2017年08月17日

「三戸のオショロ流し」は小雨降る中で

2017年8月16日(水)  「三戸のオショロ流し」は小雨降る中で

「三戸(みと)のオショロ流し」は、神奈川県三浦市初声町三戸(はっせまちみと)に伝承される、盆の精霊送りの行事です。

毎年8月16日早朝に、飾り付けられた「オショロブネ(精霊船)」と呼ばれる大きな藁船を海岸で作り、「セイトッコ」と呼ばれる子供達が沖まで泳ぎながら船を曳いて行き、先祖の霊を海の彼方に送るものです。。

4:52に北習志野駅を発って、京急堀之内駅で「横須賀の高等遊民」君と合流し、7:20頃に三戸海岸に着きましたが、彼の勧めでタクシーに乗っていなければ、道に迷った挙句、可成り延着したものと思われます。

三浦市初声町は三浦半島の南西部にあり、相模湾に面した集落で、畑作を中心とする農業と漁業を生業としてきた地域です。

海岸にそって北から「神田」、「北」、「上」、「谷戸」(自治会組織のうえでは、上と谷戸が1つの単位)の4つの地区があり、従来は3つの地区ごとに藁船を作ってきましたが、今年は上谷戸に一本化されました。

三戸では関東では珍しく遅盆で行われており、13日に各家では盆棚を設えて、「オショロサマ(御精霊様)」と呼ばれる一対の円筒形の飾り物を供物とともに供え、先祖の霊を16日早朝に三戸海岸から集団で送り出すものです。

3地区の区長と統括する大区長を中心に保存会が組織され、セイトッコと呼ばれる子供組によって伝承されてきました。

セイトッコは、小学1年生から中学3年生までの男子で構成される年齢集団で、地区ごとに組織されていますが、その上に「コワカイシュウ」、「シュクロウ」、「セワニン」などと呼ばれる年齢階梯の制度があります。

セイトッコは最も下の年齢集団にあり、「元服式」が終わると、次のコワカイシュウに昇格します。

セイトッコの居る家々は1年交替の輪番制で、行事の当番となる「ヤド(宿)」を務めます。

従来は15日の深夜から明け方にかけて、セイトッコは浄土宗寺院(谷戸上「光照寺」、北「霊川寺」、神田「福泉寺」)から、墓に供えられた供物を集めて三戸海岸まで運んでいましたが、今では供物をお供えする物が限られてきたので、実施されていないそうです。

6:00頃にセイトッコの男親達が三戸海岸に集まり、オショロブネを作り始めたようですが、7:20頃には。竹で骨組みを作り麦藁を縄で縛り付けて船体が作られていました。

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地区の家々では盆棚を片付けて、オショロサマや供物を持って浜に向かい、オショロブネの近くに並べて線香を手向けます。

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オショロブネは全長7mほどあり、、花飾りや折り紙、「セガキバタ(施餓鬼旗)」、供物、オショロサマ、笹に結びつけた五色旗や新盆の家が持参した提灯等が、差し立てられたり置かれたりします。

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7:30頃にはオショロブネの舳先に、「船板」と呼ばれる、長さ1m、幅20p程度の8枚の木板が縄で取り付けられました。

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飾り付けが終わると、8:00頃に、3寺院の僧侶達が読経します。

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8:05過ぎには、男親達に担がれたオショロブネが海の上に運ばれ、セイトッコは海に入り、オショロブネはセイトッコに曳かれながら沖に向かいます。

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8人のセイトッコは、船板に掴まって横一列になり、沖を目指して泳いで船を曳いていきます。

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セイトッコの男親達を乗せた3艘の船が、オショロブネの周りを取り囲みながら並走します。

オショロブネが岸を離れていくと、僧侶と地区の女性方によって、「和讃」が詠われます。

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オショロブネが初声漁港の防波堤付近まで進むと、セイトッコ達は並走してきた2艘の船に乗り込み、オショロブネは1艘の船が防波堤の向こうにある海岸まで曳いて行きます。

セイトッコ達は8:30過ぎに4人づつ船に乗って戻ってきた後、身体を温めるために、自宅の風呂に入るために引き上げていきました。

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オショロブネは、嘗ては西の方角に向けて沖に流し、その後は海岸で燃やしてたそうですが、8:40頃にパワーショベルで引き揚げられた海岸で、ごみとして分別回収されます。

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「オミシメサマ」という小さな2体の木像で、セイトッコが祀る子供の守り神がありますが、海岸での行事が行われている間に、セイトッコが風呂に入れて洗い清めたそうです。

オミシメサマは「ヤド」に受け継がれるもので、「オンベ焼き」と呼ばれる正月行事(どんと焼き)が終了すると、次のヤドを務める家に、御幣とともに引き継がれます。

セイトッコ達は自宅で風呂に入った後、「龍徳山 光照寺」そばにある集会所に集まり、弁当を食べて労をねぎらわれたそうです。

この行事は、先祖の霊を大きな精霊船で、集団として送るものとして、注目されます。

また、セイトッコと呼ばれる年齢集団によって行事が伝承されており、年齢階梯的な役割分担や年番制「ヤド」の慣行など、伝統的な要素を少子化が進むなかでよく残しています。

堀之内駅で途中下車して、寿司を肴に飲んで帰りました。

神奈川県には、6件の「国指定の重要無形民俗文化財」がありますが、これで全てを鑑賞したことになります。



2017年08月11日

八戸三社祭「お還り」は山車よりも御輿行列が見もの

2017年8月3日(木)  八戸三社祭「お還り」は山車よりも御輿行列が見もの

今日は、「八戸三社大祭」の「お還り(おかえり)」(還幸祭)が行われます。

孫娘の「テニス初心者大会」(千葉県柏市・柏の葉公園で9:00から)の試合が4日に入ったので、今晩も夜走りせざるを得なくなり、10:00にホテルをチェックアウトして、街中を散歩しました。

三社の1つである「神明宮」を訪ねると、境内に「大魔神」の山車(廿六日町山車組)が安置されていて、人達は「お還り」巡行の準備に余念がありません。

「お祭りInはっち」では、三社大祭関係の展示や上映の他に、「えんぶり」等の上映もあり、有効に時間を費やすことが出来ました。

昼食は、「吟翠」で前日食べそびれた、「せんべい鍋と地魚刺身2点盛」を戴きました。

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「お還り」の行列は、長者山新羅神社に近い「鍛治屋町」を15:00に出発し、六日町、朔日町、十一日町、十八日町、八日町を通って、18:45頃に「さくら野百貨店」到着まで巡行しますが、山車はトラックに曳かれて出発地点に集合して来ます。

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神明宮、長者山新羅神社、法霊山龗神社の順番で、御輿行列の後に、山車が供奉します。

三神社の行列では、「大神楽」や「虎舞」のほか、歯打ちの音が特徴の「山伏神楽」や「高館駒踊」、「笹の葉踊り」など、多彩な芸能が堪能できます。

「大神楽」は、「廿六日町大神楽」(神明宮)や「中居林大神楽」(新羅神社)、「重地大神楽」(龗神社)です。

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虎舞」は、「長者山麓・八戸虎舞」(新羅神社)や「湊虎舞」、「新井田虎舞」、「左比代(さびしろ)虎舞」(龗神社)です。

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「山伏神楽」は、「笹ノ沢神楽」(神明宮)や「法霊神楽」(龗神社)です。

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「高館駒踊」は神明宮、「笹の葉踊り」は龗神社の行列に加わっています。

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龗神社以外の御輿行列はさくらの百貨店で終わり、夫々の神社方面に戻りますが、龗神社の御輿行列は、さくら野百貨店交差点を右折して龗神社へ還幸し、18:00から「還御奉告祭」が行われました。

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境内では、「重地大神楽」や「笹の葉踊り」、「法霊神楽」、「新井田虎舞」、「左比代(さびしろ)虎舞」が奉納されました。

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夕食を、通りすがら目星をつけていた「菊の里 鼓」で、寿司や「海鞘(ほや)」、鯖刺身を戴いた後、柏までの長距離夜間走行に挑みました。

孫娘は助手席でグーグー眠ってましたが、私は睡魔と闘い続けました。

千葉県中学生テニスダブルス初心者大会で、孫娘は思ってたより真っ当にプレーしていたので、多少は安心しました。。

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2017年08月10日

八戸三社大祭「中日」は煌めく山車の夜間巡行

2017年8月2日(水)  八戸三社大祭「中日」は煌めく山車の夜間巡行

騎馬打毬のあとホテルにチェックインして、「八戸三社大祭(はちのへ さんしゃたいさい)」の中日の山車の巡行を観に中心街に繰り出し、以前に来たことのある「さんりく」という店で夕食にしました。

三社大祭は、7月31日の前夜祭、8月1日の「御通り(神幸祭)」、2日の「中日(なかび)」、3日の「御還り(還幸祭)」、4日の後夜祭という日程で行われます。

今年は「ユネスコ無形文化遺産」への登録を記念して、特別に「ユネスコ記念祭」が8月5日に行われます。

「中日」の今日は、山車が巡行するだけで、神社行列はありません。 

「三社」とは、「法霊山龗神社(ほうりょうさん おがみじんじゃ)」と「長者山新羅神社(ちょうじゃさん しんらじんじゃ)」、「神明宮(しんめいぐう)」のことで、三社の神輿行列と、市内各町を中心とした組の27台の華麗な人形山車が、八戸市中心街を巡行します。

享保6(1721)年、八戸藩総鎮守として厚く信仰されていた「法霊社」(現在の龗神社)の神輿を、「長者山虚空蔵堂」(神仏分離令により長者山新羅神社に)に渡らせたのが三社大祭の始まりです。

明治17(1884)年になって参加した「長者山新羅神社」や、明治20年(1887)年から参加した「神明宮」の各神社行列に、「附祭(つけまつり)」として27台の巨大な人形山車が市内中心街を巡行します。

神明宮からは7つの山車組、龗神社からは11、新羅神社からは9つの山車組が参加しています。

日本の故事伝説や歴史に題材を求めたものが多く、どれもこれも似たり寄ったりのようにも感じられるのですが、「京劇 西遊記」(柏崎新町附祭)や「三国志・蜀建国記」(十六日町山車組)というのもあります。

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「阿弖流為(あてるい)」(内丸親睦会)は、東北らしくて好いと思いました。

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「日本の国技『相撲』天津神と国津神の国譲り起源神話」(八戸市職員互助会)では、稀勢の里の土俵入りと相撲の起源が表現されています。

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「中日」の巡行は18:00に「さくら野百貨店」(三日町)前を出発し、八日町、十八日町、十一日町、朔日町、六日町、十六日町、廿六日町(神明宮)、廿三日町、十三日町、三日町、という目抜き通りを1巡した後、21:00頃にまた元に戻ってきます。

山車は当初は1体の人形を乗せる程度でしたが、明治の中頃から物語を表現する山車に変化し、昭和50年代頃から徐々に仕掛けが施されるようになりました。

山車は最大のものが幅8m、奥行き11m、高さ10mにもなるほど巨大化しているので、道幅に合わせて前方の舞台を左右に広げたり、電線の下を通過すると、主役の人形を飾った表舞台を、上にせり上げたりします。

山車は大型トラックの台車の上に据え付けられていて、自前の動力は多少は備えているようですが、巡行時は各山車組の町内の子供や大人達が一緒になって曳行します。

最近では水蒸気を吹き上げる仕掛けなんかも多くなり、豪華というよりも何か興行的なものを感じますが、町内での製作労力は大変なものでしょう。

「弘前ねぷた」や「五所川原の立佞武多」とは違って、「青森ねぶた」のように図体ばかりは大きいものの、何かそれだけという方向に向かっているような気がします。

ライトアップされた山車は、昼間の巡行とはまた一味違った雰囲気を醸し出しているようです。



2017年08月09日

「加賀美流騎馬打毬」はすごい迫力

2017年8月2日(水)  「加賀美流騎馬打毬」はすごい迫力

「八戸三社大祭(はちのへ さんしゃたいさい)」の「中日(なかび)」の今日は、長者山新羅神社「桜の馬場」で、文政10(1827)年に始まった「加賀美流騎馬打毬(かがみりゅう きばだきゅう)」が奉納されます。

打毬の歴史は古く、古代ペルシアで武術訓練として発祥したものが長い時間をかけて世界へ広まり、地域の状況に従って変化を遂げてきたと言われています。

日本へは唐(618-907年)を通じて伝えられ、貴族が打毬に興じる様を表した雅楽の「打毬楽」から始まるそうです。

続いて渤海から、「徒打毬(かちだきゅう)」が伝わりましたが、少年や婦人が打毬の基本技術を身につけるために設けられたとも考えられ、近代ホッケーの原型になったとも言われています。

やがて、馬の改良や馬術の普及、そして武士の台頭などによって騎馬打毬が広まり、徒打毬とともに宮廷の年中行事の一つとして行われるようなりましたが、その後は律令国家の衰退や地方豪族の勢力拡大、武士団の勃興に伴い、打毬は衰退の一途を辿ります。

その後は律令国家の衰退や地方豪族の勢力拡大、武士団の勃興に伴い、打毬は衰退の一途を辿りますが、それから遥かな時を経た江戸時代中期、8代将軍吉宗享保元年(在位:1716 - 1745年)によって騎馬打毬は復興されました。

八戸藩では、文政10(1827)年に8代藩主が「桜の馬場」を開設し、その落成を祝して、初めて加賀美流騎馬打毬が奉納されました。

「加賀美流」の呼称は、南部氏の遠祖「加賀美次郎遠光(かがみじろうとおみつ)」から来ています。

騎馬打毬は明治時代以降には衰退し、現在は宮内庁と山形県「豊烈神社(ほうれつじんじゃ)」、そして此処の3箇所でのみで継承されているそうです。

14:00過ぎ、競技が始まる前に免許皆伝授与式が行われ、4人の騎馬武者が保存会の会長から「打毬免許 打毬の巻」を授与されましたが、常々の練習が必要なんです。

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続いて試合開始前には、白軍と赤軍の「毬童子(まりどうじ)」各1名が、本殿に向かって左奥にある門から出てきて、右側の奥の方に進み、赤白各4個ずつの毬(ソフトボールに紅白の色を塗ったもの)を地面に置いていきます。

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「桜の馬場」は両側を高さ3-4mの土手に囲まれた、長さ100m、幅18mの細長い馬場で、馬場中央の観戦台では「打毬師範」が試合を見守ります。

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馬場の左奥に門があり、真ん中に「中門」、その両側に「白毬門」と「赤毬門」、更に外側には「白馬出入門」と「赤馬出入門」があります。

両軍の出入り門から、白赤両軍の騎馬武者4人づつが馬場に入場してきました。

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やがて両軍の騎馬武者たちは馬場の右奥に進み、開始の合図とともに門に向かって歩を進め、「毬杖(きゅうじょう)」で地面に置かれた毬を掬い上げて、投毬すべく「毬門」目指して猛進します。

「毬杖(きゅうじょう)」は長さが約2.25mありますが、先が袋状になっていないので、扱いは難しそうです。

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観た所騎馬武者の役割は得意技によって分けられているらしく、打毬する武者、相手の打毬を妨害する武者、相手の毬を後方へ置きに行く武者、等様々です。

中には、相手の毬を馬の糞の上に置く騎馬武者もいたので、笑っちゃいました。

門の手前約18mに立てられた幟の手前から、幅が2〜3m、高さが5〜6m程の「白毬門」と「赤毬門」に直接投げ入れて、4つ全ての毬を先に入れた方が勝利します。

毬杖の扱いが難しそうなので、“シュート”はなかなか決まりませんが、決まった時には、赤軍が成功すると鐘が撞かれ、白軍が成功すると太鼓が鳴らされます。

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両軍が1毬づつ入れた時点から、互いに相手の投毬を妨害することが可能になります。

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投毬に向かう武者とそれを阻止する武者がぶつかり、掬い上げる武者とそれを阻止する武者がぶつかり合う様は壮絶です。

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土手の上に座って観ていましたが、孫娘は途中で、土手に駆け上がってくる馬の激しい動きに恐れをなして、後ろの方に退却してしまいました。

3回戦が行われ、2勝1敗で勝利した白軍の騎馬武者は、主審を務める「見定奉行(みさだめぶぎょう)」を先頭に打毬師範の下に進み、褒美として白い扇を授かります。

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嘗ての競技馬は「南部馬」でしたが、既に全滅したので、現在は南部馬に近い「道産子(どさんこ)」(北海道和種)が活躍しています。

八戸市にある「POLOライディングクラブ」では道産子を飼育し、日頃から乗馬体験等で体力を付けさせ、年に1度の晴れ舞台に送り出しています。

競技は人だけでは成り立たないので、道産子のここでの日常のケアが、大きな意味を持ってきます。



2017年08月08日

関還連会長旗争奪第5回関東古希軟式野球東京大会で古希野球界にデヴュ

2017年8月8日(火)  関還連会長旗争奪第5回関東古希軟式野球東京大会で古希野球界にデヴュ

「都立大井埠頭中央海浜公園野球場」(東京都品川区)で行われた「関還連会長旗争奪古希野球東京大会」で、古希野球界にデヴュしました。

古希Aチームの監督から、今回は東京で近く、雰囲気に慣れておくための好い機会だから、是非来なさいと言われて参加しました。

2年に1度は熱中症などで救急車が呼ばれ搬送されるという過酷な大会ですが、我々の前に行われた試合では、投手が倒れて救急搬送されたそうです。

相手の「東京さざんか倶楽部」(東京)には、15-2で、5回コールド勝ちしました。

私は当然ベンチスタートでしたが、4回に代打で出場させてもらいました。

ここは一丁ええとこ見せたろという気持ちが強かったのか、変化球を強振して、空振り三振、ホロニガ古希デヴュとなりました。

練習しただけで、かなりきつかったですが、守備機会がなかったので、身体は元気でした。

明日は、準々決勝戦で、「還暦野球越谷クラブ」(埼玉県)と当たります。



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「加賀美流騎馬打球」鑑賞のために長者山新羅神社へ

2017年8月2日(水)  「加賀美流騎馬打球」鑑賞のために長者山新羅神社へ

昼食後、市内の南の方にある「長者山新羅神社(ちょうじゃさん しんらじんじゃ)」(青森県八戸市、旧社格は県社)まで歩きました。

長者山には古くから様々な祭祀が行われていたらしく、八戸藩初代藩主によって勧請された「祇園」と俗称された堂祠を前身とし、延宝6(1678)年に2代目が、南部氏の遠祖である「新羅三郎源義光」を勧請し「虚空蔵堂」と号したのが「新羅神社」の始まりだそうです。

八戸藩奥南鎭守として歴代藩主から尊崇され、造営・改築は藩直営で行われました。

文政10(1827)年にも改築が行われて「桜の馬場」を開設し、例祭に「加賀美流騎馬打毬(かがみりゅう きばだきゅう)」を奉納するようになりました。

打毬は騎馬で行う「騎馬打毬」と馬を用いない「徒打毬(かちだきゅう)」の2種があり、騎馬打毬は南部家の「加賀美(かがみ)流」馬術の訓練として当時江戸で行われていた打毬を取り入れ、武芸奨励の目的で導入されたものと言われています。

神仏分離により社号を「新羅神社」と改め、昭和51(1976)年に現社号である「長者山新羅神社」と改称されました。

「八戸三社大祭(さんしゃたいさい)」は、「龗(おがみ)神社」と「神明宮」と合同で、7月31日から8月4日にかけて行われます。

毎年2月に行われる「えんぶり」でも有名です。



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2017年08月07日

GOGO80の暑気払いの後はカラオケで発散

2017年8月7日(月)  GOGO80の暑気払いの後はカラオケで発散

いつもの通り11:00からGOGO80の練習をして、打撃練習を1回り(通常は2回り)で切り上げて、12:00から高根台公園球場そばの松林の中で、暑気払いの会を持ちました。

運動の後なので、ビールが面白いように、乾いた身体に吸い取られていきました。

一しきり野球を始めとした話題に花を咲かせた後、有志によるカラオケに移りました。

今日のメンバーには新しい人もいたので、新しい歌も聴けました。

私は、いつもの「分かってください」(因幡晃)から始めて、「君こそわが命」(水原弘)と「傷だらけの人生」(鶴田浩二)を歌いました。



posted by yone at 18:52| Comment(2) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

早池峰神社から龗(おがみ)神社へ移動

2017年8月2日(水)  早池峰神社から龗(おがみ)神社へ移動

花巻市内のホテルを8:30頃に出てから、東北道と八戸道を80qクルーズ走行して昼前に八戸(はちのへ)市に着き、ホテルの駐車場に車を止めて市内を下見しました。

「法霊山龗神社(ほうりょうさん おがみじんじゃ)」(青森県八戸市、旧社格は「村社」)は、八戸市内では最古と言われる神社です。

「おがみ」の漢字は難しい文字で、雨冠の下に「口」を横並びに3つ、その下に「龍」を書きます。

産土信仰が生まれ始めた頃、八戸村柏崎の産土神として祀られるようになったのが、 龗神社の始まりと言われており、その後大和朝廷の蝦夷征討により中央の文化が伝わってくるとともに、産土信仰が神道と結びついていきました。

鎌倉時代、熊野などで修業を積んだ「法霊(ほうりょう)」という高い徳を持った霊験あらたかな修験者が、諸地方で教えを説きながら東北の地に戻って来ました。

八戸村に入った法霊は、雨乞いの祈祷に優れた山伏だったので、村人の為に寝食を忘れて祈祷しましたが、感謝した村民は、法霊の霊を「法霊社」という神社として祀りました。

「盛岡藩」が成立すると、「法霊社」は「八戸城」の館神とされましたが、寛文5(1665)年に「八戸藩」が成立すると、藩神の地位を得て「八戸藩総鎮守」となり、大名家の祈願所となりました。

規模も拡張され、八戸城二の丸に遷座されたので、当時は一般領民の参拝は許されませんでした。

現在では、八戸市中心部にある神社とか総鎮守ということから、地元経済界の一部では龗神社による祭祀執行が名誉な事と考える風潮があるようです。

「八戸三社大祭(さんしゃたいさい)」は、享保6(1721)年に行われた「長者山新羅神社(ちょうじゃさん しんらじんじゃ)」への神輿渡御に始まりましたが、明治17(1884)年から新羅神社との2社祭礼となり、更に5年後には「神明宮」が加わり、現在の形となりました。

八戸市役所は龗神社から近い所にあり、広場には三社大祭に巡行する山車(だし)が10台程纏めて置かれていて、今夜行われる「中日(なかび)」の夜間巡行を待っています。

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昼食は「さくら野百貨店」の向かいにある「郷土料理 魚や 吟翠」という店で、「鯖のすいとん」が入った「八戸定食」を戴きました。 

気温は若干低めとはいえ、夏の日射の下を歩き回って乾いた咽喉は、生ビで癒しました。



posted by yone at 07:59| Comment(0) | 寺社、宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

早池峰神楽

2017年8月1日(火)  早池峰神楽

境内にある神楽殿では、御輿渡御の最中にも近隣の神楽団体が神楽を奉納にきますが、11:40頃から「岳(たけ)流 浮田神楽」(「幸神社」に奉納する神楽座)が、奉納しました。

「早池峰(はやちね)神楽」は、「里神楽」のうちの「山伏神楽」に分類されており、「早池峰山」で修験した山伏が行った祈祷の舞が神楽になったとも言われています。

早池峰神楽は「大償(おおつぐない)神楽」と「岳(たけ)神楽」の2つの神楽座の総称で、大迫町(おおはさまちょう)の大償、岳の2地区に伝承されてきました。

岳地区は大迫町の中心部から北東に17kmも奥にあり集落としては早池峰山の最も近くに位置しています。

岳神楽は元々は、開山が正安2年(1300年)と伝えられている「妙泉寺(みょうせんじ)」に伝わっていた神楽ですが、神仏分離以降は早池峰神社に奉納されるようになりました。

妙泉寺の門前に住んで仕えていた「六坊職(ろくぼうしょく)」と呼ばれた人達の末裔である6軒の家が神楽を伝えてきましたが、現在では11戸あり、各家の長男が伝えています。

早池峰神社には文禄4(1595)年と記された獅子頭があることや、大償修験の先達を務めた山陰家から伝えられたという長享2(1488)年の神楽伝授書があることから、早池峰神楽は南北朝時代にまで遡るものと考えられています。

早池峰神楽では一般的には、始めに「式舞」、その後「神舞」、「女舞」、「男舞」、「荒舞」、「番楽舞」、「狂言」等が続き、最後に「権現舞(ごんげんまい)」で締められます。

浮田神楽の最初の演目は「三番叟(さんばそう)」です。

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これは最初に舞われる「式舞」という6曲の1つで、浄め招魂、鎮魂、予祝、託宣などを内容としているそうですが、「鳥舞」、「翁舞(白翁の舞)」、「三番叟(黒翁の舞)」、「八幡舞」、「山の神舞」、「岩戸開の舞」の順に舞われます。

「次の演目は「天女の舞」です。

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3つ目の演目は「天降の舞」ですが、「神舞」の1つです。

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「神舞」は神話を扱う舞で、「尊揃舞(水無月)」、「天降の舞(天孫光臨)」、「悪神退治」、「天熊人五穀」、「天照五穀」、「三韓」、「牛頭天王舞」、「水神舞」、「五大龍王」、「恵比寿舞」などがあるようです。

舞台の手前に奥の幕を向いて座った太鼓の打ち手が唱える、「舎文」と呼ばれる語りには物語性があり、語り手と舞手で場面の情景を表現します。

浮田神楽の4つ目で最後の演目は「権現舞」です。

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「権現舞」は神楽の最後に舞われ、あらゆる災いを退散、調伏させて、人々の安泰を祈祷する舞で、特に格式が高いものとして取り扱われています。

権現は神の使いとしての聖獣の獅子ではなく、神が仮の姿になって現れた、神の化身として扱われています。

12:50頃に「浮田神楽」が終わると、背景の幕が「浮田神楽」のものから「大償神楽」のものに掛け替えられ、13:45頃から大償神楽が始まりました。

大償神楽の最初の演目は「鳥舞」で、「式舞」の1つです。

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2つ目の演目は「天降り」で、岳流である「浮田神楽」における「天降の舞」と同じく「神舞」の1つですが、岳流の方が動きが激しいとされている通り、確かにそう感じました。

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3つ目は「普将(ふしょう)」で、「荒舞」です。

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「荒舞」は五拍子を基調にしていて、勇壮で動きが激しく、非常に荒々しいので有名で、岳神楽の方が得意とされています。

荒舞は、密教や修験道との関わりが強い鎮魂、悪霊退散の演目と言われていますが、その由来や内容については神歌や詞章が継承されていないため、はっきりとしたことは分からないようです。

荒舞には「注連切」、「普将舞(諷誦)」、「竜天(竜殿舞)」、「笹割(笹分け)」、「三神」、「手剣」などがあるそうです。

4つ目は「天照五穀」で「神舞」の1つです。

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5つ目の最後の演目は「権現舞」でした。

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この後、「岳流 石鳩岡(いしはとおか)神楽」(駒形神社に奉納)の幕に掛け替えられましたが、娘を東北新幹線新花巻駅まで送る予定と、ホテルでの岩盤浴の予約があったので、ここで失礼しました。

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新鉛温泉にあるホテルでは、食前酒「山のきぶどう酒(あさ開、盛岡市)と「野の花の詩 本醸造 はこべ」(桜顔酒造、盛岡市、16度、300㎖)で咽喉を潤し、体重の増加を覚悟のうえで、美味しい料理を鱈腹戴きました。

「甕風呂」とか「立ち露天風呂」が珍しかったので、夕朝の2回風呂に入り、深山幽谷の落ち着いた景色を堪能しました。



posted by yone at 08:10| Comment(2) | 神楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

孫娘との「東北民俗の旅」は早池峰神社から

2017年8月1日(火)  孫娘との「東北民俗の旅」は早池峰神社から

孫娘との「東北民俗の旅」の始まりです。

31日の24:00に船橋市を発ち、常磐道、仙台道路、東北道を夜走りして、10:00頃に花巻市に着きました。

「早池峰(はやちね)神社」(花巻市大迫(おおはさま)町内川目、旧社格は県社)に11:00過ぎに着いた頃には、神殿で祭礼が始まっていました。

大同2(807)年、藤原鎌足の子孫が「早池峰山」頂に祠を建立したのが始まりと言われていて、「盛岡藩」時代には南部家の庇護のもと社殿が建立されました。

盛岡藩の東の鎮とされた早池峰山の祈願所として、「岳(たけ)妙泉寺(みょうせんじ)」が整備され、慶長15(1610)年過ぎに、岳妙泉寺の奥宮として造営されたのが「新山堂(宮)」(現在の早池峰神社)です。

早池峰山頂には奥社がありますが、登山道4本それぞれの登山口には、ここ花巻市大迫町の岳と、遠野市の大出、川井村の江繋、川井村の門馬に、早池峰神社があります。

ここ岳地区には、「和泉坊」、「相模坊」、「日向坊」といった早池峰民宿が立ち並び、早池峰信仰の中心地の雰囲気が感じられます。

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11:20過ぎに神幸行列が出発した後、11:40から「岳(たけ)流 浮田神楽」(「幸神社」に奉納する団体)が、神楽殿で奉納されました。

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13:50頃からは、「大償(おおつぐない)神楽」が奉納されましたが、神楽については次回詳細に書きます。





posted by yone at 21:21| Comment(3) | 寺社、宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

この炎暑の最中GOGO80のグランパ達が紅白戦

 2017年7月31日(月) この炎暑の最中GOGO80のグランパ達が紅白戦

9割方が古希で、平均年齢が74〜75歳の爺さん達が、この炎天下、「高根台近隣公園野球場」で紅白戦をしました。

“投手”はピッチングマシーンですから、四球や死球は滅多にありません。

また走者のリードはなく、“投球”と同時にスタートを切るソフトボール形式を採用しています。

実力差が生じないように割り振られた紅白チームの、紅軍の3番レフトで出場しました。

第1打席は左中間のポテンヒット、第2打席はサードベース線を破るヒット、第3打席はセンターオーヴァーのエンタイトル2塁打、第4打席もセンターオーヴァーのエンタイトル2塁打、の猛打賞でした。

試合は3回終了後には、“水入り”ならぬ“アイスキャンディ入り”の休憩が入ります。

試合はシーソウゲームとなり、7回裏に4点を取った紅軍が13-12でサヨナラ勝ちしました。

試合後はIさんとランチミーティングをして、千葉県還暦・古希野球界について情報交換しました。




posted by yone at 17:29| Comment(3) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

県還暦リーグ「千葉スパローズ」との第2回戦は5回コールド10-0で雪辱

2017年7月29日(土) 県還暦リーグ「千葉スパローズ」との第2回戦は5回コールド10-0で雪辱

「古市場公園スポーツ施設・野球場」(千葉市緑区)で「千葉スパローズ」との第2回戦を戦いました。

第1回戦は5月6日に、7-14で敗れています。

千葉スパローズは、今まで3勝4敗(勝率.429)、我々は1勝3敗2分け(勝率.333)、2部に留まるには、ここは負けられない一戦です。

1番レフトで先発しました。

第1打席は1回裏に1・2塁間を鋭く抜くヒットで出塁し、2盗に成功しました。

その後捕手が球をはじく間に3進し、次打者の3塁ゴロの間に生還して、先制点となる得点1を上げました。

第2打席も同じようなヒットで走者1・2塁としましたが、盗塁も出来ないうちに、チェンジとなりました。

第3打席は敢え無く三振に終わりました。

第1回戦はエラーで負けたようなものでしたが、今日は内野陣が好守備を見せ、投手陣も好投したので、守備機会には恵まれませんでした。

結果は5回コールド10-0で圧勝しました。

これで2勝3敗2引き分け(勝率.500)に戻したので、残る5試合を少なくとも2勝はして、2部残留を果たしたいものです。



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2017年07月18日

哈尔滨から成田へ帰国

2017年7月9日(日) 哈尔滨から成田へ帰国

4:30の気温は、26.3℃です。

8:05哈尔滨発成田行き、中国南西航空CZ6085便で、11:50帰国しました。

哈尔滨のイミグレで担当者が5分近くも私のパスポートを、本気で見ていたのか、見てる振りをしていたのか知りませんが、後ろの乗客にはご迷惑様でした。

増補をしているので、多くの色んな国に出入りはしてますが、入国時に調べるのが筋のようにも思われるので、どういう意図があったのか、単なる嫌がらせの暇つぶしなのか?

機内では、A席に赤ん坊を抱いた中国人女性が座ってましたが、10か月の男児が何故か、C席の私に懐いてきたので適当に相手をしていたら、結構暇つぶしにはなりました。

降り際には、母親のおんぶ道具の背中にある留め金を、ぱちんと止める役割も仰せつかりました。

満洲では、日本人に対する感情が好い筈はないと思いますが、相互交流を深める中で、相互理解を増していくしかないものと思います。



2017年07月17日

関東軍西山陣地址

2017年7月8日(土) 関東軍西山陣地址

朝食前の朝散は、跨線橋を越えて駅の改札口まで足を延ばしましたが、「国際候車室」は便数が少ないせいか、この時間には施錠されていました。

給水塔や「沙俄(shā é、帝政ロシアの意)監獄陳列館」も見て回りました。

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(追加注文分)
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野菜豊富な朝食を鱈腹食べた後、駅の東北にあるロシア建築保護区まで腹ごなしに歩きましたが、図書館以外は都市再開発で、新しいビルに生まれ変わっており、「ソ連紅軍烈士公園」なるものもありました。

省道301号線を海拉尔まで戻り、「海拉尔国家西山国家森林公園」にある「関東軍西山陣地址」で、戦争に思いを馳せました。

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今ではトーチカのコンクリートが、砂山に僅かに散乱している程度しか残されていませんが、根を広く深く掘り下げる「樟子松(zhāng zǐ sōng、ヨーロッパ赤松の仲間)」が20万本植えられた、‟白砂青松”の景勝地です。

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昼食を摂っている間に通り雨が降った模様ですが、この辺りの雨は、急に激しい雨が降る瞬間豪雨型です。

海拉尔16:40発「福州航空(Fuchou AL)」FU6630便で、18:00哈尔滨に戻りました。

22:00の気温は、27.5℃もあったので、成田から来た時よりも暑くなってます。



2017年07月16日

テニス朝練の夜は娘の誕生日会

2017年7月16日(日)  テニス朝練の夜は娘の誕生日会

宝ヶ池テニスで酷暑テニスを経験したとはいえ、ホームコート(サングリーンテニスクラブ、船橋市古和釜)での酷暑の朝練は、今年初めてです。

今日の参加者は監督含めて7名で、人数が少ないと1人当たりの稼働率が高まるので、大変です。

今日のメニュは常日頃と同じように、サービス&ヴォリィ、ひたすら強打返球ストローク、ヴォリイ、スマッシュ、練習成果確認のためのショートゲームです。

昼間は珍しくクーラーを入れた部屋で、溜まった番組ヴィデオを見て、ブログ作成などのパソコン業務に従事しました。

夜は娘の誕生日会を、近くの「まる久」という割烹で行いましたが、40歳になったかと思っていましたが、まだ39歳だそうです。

先ずビの後は、「オロヤ 寿司ワイン」(スペイン、白、750㎖、12%)を娘とシェアしました。

此処ではいつも「大蒜の油揚げ」を頼み、孫娘と奪い合います。

明日は祝日なので、朝練の連荘ですから、早く寝て英気を養いましょう。




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満洲里

2017年7月7日(金) 満洲里

「満洲里(mǎn zhōu lǐ)市」は、内モンゴル自治区「呼伦贝尔(hū lún bèi ĕr)市」の中の「県級市」です。

北緯約49.3度、標高約800mにあり、外窓が開かなかったので気温測定は出来ませんでしたが、朝散に出掛けた時には、ヒヤッと感じたので、20℃強と言ったところでしょうか。

1901年に、ロシア帝国が敷設した「東清鉄道」(「満洲里」から「哈尔滨」を経て「綏芬河」へと続く本線と、「哈尔滨」から「旅順」までの支線)の西の終点であり、かつシベリアへの窓口です。

朝散は、「満州里站」の北側に「満洲里俄(é、「俄罗斯」=ロシア)式建築群」として残されている、古いロシア式建築を見て回りました。

線路際には周恩来の銅像が建てられていて、説明文には、朝鮮戦争時に物資運送に尽力したことや、南側にある「満洲里站」に至る跨線橋の建設に努力したようなことが、書かれていたように思います。

跨線橋から見渡すと、ロシアから運ばれてきた木材を満載した貨車が、多く見られました。

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ホテルの朝食にはコーヒーが供されないので、街中で「кафе」という看板を掲げた店を見付けましたが、誰もいなかったので、食料品店でインスタントのスティックコーヒーを2本買って帰り、部屋で飲みました。

街中から6qほど北西にある中露国境「国門景区(guó mén jǐng qū)」は、外国人は入境禁止なので、遠目に眺めるだけで、「中我互市貿易区(zhōng wŏ hù shì mào yì qū)」にあるロシアからの輸入品を売る店をざっと見ました。

満洲里站の南側には乗降車施設がありますが、発展からは取り残された分、古くからの建築物が、朽ち果てながらも保存されています。

廃屋に近い「旧満鉄社宅」や「旧日本人学校址」(1901年ロシア帝国が建設、1936年以降日本人小学校)には、月日の流れを感じました。

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「扎賚諾爾(zā lài nuò ĕr)博物館」は、露天掘りの炭田があり、炭田からマンモスの骨格が4体発掘された当地らしく、炭鉱やマンモスの展示に特徴がありました。

イヤフォンの使用にいちゃもんが付いたのは、嫌がらせだと思います。

夕食のロシア料理はロマンティックな雰囲気だと聞かされていたのですが、何ちゅーことはない!、料理はボルシチ以外はチャイナイズされたものばかりで、周りは中国人客が多くて喧騒の居酒屋並み、どこがロマンティックやねん!



2017年07月15日

京急杯で「横浜シャークス」に8-9で惜敗

2017年7月15日(土)  京急杯で「横浜シャークス」に8-9で惜敗

「第2回京急沿線還暦・古希野球大会」に参加し、神奈川県横須賀市武山の「京急野球場」で11:00から「横浜シャークス」と戦いました。

横浜シャークスは神奈川県還暦野球リーグ第2部に属し、今春は第2部12チーム中6位以内に付けていて、我々と似たような力を持っているように思われます。

還暦の部は、千葉県から2チーム、湘南から2チーム、川崎から4チーム、横浜から4チームの、計16チームが参加しています。

1番レフトで先発しました。

第1打席は打って出て3遊間の内野安打とし、遊撃手の1塁悪送球の間に2塁を陥れました。

3進の後、内野安打の間に、先制点となるホームを陥れて、得点1を稼ぎました。

第2打席は迷いましたが、打って出て、サードフライに倒れました。

第3打席は、3塁手が前に出て来ないのを確認してセーフティバントを試み、見事成功しました。

2盗に成功して3進した後、外野へのヒットでホームに生還し、2点目の得点を稼ぎました。

第4打席は、6回表に走者を1・3塁に置いてセーフティバントを選択し、3塁走者をホームに迎え入れて、打点1を稼ぐとともに、得点を8-8の同点としました。

しかしよくある事ですが、1塁審判の誤審でアウトになりましたが、我が1塁コーチも言っていたように、明らかな誤審です。

誤審を正確に反映すれば、打率はもっと高くなる筈なんやけどなぁ。

守備面では、浅いレフトフライを2本前進して捕球したほか、三遊間を鋭いて来たゴロ打球を2本止めて、2塁手や遊撃手に返球しました。

6回裏に8-8から、相手が1点を入れて8-9となった時点で、審判は「集合」とコールしましたが、我がチームには、時間制限のため6回で終了することが伝えられていなかったので、後味の悪い試合となりました。

参加賞として、ポリ袋に入った三浦野菜の詰め合わせを戴きましたが、少し余ったので、今日の試合で2安打した私を含めた4人には、もう1袋配給がありました。



posted by yone at 20:05| Comment(6) | TrackBack(0) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

関東軍北山陣地、呼伦(フルン)湖

2017年7月6日(木) 関東軍北山陣地、呼伦(フルン)湖

5:30の気温は、24.1℃です。

1937年に竣工した「関東軍北山陣地(地下要塞)」の上に、「世界反法西斯(ファシスト)戦争(shì jiè fǎn fǎ xī sī zhàn zhēng )海拉尔紀念園(qí niàn yuán)」が建てられていて、地下要塞にも入れます。

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漢字の上の文字はモンゴル語、下の文字はロシア語です。

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「海拉爾要塞遺址博物館」では、説明員が拡声器でがなり立てるので、イヤフォンを使用していると聞こえにくくなりますが、文句は言えません。

地下要塞の気温は10℃程度と言われていましたが、やはりヒヤッとしたので、持参したレインスーツを羽織りました。

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果てしなく広がる草原の中を、省道301号線を西へ「満州里(mǎn zhōu lǐ)市」へ向かう途中で、「巴尔虎(bā ĕr hŭ、バルガ)蒙古部落暇景区」で昼食を摂り、チンギスカンのテーマパークを見学しました。  

「巴尔虎」とはモンゴル族の1部族で、この辺りは「新巴尔虎左旗(xīn bā ĕr hŭ zuŏ qí)]」という行政区にありますが、「右旗」は此処から西方のノモンハンや「呼倫(hū lún、フルン)湖」のある地域を指します。

「マントウ(mán tóu、饅頭)」はほぼ毎回供されるのですが、麺類が殆ど出てこないのでガイドさんに訊くと、南からの中国人観光客が多いので彼らに合わせているが、街中には麺屋は多いそうです。

中露国境の町「満州里(mǎn zhōu lǐ)市」の手前を南西方向に行ったところにあり、中国第5位の広さを持つ湖である「呼伦(hū lún)湖」 (2,340平方q、琵琶湖の3.5倍、別名「达赉(dá lài、達賚)湖、非常に大きな湖の意)に立ち寄りました。

「呼伦(hū lún)」というのは雌のカワウソのことで、 「呼伦贝尔(hū lún bèi ĕr)市」の「贝尔湖」(ノモンハンの近くで、「呼伦湖」から南へ約100q)は、雄のカワウソのことです。

元々の沼沢地が地殻変動の結果大きな窪地になった様ですが、水深が8m程度なので、冬期は結氷するそうです。

最近は降雨量の減少が大きく影響して、湖表面積は減少傾向にあります。

満州里市内に入ると、最近中国で強まっている健康志向の表れの1つとして、公園での体操や社交ダンスが、此処かしこに見られます。

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日本人も、盆踊りだけではなく、こういう習慣を見習ったら好い鴨。



宝ヶ池テニスの後は「Shava Liva」でN君とランチ会食

2017年7月13日(木) 宝ヶ池テニスの後は「Shava Liva」でN君とランチ会食

暑い盛りの12:00〜14:00に行われた「上七軒テニスクラブ」の宝ヶ池テニスは、昨日の市川ライオンズの野球練習で30℃前後を経験したとはいえ、35℃前後の京都の蒸し暑さの中でのテニスは今年初めてなので、かなりきつかったです。

通常は第1ランク(第5ランクまである)は6名で組み合わせを変えながらプレーしますが、今日は5名で回したので、1回の休憩を挟んで、4ゲーム先取を3ゲームしました。

第1ランクのプレイヤーの打球は早く、多彩なショットが繰り出されるので、大変ですが楽しめます。

テニスの後は、K大を定年退官したN君と、三条河原町下ル(京都市役所の南の方)にある「Cafe&Lounge SHAVA LIVA」で、ランチ会食しました。

アサヒスーパードライの生ビが、堪らなく美味しかったです。

彼は、8年前に謹呈を受けた「世紀末ウィーン文化探求ー「異」への関わりー」(晃洋書房)の次の著書を、現在校正中とのことです。

今度の著書は観光案内風の部分もあり、前著よりは読みやすいと思うから是非読んで欲しいと言われたので、今から楽しみにしています。

彼も、現在投稿中の「満州旅行記」を始め、私のブログをよく読んでくれているので、色んな‟ツッコミ”も入り、2時間ほどを楽しく過ごしました。



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2017年07月12日

诺门罕(ノモンハン)

2017年7月5日(水) 诺门罕(ノモンハン)

6:00の気温は32.5℃でしたが、朝日の直射があったので、高めに出たと思われます。

9:00には、葉書を向かいにある郵便局へ出しに行きました。

「ノモンハン(Nomonhan、诺门罕)」へは、省道201号線(海拉尔ー阿尔山)を約200q南下します。

ノモンハンは「ノモンハン・ブルド・オボー(Obo、標識塚)」(「法皇清泉塚」)が語源で、海拉尔の南約200q、北緯約48度、標高約700〜800mにあります。

ノモンハン・ブルド・オボーは、清朝時代に「フルンバイル(呼伦贝尔)草原」とハルハ川東部の境界標識として設置されたオボーのひとつで、ハルハ川の支流「ホルステン河」の源となっています。

現地ガイドの説明では、ノモンハンとは「大人しい」という意味で、荒くれ者を仏教の力で善導したものだそうです。

「甘珠爾廟(gān zhū ĕr miào)」という仏教寺院のある「阿木古郎鎮(ā mù gŭ láng zhèn)」で昼食を摂り、「SNOW 雪松啤酒」で羊の茹で肉を戴きました。

「ノモンハン戦役遺跡陳列館」は、阿木古郎鎮から数10q南にありますが、ハルハ川からは数10q程東へ離れているそうです。

しかし途中には、モンゴル共和国側の草原が火災で焼けて、真っ黒に見える地点があり、中蒙国境線は近くに見られました。

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陳列された遺品の類はソ蒙軍側の物が多くて日満軍側の物は少なく、陳列館の説明員の説明はソ連側に傾いたものでした。

ノモンハン国境戦争では、国境をソ連から防御するのは重要なことですが、相手の強大な軍事力を正確に把握して、無謀な攻撃に出ずに相手の出方を窺うことが必要ではなかったかと思います。

当時の日本陸軍の意思決定力や命令伝達能力の問題点を研究して、今日的課題を解決するに際して、大いに活用していきたいものです。

海拉尔への戻りのバスの中では、白酒をチビリチビリやりながら、‟赤い夕陽に照らされた”フルンバイル(呼伦贝尔)平原を見渡して、様々な思いに耽りました。

21:00の気温は、28.6℃ありました。



2017年07月11日

海拉尔(ハイラル) 

2017年7月4日(火) 海拉尔(ハイラル)     

「海拉尔(海拉爾、hǎi lā ĕr)区」は、内モンゴル自治区「呼伦贝尔(呼倫貝爾、hū lún bèi ĕr)市」(地級市、満州語ではKolon Buyir Hota、ニラの意)に属し、北緯約49.1度、標高約600mにあります。

齐齐哈尔市を22:07に出た夜行列車は、「大兴安岭(大興安嶺、Dàxīng'ānlǐng)」を横断して、5:51に海拉爾区に着きました。

室内クーラーの騒音や少々蒸し暑い室温、分厚い掛布団、列車の振動・騒音などで眠れませんでしたが、それでも多少は眠ったんでしょうか。

朝食後、北へ約40q、延々と草原となだらかな丘陵が広がる「呼伦贝尔草原」にある、観光テーマパーク「金帳汗(jīn zhàng hàn、キプチャクハン)草原部落(cǎo yuán bù luò)」を訪ねました。

緑の絨毯と言いたいところですが、降雨不足や他の原因のせいで茶色が目立ち、家畜用の干し草はモンゴル共和国から輸入しているそうです。

夏の観光シーズンに入ったので、周りは、南方から来たと言われる中国人観光客で一杯でしたが、モンゴル相撲も見学しました。。

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ここは「第8国境守備隊第80独立混成旅団司令部」が置かれた町で、「内蒙古海拉尔農墾総医院」が現在建てられている辺りに、司令部がありました。

「寺田(特務機関長)公園」址には、ソ連紅軍21烈士紀念啤が建てられていました。

商店や官公署の看板には、モンゴル語文字が漢字の上に併記されているので、内モンゴル自治区に来たなという感じがします。

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昼食時には、「海拉尔啤酒 草原四季」(3.7%、500㎖)という、ご当地ビールを戴きました。

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食後には「海拉尔神社」址を訪ね、「手水舎(てみずや)」や、現在は呼伦贝尔市政府が置かれている「第23師団司令部」址を見学しました。

手水舎の水盤の上には将棋盤のようなものが置かれ、将棋愛好者達の、汚らしい巣窟になっている様子です。

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一旦ホテルにチェックインしてシャワーを浴びた後、早速白酒を1合分戴いて、元気を回復しました。

気温を測定したら15:00で36.3℃あったので、大陸性気候を実感しました。

「エヴェンキ(Ewengki)族博物館」は、どこの博物館も一緒ですが、館内撮影禁止です。

エヴェンキ族はツングース系の民族で、中国55少数民族の1つであり、大興安嶺山脈周辺の内モンゴル自治区「エヴェンキ族自治旗」や黒竜江省などに、約3万人が居住しています。

夕食時には、「海拉尔 特制啤酒」(3.7%、500㎖)で咽喉を潤し、中国料理を美味しく戴きました。

20:30でも30.4℃ありました。



2017年07月10日

哈尔滨(ハルビン)から齐齐哈尔(チチハル)へ

2017年7月3日(月) 哈尔滨から齐齐哈尔へ      

5:30の気温は23.7℃で少し肌寒い感じでしたが、陽が上がると気温はグングンと上昇します。

朝起きてカーテンを開けると、目の前に「袋鼠宾馆(bīn guǎn)」というホテルがあったのですが、なかなかおもろいものを見ました。

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哈尔滨は人口約1千万人の大都会で、空港に向かう道路の左右に高層マンションがぎっしりと建ち並ぶのを見ていると、市内が交通渋滞だらけなのが頷けます。

「哈尔滨西站(駅)」から、9:16発の「高速鉄道」(中国の‟新幹線”)2等車に乗って、約280q西北にある「齐齐哈尔(斉斉哈爾、qí qí hā)市」(地級市、黒竜江省直轄市、満州語ではCicigar hoton)に向かいました。

改札口の手前で、乗車する列車が到着するまで待たされるので、一昔前の田舎の駅を思い出します。

機械による荷物検査もあります。

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齐齐哈尔市は、北緯約47.2度、標高約150mにありますが、平坦で真っ直ぐなレールの上を、最高時速250q/hで快適にひた走ります。

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車内電光掲示板には、室内温度23℃、室外温度31℃が表示されました。

途中「大慶(dà qìng)油田」を通ると、沢山の石油掘削機が勤勉に働いていましたが、1960年掘削開始と言いますから、私が中学生になった後なんですね。。

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昼食時に飲んだ「哈尔滨啤酒 清爽」は、酒精度が3.3%しかなく、水のようなビールばかりです。

これではいかんと思って、レストランの売店で「老酒一?」( 齐齐哈尔市、40%、500㎖、65元=約1,200円)という銃の格好をした「白酒(bái jiŭ)」を買いました。

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午後は、斉斉哈爾の東南30qに広がる「扎竜(zā lóng)自然保護区」(扎竜は「ダウール(Dawur)語」(モンゴル語群)で「大きな落雁のいる池」の意)で丹頂鶴を見学しました。

溜池の向こうの台地から、30羽ほどの鶴が飛来してきたときは、一瞬ソ連機の急襲に見舞われたかのような錯覚を覚えました。

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鶴は良く慣れていて、板の間の鑑賞席に足をブラブラしていると、足の指先を突きに来ます。

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「卜奎(bŭ guī)清真寺(qīng zhēn sì)」(イスラム教モスク)は、1684年に創建されましたが、当時はこの辺りに回族が多く住んでいたそうです。

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夕食時には、「SNOW 雪花啤酒」(齐齐哈尔市、3.7%、500㎖)を飲みました。

夜行寝台列車「軟臥(ruǎn wò)車」4人用コンパートメントの上段に乗って、内モンゴル自治区「海拉爾(hǎi lā ĕr)区」に向かいましたが、梯子がなく15p四方位の鉄板に足を掛けて上がらねばならず、苦労しました。

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ここでも列車に乗る前には、荷物検査がありました。



2017年07月09日

成田から哈尔滨(ハルビン)へ

2017年7月2日(日) 成田から哈尔滨へ      

12:50成田発「哈尔滨(哈爾浜、hā ĕr bāng、満州語ではHarbin Hoton)」行き、中国南方航空CZ6086便で、「ノモンハン(Nomonhan)」を訪ねる旅に出ました。

成田空港の千葉銀行で、9,150円出して中国元500元を買いましたが(18.3円/元)、三菱東京UFJ銀行の方が少し有利だったようです。

近距離用のA321には、ヴィジュアル系の設備は何もなく、ビールはあったようですがワインは出されないので、3時間弱とはいえ暇を持て余しました。

「哈尔滨市」は、中華人民共和国最北にある「黒竜江省(hēi lóng jiāng shĕng)」の省都(副省級市)で、北緯約45.5度、標高約150mにあります。

タラップを降りる時には、空が曇っていたせいか少し肌寒さを覚えましたが、後ほど街中を散策した時には、程よい気温に感じられました。

哈尔滨市はロシア人が建てた町なので、町並みは今でもロシア風ですが、嘗て日本人街があった辺りには、古く由緒がありそうなビルが残っています。

帝政ロシア兵士の為に建てられた「聖ソフィア大聖堂」や、哈尔滨市で最も古く1902年からある「道里菜(dào lǐ cài)市場(shì chǎng)」を観光しました。

夕食はこの後も含めて観光客向けの中国料理が多く、同じような品目も多かったのですが、野菜の種類と量が豊富なので、ここぞとばかり張り切って食べ進みました。

「SINCE 1900 哈尔滨啤酒(píj iŭ) HARBIN」(3.6%、500ml、25元=約450円)を飲みましたが、哈尔滨のビールが中国では最も古いという事です。

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ホテルが、ロシア語で「キタイスカヤ(中国人街)」と呼ばれていた「中央大街」に面していたので、人がごった返すメインストリートを、人とぶつかりそうになりながら、北と南に散歩しました。

北のはずれには「松花江(sōng huā jiāng)」(全長1,840q、満州語名「スンガリ―(天の河)」)が流れており、これが冬季には結氷すると聞くと、氷点下30℃とも言われる寒さのほどが知れるというものです。

この地は北緯45.5度、標高約150mにありますが、21:00の気温は23.9℃でした。



2017年07月01日

「東金野球クラブ」との第2回戦は惜しくも4-4の引き分け

2017年7月1日(土)  「東金野球クラブ」との第2回戦は惜しくも4-4の引き分け

千葉県還暦野球リーグ2部の第6戦目、「東金野球クラブ」との第2回戦を、14:15から「有吉公園野球場」(千葉県緑区おゆみ野)で戦いました。

第1回戦(4月15日)は、5-6で惜敗しています。

今までの処、2部1位の東金は2勝3敗1分け、7位の我々は1勝3敗1分けで、東金は苦戦しているようです。

梅雨の雨がまだ降り続く中で、試合は始まりました。

1番レフトで先発しました。

第1打席はバントを試みるも失敗したので打って出ましたが、速球に少し打点を外されて、高いバウンドのゴロになりましたが、投手に好捕されてアウトになりました。

第2打席はセカンドゴロになり、1塁走者が2塁でフォースアウトになりました。

第3打席は走者1・3塁の場面で、セカンドへの強烈なゴロになったものの正面を突いたのでアウトになりましたが、3塁走者が生還したので、打点1を稼ぎました。

3-1のリードから3点差とする、貴重な追加点でした。

第4打席は、4-4の同点の7回裏、2アウト走者無しだったので、何とか塁に出てサヨナラの場面を作りたかったのですが、敢え無く低めの球を空振りしたので、ゲームセット。

投手陣が好投してくれたお陰で、外野には殆ど飛んで来ず、3遊間のヒット球を止めて、素早く2塁に返球しただけでした。

試合は7回表に4-4に追いつかれて、引き分けに終わり、対戦成績を1勝3敗2分けとしました。



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2017年06月17日

先日千葉県還暦野球リーグ戦で引き分けた「浦安ベイクラブ」と練習試合

2017年6月17日(土)  先日千葉県還暦野球リーグ戦で引き分けた「浦安ベイクラブ」と練習試合

千葉県還暦野球リーグで、先日第1回戦を7-7で引き分けた「浦安ベイクラブ」と練習試合を行いました。

暑い最中、14:00から「浦安中央公園野球場」(千葉県浦安市)で戦いました。

1番センターで先発し、途中でレフトに回りました。

第1打席は、迷った挙句やはり1塁側へのセイフティバントを試みましたが、投手に捕られてしまい、失敗しました。

第2打席は、ランナー3塁の場面でスクイズのサインが出ましたが、素直な真ん中に近い球が来たので、角度をそんなにつけることもなく、投手に捕られるような球を打ちましたが、脚が勝って内野安打になり、打点1を稼ぎました。

その後すかさず2盗を決めた後、ヒットエンドランのサインが出ていたのに次打者が見送ったので、結果的には単独スティールになったものの、3盗にも成功しました。

その後次打者が3塁ゴロを打ったので、約4〜5mリードした所で一旦立ち止まり、3塁手が1塁へ送球すると同時に、約20m先のホームに猪突猛進し、得点1を稼ぎました。

この時点で、2-2の同点に追いつきました。

第3打席は、ランナーがなくフリーに打てというサインだったので、ここらへんで一発噛ましたろかと思って強打したのですが、ボテボテの3塁ゴロになり、残念ながら間一髪アウトになりました。

試合は4-6で敗れましたが、つまらん守備エラーや走塁ミスをなくしていけば、9月に予定されている千葉県還暦野球リーグ戦の第2回戦では、互角に戦えそうな感触を得ました。



posted by yone at 18:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月13日

「湯島天満宮」に参拝してから満州料理を堪能

2017年6月11日(日)  「湯島天満宮」に参拝してから満州料理を堪能

上野に向かったものの「味坊鉄鍋荘」の予約時刻には時間があるので、東京メトロ千代田線湯島駅を降りた後、「湯島天満宮(旧称:湯島神社、通称:湯島天神)」(東京都文京区湯島、旧「府社」)に参詣しました。

「亀戸天神社」(江東区亀戸、旧「府社」)や「谷保(やぼ)天満宮」(国立市、旧「府社})と共に、「江戸三大天神」として知られているようです。

また、「天台宗 護国山天王寺」(台東区谷中)や「天台宗 目黒不動 泰叡山瀧泉寺」(目黒区下目黒)とともに、「江戸三富(さんとみ)」(富籤)として有名だったそうです。

S化学で合成樹脂の海外営業を担当していた頃に、この神社の近くで、S商事の皆さんと懇親会をした後に、お参りした昔を思い出しました。

「味坊鉄鍋荘(あじぼうてつなべそう)」は、梁宝璋さんが、生まれ故郷である中国黒竜江省の家庭の味わいを伝えるべく、「中国家庭料理を進化させた味」にした店だそうです。

"コース料理の内容は以下の通りです。
◆前菜5品 (その日にご用意した10〜12の前菜の中から5品をお選びください)◆煮込み料理1品 (その日にご用意した4〜6種の煮込み料理の中から1品をお選びください)◆饅頭◆水餃子・蒸餃子◆きくらげのデザート"

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前菜1:よだれ鶏(「口香鶏(kŏu xiāng jī)」)

前菜2:ラムのアキレス腱と肝の干し肉(「醤羊肉(jiàng yáng ròu)」)

前菜3:干し豆腐(「拌干絲(bàn gàn sī」)

前菜4:胡瓜とパクチー、葱の麻辣味(「老虎菜(lǎo hŭ cài)」)

前菜5:ほうれん草とピーナッツの和え物

煮込み料理は「红焖羊肉(hóng mèn yáng ròu)」を選択しましたが、羊肉と大根、キノコ、春雨を、醤油味で炒め煮したものです。

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トウモロコシ粉を水で練って作る「鍋貼(guō tiē)」を鉄鍋の周りにペタッと貼り付けて蒸し焼きにして、ダシが大根と肉に染み込んだころ、蓋を開けるとパンも蒸しあがっています。

まずはカールスバーグの生ビで、午前中のテニス朝練と早歩きで疲れた筋肉を慰め、「OPEN NOW 2013 Domaine de Chamans」(フランス・ランドック・ミネルヴォ地方、14%)というワインと「高粱酒(gāo liáng jiŭ)」(62度)で筋肉に活力を注入しました。



posted by yone at 07:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 寺社、宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

満州料理の前に「山王祭奉祝神賑行事」の「江戸里神楽の囃子」を鑑賞

2017年6月11日(日)  満州料理の前に「山王祭奉祝神賑行事」の「江戸里神楽の囃子」を鑑賞

「山王祭(さんのうまつり)」は「日枝神社(ひえじんじゃ)」(東京都千代田区、旧社格は官幣大社)の祭礼で、徳川時代以降の新しい祭りですが、江戸城内に入った御輿を家光以降の将軍が上覧する「天下祭」 として、江戸三大祭の1つとされているそうです。

「日枝神社」は、滋賀県にある「日吉大社(ひよしたいしゃ」)」を勧請した川越の「日枝神社」を、太田道灌が江戸城築城に当たって勧請したもので、家康が江戸に入って以降、江戸城の鎮守、将軍家の産土神として、崇敬されてきました。

「奉祝神賑(かみにぎわい)行事」として「江戸の里神楽(えどのさとかぐら)」が、「祈願所(山王夢御殿)」で行われるという事だったので、「横須賀の高等遊民」君を誘って出掛けました。

今日と昨日は、「土師流 松本源之助社中」(東京都荒川区西日暮里)が奉納するとWebには書かれていましたが、実際には「若山胤雄社中」(東京都台東区蔵前)による「神楽囃子」のみが奉納されていました。

この2社中の他に「間宮社中」(品川区東大井)と「山本社中」(稲城市矢野口)の4団体が、「江戸の里神楽」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

江戸時代から「神事舞太夫(しんじまいたゆう)」によって、江戸等の神社の祭礼で演じられてきたもので、「鷲宮(わしのみや)神社」(埼玉県久喜市、旧県社)の「土師一流催馬楽神楽(はじいちりゅうさいばらかぐら)」が始まりとされています。

一定の神社にのみ附属するものではなく、各地の神社の祭礼に、氏子などからの依頼に応じて演じられてきました。

若山社中は「神田神社」(千代田区)や「浅草神社」(台東区)等、間宮社中は「品川神社」(品川区)や「奥沢神社」(世田谷区)等、松本社中は「日枝神社」や「湯島天満宮」(文京区)等、山本社中は「穴澤天(あなざわてん)神社」(稲城市)や「大国魂(おくにたま)神社」(府中市)等、の例大祭等を中心に活動しているようです。

笛、大拍子、長胴太鼓の3名が、囃子を演奏しました。

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すっぽかされたという感じは否めませんが、本日のメインイヴェントは「味坊鉄鍋荘(あじぼうてつなべそう)」(東京都台東区上野)での満州料理であったと気を取り直し、上野へと向かいました。



posted by yone at 20:59| Comment(4) | TrackBack(0) | 例大祭、神輿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月05日

久し振りのGOGO80の紅白戦は引き締まった好ゲーム

2017年6月5日(月)  久し振りのGOGO80の紅白戦は引き締まった好ゲーム

風が殆どない梅雨前の晴れた日になり、18人が集まったので「北習志野近隣公園」で11:00から、GOGO80の紅白戦を行いました。

相応の力量を持った者同士がじゃんけんし、紅白チームに分かれました。

脚力を誇るSさんが、私を指名して、じゃんけんを求めてきました。

同じチームになって隣接したポジションになると、先日の阪神タイガースの、双方脚力のある糸井(センター)と大和(ショート)のように、衝突することを危惧しているのです。

市川ライオンズでのポジションを練習するためにレフトに入り、打順はポジションのアラビア数字どおり、7番になりました。

打撃マシーンを投手とする、類い稀な試合形式です。

打撃マシーンは価格数万円の安物なので、球の置き方や足の踏み込み方、ハンドルの曳き方等で変化が出る為、人間が投げる試合に似かよった面もあります。

第1打席はボテボテのゴロが3塁前に転がり、内野安打。

第2打席はレフトフライ。

第3打席は右中間へのライナー性のヒット。

両チームともに守備が大きく乱れることなく、引き締まった試合になりましたが、我がチームの3-0の勝ちに終わりました。



posted by yone at 19:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

 宇都宮大会第2回戦は「全陽光KOB」に惜敗

2017年5月27日(土)  宇都宮大会第2回戦は「全陽光KOB」に惜敗

「宇都宮市長旗関東選抜還暦軟式野球大会」の第2回戦は、14:30頃から「全陽光KOB」(宇都宮市)と対戦しました。

昼過ぎには雨は上がったものの日差しがなく寒いので、長袖のアンダーシャツを重ね着したほどです。

1回戦と同様に、8番レフトで先発しました。

第1打席には、ライナー性の飛球で、2塁手の頭上を抜いてライト前に落ちる、やっとヒットらしいヒットを放つことが出来ました。

早速2盗には成功しましたが、得点には至りませんでした。

第2打席はヒットエンドランのサインが出たので、普通は見逃すような内角高めの難しい球を、何とかバットに当ててゴロにし、1塁走者を2塁に進めました。

試合は6回で時間制限になり、2-5で敗れました。

午後に時間があれば、真岡市や下館(筑西市)を探訪しようと思っていたのですが、次回回しになりました。



posted by yone at 07:28| Comment(5) | TrackBack(0) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

「足利OB野球クラブ」にコールド勝ち

2017年5月27日(土)  「足利OB野球クラブ」にコールド勝ち

「宇都宮市長旗関東選抜還暦軟式野球大会」が「宇都宮石井緑地公園野球場」であるので、酔仙邸を8:30に辞し、小雨の降る中を国道6号線バイパスを快走しました。

集合時間の10:00になっても小雨が降り続いており、グラウンドに溜った水をスポンジで吸い取って、整備が続きました。

グラウンド整備に時間がかかったので、1回戦は11:00からの予定が12:30からに遅延しましたが、「足利OB野球クラブ」(栃木県足利市)と対戦しました。

1番打者のプレッシャーから解放されて、気楽に打てという監督の配慮があって、8番レフトでの先発となりました。

第1打席は良い当たりのゴロでしたが、2塁手の正面を突いたのでアウトになりました。

第2打席はショートゴロがフィールダーズチョイス(野選)となり、出塁しました。

第3打席はキャッチャーゴロを内野安打として久し振りのヒットとした後、すかさず2盗を決め、右翼手が落球した間に生還し、久し振りの得点1を稼ぎました。

レフト守備では、かなりの風が吹く中、左中間の難しい飛球を好捕し、コーチからも褒められました。

先発投手は暑くないせいか4回まで好投し、リリーフ投手もナイスピッチングで続いたので、守備にも好影響を与え、打撃も近来稀に爆発しました。

試合は11-1(6回コールド)で、勝ち、2回戦に駒を進めました。



posted by yone at 08:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする