河を見渡す眺めは素晴らしかったのですが、東側の豊橋公園の中に「三河吉田城」が見えたので、訪ねてみました。

S化学で合成樹脂の国内営業を担当していた頃にA社には良く通いましたが、工場と豊橋駅近辺を往復しただけで、豊橋市内を観て回るのは初めてです。

吉田城は16世紀初頭の戦国時代に建てられましたが、この地が東海道53次の宿場町であり、伊勢への航路の湊町として要衝にあったので、戦国時代には争奪戦が繰り返されたそうです。

江戸幕藩体制では、譜代の大名が統治してきたようです。



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2017年02月13日

安久美神戸神明社(豊橋市)

2017年2月10日(金)  安久美神戸神明社(豊橋市)

市川ライオンズの土曜日の野球練習が休みになったので、「豊橋鬼祭」を始め、「高向の御頭神事」(伊勢市)や「鳥羽の火祭り」(愛知県西尾市)の鑑賞に出掛けます。

6:26東京駅発ひかりで豊橋駅には7:58に着いたので、駅上のホテルに荷物を預けて、先ずは神社へ直行しました。

豊川鉄道の市内電車の「1日フリー乗車券」を購入して、豊橋駅から15分程の所にある神社との間を、結果的には3往復しました。

「安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)」(愛知県豊橋市、旧社格は「県社」)は、天慶3(940)年、平将門の乱の鎮圧を喜んだ朱雀天皇が、豊川左岸の「飽海荘(あくみのしょう)」を伊勢神宮へ寄進した「神領地(神戸)」を起源としています。

明治18(1885)年、旧社地(現豊橋公園)が陸軍用地となったのに伴い、現在の地に奉遷されました。

「豊橋鬼祭(おにまつり)」は、本来大晦日に行う年越しの神事でしたが、昭和43(1968)年からは、祝日(建国記念の日)である2月11日を「本祭」とし、その前日に「宵祭」を行っています。



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2017年01月30日

市川ライオンズB 2017新年会

2017年1月29日(日)  市川ライオンズB 2017新年会

市川ライオンズの新年会が、JR本八幡駅近くにある「くつろぎや」でありました。

Bチーム登録選手17名の内12名と、還暦登録もした古希選手3名が参加しました。

テニスの朝練を午前中に終えて、昼から出掛けました。

今期から2部に昇格しただけに、先ずは2部残留、あわよくば準優勝以上で1部昇格を狙いたいところです。

飲み放題なので誰に遠慮することもなく、生ビ、梅酒、マッコリ、焼酎、赤ワインを戴き、テニスで乾いた肉体を潤すことが出来ました。

捕球体勢についてコーチから指摘を受けたので、これからの練習の中で、直していかねばなりません。

足力や打撃については好い評価を受けたので、更に磨きをかけていきたいと思います。

新年会の後は、日曜日でカラオケ店が混んでいたので、何とか見つけたカラオケ店で先ず歌い、梯子して2次会で更に歌い続けました。

沢山の曲を歌いましたが思い出せるのは、「襟裳岬」や「ゆうすげの恋」、「北の蛍」(以上、森進一)、「いっそセレナーデ」、「ホテルはリバーサイド」(以上、井上陽水)、「わかってください」(因幡晃)、「最後の恋」(クミコ)、「浪花恋しぐれ」(都はるみ/岡千秋)、「悲しい酒」(美空ひばり)、「中の島ブルース」(クールファイブ)、といったところです。



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2017年01月24日

沈黙

2017年1月23日(月)  沈黙

孫娘が、入学試験休みだったので、「沈黙 サイレンス」を観に行きました。

遠藤周作の難しい小説ですが、昨春の九州旅行で「遠藤周作文学館」(長崎市東出津町)を訪ねた折に、一応読んでいきました。

2016年3月27日に投稿した「ハウス・テン・ボス(宮殿)」(2016年3月22日(火)訪問)にも触れています。

神は存在するのかといった、難しい問題を突き付けています。

宗教的には仏教による支配体制が確立した日本に、当時カソリック教が攻め込むことは、無理だったようです。

イオンモール八千代緑が丘店にある「Buffet Pasti」で、イタリア料理を鱈腹食べられて、孫娘は大満足でした。

私も税抜き999円の飲み放題で、生ビと赤白ワインを戴きながら、映画について、孫娘との会話を楽しみました。



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2017年01月18日

伏見稲荷大社御旅所

2017年1月11日(水)  伏見稲荷大社御旅所

今回の京大病院は冬期の道路事情を考慮して、「JR50+」を利用して、こだま号のグリーン車で、お茶を飲んで読書しながら行きました。

宿泊した京都駅近くのホテルの北側に、「伏見稲荷大社御旅所」(南区西九条)があることを、初めて知りました。

寒い京都の夕暮れ時とて、参拝者は私以外に居ませんが、「大神宮」(祭神:天照皇大神、豊受皇大神)、「上命婦社」(祭神:上之命婦)、「下命婦社」(祭神:下之命婦)の3殿が祀られています。

普段は静かですが、4月20日前後の日曜日〜5月3日の「稲荷祭」の期間には、大変賑わうそうです。

日程を見ると、神輿が稲荷大社から2時間で御旅所に着いているので、なんでやねん、と思ったのですが、5基の神輿はトラックで運ばれるようです。

稲荷祭の「氏子区内巡幸」が、伏見稲荷大社から可成り離れた此の近辺で行われるのが、意外です。

夜は久し振りに、酒の強い従弟(父の弟の次男)と京都駅近辺で飲み、新幹線の発着を窓越しに見ながら、カラオケで交互に10数曲ずつ歌ったので、グッスリ眠ることが出来ました。

幼い頃からよく遊んだ従弟から、「伯母さん(私の母)の喋り方と一緒やもん」と言われた時には、母の性格に私が一番似ていると思っていたものの、やっぱりそーなんだ、と思いました。

アメリカ合衆国で生活している従兄(父の長兄の長男)が、従兄弟姉妹会をしたがっているのは前から聞いていましたが、実現できそうにないので、この秋にでも2人でアメリカへ行こうかという話にもなりました。

翌日は京大病院の後、宝が池で高校の同級生の主宰するサークルに寄せてもらって、テニスをしてから帰りました。

京都駅構内では「松葉」のにしん蕎麦を昼食に戴き、八重洲では「マグロ茶屋 北の浜」で、刺身と野菜サラダを、生大で戴きました。



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2017年01月17日

日体大軟庭部出身の本チャン

2017年1月10日(火)  日体大軟庭部出身の本チャン

旅先で知り合った、日本体育大学軟式庭球部出身の“本チャン”と、テニスのお手合わせをさせて頂くことになりました。

旅行中、お互いの経歴や体形、膝・肩・腰等の身体状況、年齢、最近のテニス運動量等について、腹の探り合いに終始しました。

所詮は、決着がつくまでの御慰みですが。

D大学軟式庭球部出身の友人とはいい勝負であると告げると、当初からの上から目線的風貌に、わずかながら表情や顔色に変化が認められたので、この辺がポイントになりそうです。

またTK大学硬式庭球部出身の友人には、70歳になったらシングルスで打ち破る計画だったものの、癌で亡くなってしまったので、目標の1つが失われたという話に対しても、多少の反応がみられました。

今日は「藤沢周平展」を三越本店まで観に行く予定だったので、その帰りに、葛飾区でオーナーシェフをしておられるフレンチレストランを訪れて、美味しくてヴォリュームのある料理を、赤フランスワインで戴きました。

お手合わせの場所や人選、日程等についても、話し合いました。



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2017年01月16日

ルアンパバーンから成田へ

2017年1月7日(土)  ルアンパバーンから成田へ

ルアンパバーン空港での荷物検査では、ダメもとで米焼酎と水をリュックに入れた儘にしていたのですが、幸いにして取られなかったので、待合室で結局一本720mlを“完飲”して、凄く幸せな気分になりました

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19:10ルアンパバーン発ヴェトナム航空VN930便でハノイに向かい、トランジットして00:45ハノイ発VN310 便で、成田には7:00に帰着しました。

ハノイ空港のラウンジの設備は中々のものでしたが、麺はインスタントという有様だったので、適当に飲んでました。

飛行時間が4時間強しかなかったので、ワインを一杯飲むと一眠りしました。

機内の朝食は和食を選択し、Made in Vietnamの料理を戴きましたが、もう朝なので酒類は止めました。

まぁしかし、よう飲んでよう歌うた旅行やったなぁ。



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2017年01月15日

ルアンパバーン(2)

2017年1月6日(金)  ルアンパバーン(2)

5:30の気温は18.6℃で、雨は上がりました。

象乗りはネパール以来ですが、ここには犀がいない代わりに、象の頭に乗せてもらいました。

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“鐙”はなく、掴まるところは象の耳の骨の部分しかなく、それも前後に動くので、落ちたらどないなるんやろと思うと、怖かったです。

胡麻が振られた川海苔の揚げ物が、少し油濃かったものの物凄く美味しかったので、またまた米焼酎40%が進みました。

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「ワットシェントーン(Wat Xiengthong)」は、1560年にセーターティラート王が建てた、反りの激しい2〜3重屋根の、ルアンパバーン様式の仏教寺院です。

「ワットマイ(Wat Mai)」は、1778年に建造された、最上格の王宮寺院です。

「王宮博物館」は、フランスが保護領時代の1909年に、「シーサワンオン(Sisavang Vong)王」の住居として建設したものですが、王を地下牢に幽閉して衰弱死させたそうです。

「プーシー(Phousi)丘」(「仙人」の意)は高さが150mあり、町の眺望が見事です。

スーパーでは、野球俱楽部の皆さんへの土産にタイ製のビスケット、娘の家で飲むためのワイン、韓国製海苔を買いました。

今まで何処の国でも、使い残した現地通貨では足りない金額を、クレカで支払ってきましたが、ここではそれが出来ないので、不足額は米ドルで支払いました。



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2017年01月14日

ルアンパバーン(1)

2017年1月5日(木)  ルアンパバン(1)

4:30 の気温は17.9℃で雨が降っているので、少し肌寒く感じます。

外国人観光客が、仏教徒と同様にかどうかは知りませんが、功徳を積むことが出来る場所があり、あたりでは供物を売る露店も出ています。

シロ系の人間が多かったように思いますが、キリスト教圏の者には、仏教儀式は物珍しいんでしょうね。

雨の降る中を5:00過ぎから待つ中、6:00頃になってやっと2つの僧侶の小行列がやってきました。

朝食では、太めのうどん型の米麺を選びました。

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「サンハイ村(Ban Xang Hai)」では、「ラオラーオ」を製造しており、出来立てを試飲させていただきました。

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「Lao Lao Whisky」(小瓶60t?、50%)、「Lao Rice Wine(白)」(15%)、「Lao Rice Wine(赤)」(15%)の3点セット(各10,000キープ=150円)を、日本への持ち帰り用に購入しました。

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酔仙さんや滋賀のK君に飲んでもらう為に、置いておくのは至難の業かな?

サンハイ村からモーターボートでメコン川を遡上クルーズし、北へ25qにある「パクウー(Pak Ou)洞窟」に到り、4,000体の仏像が並ぶ洞窟を見学しました。

昼食には、ペットボトルに詰め替えた米焼酎40%が、進みました。

午後は、ルアンパバーンの北32qにあり、ラオスの九塞溝と言われる「クワンシー滝(Tat Kuangsi)」を見学しましたが、シロ系の数人が寒くないのか泳いでいました。  

夜市を散策してから、郷土料理店「ソンパオ(Sonphao)」で夕食にしましたが、夜市ではラオコーヒーを買ってみました。

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民族舞踊は、以下の5曲が舞われました。

1.Lao Phane ラオスの独立を祝う踊り

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2.Phao モン族の踊り

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3.Ling 宮廷での猿踊り

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4.Dok Champa 国花チャンパの踊り

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5.Nang Keo ファーグム王妃ケオに捧げる踊り

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17:00の気温は22.5℃、21:00で20.6℃ですから、涼し目です。



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2017年01月13日

ジャール平原

2017年1月4日(水)  ジャール平原

標高が高いので、5:00の気温は15.9℃と低めです。

ホテルが丘の上にあったので、歩き回ることはなく、周囲の展望を楽しめました。

「ポーンサワン(Phonesavan)市場」は、モン族の集まるところです。

土竜(我々の見たところでは太ったネズミで体長20p強)や燕、水牛の角が珍しいものですが、違法なものもあって、販売者が嫌うので、写真は公開できません。

「ジャール平原(Plaine des Jarres)」は標高1,000mにあり、「モン・クメール(Mon Khmer)族」が、紀元前500年から紀元後800年頃に残したと考えられている「石壺」(フランス語でJarres)が散乱しています。

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石壺は大きなものでは高さが3.25mもあり、中が刳り貫かれています。

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石棺説が有力ですが、酒・米貯蔵のためのものという説もあり、定説には至っていないそうです。

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蓋の付いた石壺は一つだけですが、ありました。

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ここはまたヴェトナム戦争の激戦地ですから、所々に爆撃による大きな穴が残っており、洞窟は火葬場になっていました。

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地雷処理が「MAG(Mines Advisory Group)」という団体によって完了したという標識も見られましたが、標識外に出ることは自殺行為です。

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濃霧や雨の中を、ポーンサワンから北西へ約340qにある「ルアンパバーン(Luang Phabang)」(ヴィエンチャンからは北へ約400q)に向け移動しました。

昼食は道路沿いの料理店で、「フー(Feu)」を戴きました。

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ルアンパバーンは人口が約40万人(2005年)あり、「ファーグム(Fa Ngum)王」(在位1353〜1372年)が「ランサーン(Lanexang)王国」(1353〜1707年)の都をおいたところで、日本であれば京都か奈良といったところです。

夕食はルアンパバーンで、フランスコロニアルスタイルのレストラン「エレファント」で摂りました。

19:00の気温は21.6℃、22:00には20.0℃と、少し北にあることと雨が降っているせいか、若干肌寒く感じます。



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2017年01月12日

ヴァンヴィエン

2017年1月3日(火)  ヴァンヴィエン

5:30の気温は22.7℃なので、寒くはありません。

繁華街を朝散しましたが、ハングル文字の看板が目立ちます。

朝食会場にも韓国人が多く、メニューにもキムチがあるので戴きましたが、ちょっと塩辛かったです。

メコン河の支流「ナムソン(Nam Song )川」をボートで上り下りしましたが、私は桂林には行ってませんが、桂林とは名ばかりで、「タムチャン(Tham Chang)洞窟」という鍾乳洞も今一でした。

ヴァンヴィエンから北東へ310qの道のりを、曲がりくねった標高1,000〜1,400mの山道を走って、「シェンクワン(Xieng Khouang)県」(人口約26万人)の県庁所在地「ポーンサワン(Phonesavan)郡」(人口約6万人)まで移動しました。

「プークーン(Phou Khoun)」の町から7号線に入ると、嘗てのホーチミンルートです。

道沿いには、「モン・クメール(Mon・Khmer)系語族」に属する「カム(Khmu)族」の高床式住居や、「モン・ミエン(Hmong・Mien)系語族」に属する「モン(Hmong)族」(中国では蔑称で「苗族」と呼ばれる)の高床でない住居が見られます。

モン族の正月は年末から年初にかけて村ごとに行われており、所々で民族衣装に着飾った娘達や若者達が、毛の禿げたテニスボールを、向かい合って投げ合っていました。

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気に入った者に投げることを通じて、カップルが生まれて来たそうです。

ポーンサワンのホテルでは、カラオケで孫娘が教えてくれた、ピコ太郎の「Pen-Pineapple-Apple-Pen(PPAP)」の触りだけを演じました。

ここは標高1,050mにあるので、19:00の気温は19.1℃、21:30では17.9℃と、すこし低めです。



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2017年01月11日

タレーブアデーン

2017年1月2日(月)  タレーブアデーン

5:00の気温は22.8℃で、ラオスよりも高めです。

朝食には、厚さ2〜3oの、日本で売られている餅2個の入った雑煮を戴きました。

ラオスでは糯米が主流なのですが、餅には出くわさないので、朝食ビュッフェでは、餅のコンビネーション雑煮は作れません。

ウドンターニーから東へ約40qにある「タレーブアデーン」(「赤い睡蓮の湖」の意)に行き、湖上に咲き乱れる睡蓮の花を鑑賞しました。

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睡蓮(Water Lily)は蓮(Lotus)とは似ていますが、違います。

ラオスへの入国では、数十分ほど足止めを食らいましたが、袖の下がらみの様です。

昼食はヴィエンチャンの「Kualao」という、野田首相や小泉首相も食事したレストランで、「パカオ(Pa Kao)」という幕の内弁当のような形式の食事を戴きました。

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先日買い込んだ「ラオスの黒米焼酎」を、250ml(清酒換算3合強)のミネラルウォーターペットボトルに詰め替えて、肌身離さずに持ち歩いているので、腹が膨れて料理がまずくなるビールを飲まなくて済みます。

ヴィエンチャンの北160qにある、ラオスの桂林と呼ばれる「ヴァンヴィエン(Van Vieng)」に向けて、蛇行を重ねる国道13号線を北進しましたが、途中のガソリンスタンドで、ラオラーオ(720ml、40%、12,000キープ=180円)を見付けたので、1本買い込みました。

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ヴェトナム戦争時の米軍の飛行場跡にバスから降ろされて、オンボロトラックでホテルまで搬送されました。

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湯浴み後には買い込んだワインを2合飲んで好い調子になっていたら、夕食時にホテルの計らいで1ショットのラオラーオが振舞われましたが、11杯中の8杯が私の所に集中したので、えらいことになりました。

結局、お返しのような形で、「浪花恋しぐれ」や「六甲おろし」、「法善寺横丁」といった、関西に関する曲を、アカペラで歌わせていただきました。

前を流れるナムソン川の向うから聞こえてくる、正月気分の大騒音も気にならずに、眠りにつきました。

18:30の気温は29.5℃、21:30の気温は25.9℃でした。



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2017年01月10日

ヴィエンチャン市内観光

2017年1月1日(日)  ヴィエンチャン市内観光

5:00の気温は20.1℃で、快適です。

元旦の朝は、餅の代わりに米麵が入った“雑煮”を戴きました。

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ホテル周辺の一区画を朝散したら、ラオス初の王国「ランサーン(Lanexang)王国」(1353〜1707年)を建国した「ファーグム(Fangum)王」(在位1353〜1372年)の銅像がある公園では、カウントダウンのガラパーティの宴の跡を、後片付け勤しむ方々が居られました。

パラパラと降って来たので、バスストップで雨宿りしました。

ホテルで紅白歌合戦の前半部分を見て、趣向が随分変わったなと思っていたら、帰国後ネットには、今年の企画に賛否両論が渦巻いていました。

「ワットシーサケット(Wat Sisaket)」は、ルアンプラバンからヴィエンチャンに遷都した「セーターティラート(Setthatirath))王」(在位1548〜1571年)により、1551年に建てられたヴィエンチャン最古の仏教寺院です。

本堂内の壁龕には2,052体、回廊の壁龕には3,420体の仏像が安置されています。

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ラオスには韓国からの観光客が圧倒的に多いのですが、仏教寺院なので足を露出している人は、シンという巻きスカートを穿かされますが、多くの女性が穿かされていました。

他国の文化には無頓着な心根が、垣間見えたように思います。

「ワットホーパケオ(Wat Ho Phra Keo)」は、セーターティラート王によって1562年に、エメラルド仏を安置するために建てられました。

本物はタイに略奪されてバンコクにあるそうですが、タイ族とは近親関係にありながら幾度か戦火を交えているので、御多分に漏れず近親憎悪の仲にあるようです。

「タートルアン(That Luang)」は、16世紀中葉にセーターティラート王により建立された仏教寺院の大本山で、85m角の基台の中心に、45mの仏舎利塔が建てられています。

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昨晩ライトアップされた姿を見た「パトゥーサイ」は思ったより大きくて、高さは45m(模したとされるパリの凱旋門は50m)あり、膝に違和感を抱えながら昇降しましたが、最上階からの眺めは中々素晴らしかったです。

2階部分にある土産物店で、ラオスの地図が描かれたTシャツ(25,000キープ=400円弱)を購入しました。

ラオス最大級のマーケット「タラートサオ(Talat Sao)」(「朝市」の意)には、本社を渋谷区神社前(神宮前ではない)〇〇大厦に置く「MINISO?、メイソウ」なる店が繁盛しており、ユニクロやダイソー、無印等の代役を務めています。 

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午後、隣国のタイの「北の都 ウドンターニー(Udon Thani)」へ移動しましたが、正月休みにタイに遊びに行く人達で、ヴィエンチャンから20q程の国境は混雑していたものの、1時間程度で出入国は完了しました。

夕食時には、ラオス料理レストランでの流れのままに、「雪国」や「分かってください」、「恋」、挙句の果てにはデュエット曲「銀恋」まで、アカペラで歌ってしまいました。

国境から約50q南のウドンターニーは流石に暑く、18:00には26.4℃、20:30でも25.6℃ありました。



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2017年01月09日

コーン島

2016年12月31日(土)  コーン島

窓が開けにくい部屋だったので気温測定はしてませんが、メコン河畔を朝散した時の体感温度は、17〜18℃といったところでしょうか。

6:30頃の日の出では「陽はまた昇る」(谷村新司)ことはなかったものの、「♬ ホテルはリバーサイド、川沿いリバーサイド、朝散もリバーサイド、Ohリバーサイド ♬」 (森進一)ということになりました。

おまけに偶々“托鉢もリバーサイド”ということになり、僧侶6人が、茣蓙を敷いて待っていたおばあさんたちから、主に米飯の施しを受けていましたが、なぜか犬どもも6頭集まってきて"托口”してました。

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コーング島から約20q南下して、シーパンドーンのコーンパペン滝とは反対側の、カンボディア国境に近い西端にある「デット(Det)島」と「コーン(Khon)島」に、渡しボートで渡りました。

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下流にあるコーン島の南端で上げた船や貨物を、「鉄道橋」を渡ってデット島の北部まで運搬する為の鉄道を、フランスが建設しました。

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「ソンパミット(Somphamit)滝」はコーン島の西端近くにありますが、この落差を船が遡上するのは、先ず無理でしょうね。

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この落差の所為でラオスの発展が遅れたとは、よく言われたり書かれたりしてますが、この天然の要害のお陰で侵略を免れて、今の部分が生き残れたの鴨。

鉄道橋のたもとにあるレストランでの昼食では、「Beerlao Gold」(330ml、5%、15,000キープ)と「Beerlao Black Lager」(330ml、6.5%、15,000キープ)を飲みましたが、Beerlao よりはコクがあり美味しかったです。

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パクセーで有名な富豪おばあちゃんが経営するスーパーでは、「ラオス黒米焼酎」(720ml、25%、パクセー産、110,000キープ=1,650円)とフランスワイン「ENTRECOTE」(720ml、13.5%、95,000キープ=1,400円)を買い込みました。

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パクセー17:30発「ラオス国営航空(Lao Airlines)」QV224便でヴィエンチャンへ戻り、「TAMNAK LAO」というラオス料理店で、「カオプン」というラオス料理を戴きました。

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民族音楽の楽器による演奏と民族舞踊を鑑賞した後、周りの煽てと声援に乗せられて、舞台で「北国の春」を歌いました。

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ホテルへの帰途、ライトアップされた「パトゥーサイ(Patou Xai)」(「勝利の門」の意)を見ましたが、1967年に着工された、戦没者慰霊のためのものです。

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ヴィエンチャンのホテルでは紅白歌合戦が何年か振りに視聴出来、いく年くる年も見ていたら眠くなったので、周囲のカウントダウンを目的にしたガラパーティの大騒音も気にならずに、眠って仕舞いました。



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2017年01月08日

ワットプー

2016年12月30日(金)  ワットプー

早朝5:00の気温は16.1℃なので、長袖シャツを羽織るといい感じです。

ヴィエンチャン発8:10「ラオス国営航空(Lao Airlines)」QV223便(ATR72-600、プロペラジェット機)で、南へ約670qにある「パクセー(Pakse)郡」に9:25に着きました。

パクセー郡は、「クメール(Khmer)族」発祥の地である「チャムパーサック(Champasak)県」(「県」は全国に16ある)の県都で、人口が10万人ありラオス第2の都市です。

「ワットプー(Wat Phu)」(「山の寺」の意)は、パクセーから南へ35qの「チャムパーサック郡」(「郡」は全国に140ある)にあり、7世紀に建てられたヒンドゥー寺院でしたが、現在では仏像が本尊として祀られています。

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クメール族がすぐ南にある現在のカンボディアに移動して、アンコール文化を開花させました。

本殿奥の祠堂は7世紀のチャム様式ですが、本殿は12世紀のアンコール様式とされています。

参道の北側に建てられた「北宮殿」の廃墟を歩いていたら、少し上方の石壁にグリーンスネイクの類の蛇が張り付いて、下を睨みつけているではありませんか。

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肝を冷やしたので、膝の違和感も忘れて、その下を全速力で走り過ぎました。

カンボディア国境のすぐ北にありメコン川の舟運を妨げている「シーパンドーン(Siphan Don)」(「4,000の島」の意)までは、ワットプーからパクセーまで戻って「日本ラオス友好橋」でメコンを渡河し、国道13号線を100q程南下しました。

昼食の中国料理では「川海苔のスープ」が美味でしたが、「ビアラーオ(Beerlao)」(640ml、5%、15,000キープ=約230円)で戴きました。

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「シーパンドーン」にある「コーンパペン(Khonephapheng)滝」は落差20m程、幅が300mある最大の滝ですが、迫力は雨季にはこんなもんではないそうです。

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「Khong(コーング)島」内にあるリゾートホテルでの夕食では、「ラオラーオ(Lao Lao)」(「ラオスの酒」の意、米焼酎、40%、1ショット5,000キープ=約75円)も2杯試してみました。

ビールのように腹が張らないので、今後は此れやな、と思いました。



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2017年01月07日

成田からヴィエンチャンへ

2016年12月29日(木)  成田からヴィエンチャンへ

9:30成田発ホーチミン行きヴェトナム航空VN 301便で、「ラオス人民民主共和国(Lao People's Democratic Republic)」へと向かいました。

中央アジアや西アジア、南アジア、東南アジア地区への旅行の、一応の一区切りの“中締め”とするために、未だ一度も行ったことのないラオスを訪問しました。

ラオスはタイのタイ族との関係が深く、我々が見た目では区別がつきかねますが、タイ東北部のイサーン地方(2013年正月前後に訪問)やカンボディア北部(2010年1月に訪問)と国境を接しており、密接な関係にあります。

今回は一部しか見る機会はありませんが、北部には多くの少数民族が居住しており、ヴェトナムや中国南部にいる仲間との繋がりもあります。

ホーチミンとプノンペンでトランジットして、19:25(日本との時差2時間)に、ラオスの首都「ヴィエンチャン(Vientiane)」に着きました。

成田でも空いてましたが、ヴィエンチャンは首都の空港にしては小ぶりで乗客も少なかったので、荷物の受け取りやパスコンがスムーズに終わりました。

ヴェトナム航空のビジネスクラスのラウンジは立派で、成田やホーチミン、プノンペンでは、ホーなどの料理やワインの類をどんどん戴きました。

機内では「かぐらめ」と「家族はつらいよ」という、“2本立て”の映画を鑑賞しました。

ヴィエンチャンは北緯18度にあり、標高は100m程度ですが、気温は21:00で20.9℃と、過ごしやすい気温です。



posted by yone at 20:24| Comment(6) | TrackBack(0) | 海外旅行(ラオス) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月25日

GOGO80忘年会

2016年12月24日(土)  GOGO80忘年会

地元の野球倶楽部「GOGO80」の忘年会が、「ふる里」という居酒屋で行われました。

会員26名中16名が参加しましたが、私は、平均年齢74.3歳の中では、下から3人目の若造″です。

市川ライオンズの今年最後の練習を市川市で終えて、交通渋滞の中を1時間以上掛けて船橋市の自宅へ戻り、20分歩いてやってきました。

いつもの通り、大いに飲み食べ話しました。

二次会は2駅歩いてカラオケに行き、森進一「命与えて」、松山千春「恋」、都はるみ&岡千秋「浪花恋しぐれ」を歌いました。



posted by yone at 12:47| Comment(4) | TrackBack(0) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月24日

薬研堀不動院

2016年12月23日(金・祝)  薬研堀不動院

ウランバートルへ行く前に孫娘と、JR浅草橋駅で降りて両国まで、歴史散歩しました。

「柳橋(やなぎばし)」では、昔ながらの黒塀を、一軒だけ見つけました。

柳橋の南にある、真言宗智山派大本山川崎大師平原寺の東京別院「薬研堀(やげんぼり)不動院」(東京都中央区東日本橋)は、古くから目黒、目白と並び「江戸三大不動」とされているようです。

明治25(1892)年以降、川崎大師の東京別院となっていますが、秀吉の焼き討ちを受けた際に、「根来寺(ねごろじ)」にあった本尊を、大印僧都が背負って東国に下り、この地に堂宇を建立したのが始まりだそうです。

狭い所ですが、境内には「順天堂発祥之地碑」や「講談発祥記念之碑」が建てられています。

「両国橋」を武蔵国から下総国側に渡って両国では、「春日野部屋」や「出羽の海部屋」といった相撲部屋を通りましたが、ひっそりしていました。

「吉良邸跡」の隣にある「EDO CAFÉ 縁処」でお茶をして、「和菓子と緑茶」を戴きましたが、孫娘は凄く美味しいと言って喜んでました。

「安田庭園」は改修のため閉園中であり、「国技館」はAKBかなんかの公演があるとかで入れず、時間を持て余してしまいました。

夕闇の中「回向院(えこういん)」で、義賊「鼠小僧次郎吉」の墓を見学したりして時間を潰し、早めにウランバートルに着きました。



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2016年12月23日

ウランバートル(両国のモンゴル料理店)

2016年12月23日(金・祝)  ウランバートル(両国のモンゴル料理店)

ウランバートルへ行ってきました、ただし東京は両国のモンゴル料理店。

2014年7月以来のモンゴル料理です。

孫娘や娘達との非宗教的クリスマス会ですが、明日のEVEは都合が悪いので、今日になりました。

モンゴルウオッカ以外は日本の酒だったので、フランスワイン(BARON DE LESTAL BORDEAX)を娘とシェアしました。

先ずは、「ボーズ」 (ミンチ羊肉と野菜の入ったモンゴルの餃子)と「ホーショール」(ミンチ肉と野菜の入ったモンゴルのピロシキ) を摘みにしました。

どの料理もヴォリュミナスなので、少しづつ頼みました。

次は「ウランバートル・サラート」 (ピーマン、人参、キュウリの自家製ピクルスのサラダ)や「バンシ」(羊肉が入った茹で餃子)を戴きました。

メインにした「ラムのスペアリブ」は、モンゴルで食べた塩茹でとは違って、日本的な味付けがなされていました。

娘たちは締めに、「ゴリルタイ・ショル (モンゴルのうどんスープ) を選び、完食していました。

デザートの「チャチャルガンジャム入りヨーグルト」は、少し酸っぱい味が爽やかでした。



posted by yone at 22:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 海外旅行(モンゴル) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月20日

了仙寺・玉泉寺他(下田)

2016年12月18日(日)  了仙寺・玉泉寺他(下田)

テニスの朝練に孫娘とともに参加した後、孫娘達と下田温泉(静岡県下田市)への旅行に出掛け、「黒潮ホテル」に一泊しました。

夕食前には部屋付きの露天風呂でテニスの汗を流し、翌朝には展望露天風呂で、前の晩の卓球と寝汗を流しました。

娘は専ら「サッポロ生ビール黒ラベル中びん<伊豆ラベル>」を飲んだので、私は「SAPPORO WINE POLAIRE」(サッポロワイン製造、11%)を飲みながら、地魚や伊勢エビ料理を美味しく戴きました。

夕食後は、貸し切りのカラオケと卓球を楽しみましたが、孫娘は卓球が一番楽しかったようです。

翌月曜日は、下田市内の寺院を中心に観光しました。

嘉永7・安政元(1854)3月、神奈川において「日米和親条約」が締結されて下田が開港場となると、ペリー艦隊が次々と入港してきたので、「日蓮宗 法順山了仙寺(りょうせんじ)」は上陸したペリー一行の応接所となりました。

また同年5月には、日米和親条約の付帯協定「下田条約」が調印されたので、了仙寺は「玉泉寺」と共に米人休息所ともなりました。

了仙寺の近くにある「真言宗 大浦山長楽寺(ちょうらくじ)」は、安政元 (1854)年にプチャーチンと「日露和親条約」が締結された場所で、安政2(1855)年には「日米和親条約」の批准書が交換された場所でもあります。

伊豆急下田駅近くにある「八幡山宝福寺(ほうふくじ)」は、下田奉行所跡であり、「唐人お吉」の菩提寺です。

歩いても近くにある「稲田寺(とうでんじ)」には、お吉と関係の深かった船大工の「鶴松」が眠っています。

下田港近くにある「 安直楼(あんちょくろう)」は、 苦悩の生涯を送ったお吉が、明治15(1982)年から小料理屋を営んでいたと言われています。

「曹洞宗 瑞龍山玉泉寺(ぎょくせんじ)」は、日本初のアメリカ領事館が置かれた所で、安政3(1856)年に米国総領事「タウンゼント・ハリス」が着任しました。

「日露和親条約」の交渉場所でもあるので、米露両国人の墓もあります。

興味深かったのは、境内に「日本最初の屠殺場の跡(屠牛木)」や「牛乳発祥の碑」があったことです。



posted by yone at 11:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 例大祭、神輿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月17日

市川ライオンズ総会・納会

2016年12月17日(土)  市川ライオンズ総会・納会

「古希・還暦市川ライオンズ球団」の「平成28年度定期総会」が、JR市川駅近くの「山崎製パン企業年金会館」で行われました。

今年度活動報告や決算報告、来年度活動計画、来年度予算案が、承認されました。

来年のチーム編成は、各人の希望が尊重されますが、希望が著しく偏重した時には、5チーム(還暦A・B、古希A・B、D)の監督によるドラフト会議で、再配分されます。

私は「還暦B」を継続しますが、退部2人を始め、「浦安ベイクラブ」への移籍3人、「船橋クラブ」への移籍1人、「古希A」への転出2人で、計8人が去り、「還暦A」から2人、「古希A」から1人が転入したので、来期は在籍者17人となります。

総会に引き続き会館地下で行われた納会では、大いに食べて飲み、野球談議に花を咲かせ、坂本冬美「また君に恋してる」と、森進一「命あたえて」を歌わせていただきました。

納会の終了後、還暦Bの仲間たちとカラオケに行き、森進一の「ゆうすげの恋」や高山巌「心凍らせて」、堀内孝雄「恋歌綴り」、五木ひろし「暖簾」等を歌いました。

「ドンマイ(D)チーム」の84歳の先輩からは、君はカラオケが上手いので、「野球小僧」という曲をマスターしておくようにと歌詞を手渡されたので、来年の納会では歌えるようにしておかんといけません。



posted by yone at 17:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月04日

サングリーンテニスクラブ朝練忘年会

2016年12月4日(日)  サングリーンテニスクラブ朝練忘年会

サングリーンテニスクラブでの朝練参加者の忘年会が、津田沼駅近くの台湾料理店「百楽門」で、Y監督以下8人が出席して行われました。

内訳は、70歳台2人、60歳台3人、50歳台1人、若手″の40歳台と30歳台が各1人という、日本社会の縮図とも言うべき構成です。

50歳以上でシングルスに執念を燃やしているのは、流石に私だけですが、40歳台の若手″に朝練の後、シングルスの練習試合を、時々お願いしています。

今の所私は、70歳シングルス乃至は75歳シングルスに照準を定めて、練習に励んでいます。

何人かはくたばって仕舞わないかとお互いに思っているんでしょうが、ここまでくると中々しぶとく、生き永らえる者が多いのが実情です。

例年のことながら、色んな台湾料理を、紹興酒で美味しく戴きました。




posted by yone at 16:51| Comment(5) | TrackBack(0) | テニス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月30日

梶岡杯初戦(監督″としての初勝利)

2016年11月30日(水)  梶岡杯初戦(監督″としての初勝利)

「市川ライオンズ」の球団員約90名を4つのチームに分けて行う「梶岡(元阪神タイガース投手)杯」の2日目(初日は降雪のため中止)が、「国府台球場」(千葉県市川市)で行われました。

私が振り分けられた「ジャイアンツ」は「イーグルス」と戦いました。

3年目の今年は世話役に推薦されたので、正世話役として副世話役のSさんとファミレスでランチミーティングをして、守備や打順等に頭をひねりました。

ベンチに入ると、世話役は諸先輩からも「監督」と呼ばれ、色んな質問にも、的確に対処していかねばなりません。

EDH制が採用されるので14名全員が打席に立ち、投手以外は、原則として3イニング以上守備に就きます。

投手は連続3イニング以内とされ、再登板ができませんが、野手としては出場出来ます。

6番ショートで先発しました。

第1打席は2塁への内野安打となり、2盗の後、得点を挙げました。

第2打席は右中間に落ちるヒットを放ち、2盗の後、2点目の得点を記録しました。

第3打席は、5-5の同点で満塁の場面で、左中間への鋭い打球を打ったものの、センターの好守に阻まれて単打に終わりましたが、打点2を記録し、勝利打点になりました。

守備では、2塁封殺の投球ミスを一回しましたが、それ以外は無難にこなし、三遊間のゴロを逆シングルで捕球してアウトにすることも出来たので、まあ満足のいく結果でした。

試合は11-5で勝ち、監督″としての初采配を、勝利で飾ることが出来ました。



posted by yone at 21:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする