2017年05月22日

「バベルの塔展」鑑賞のついでに「上野東照宮」を

2017年5月22日(月)  「バベルの塔展」鑑賞のついでに「上野東照宮」を

「東京都美術館」(台東区上野)で開催されている「ボイマンス(Boijmans)美術館(ロッテルダム)所蔵 ブリューゲル(Brueghel)『バベル(Babel)の塔』展 16世紀ネーデルラントの至宝−ボスを超えて−」を、「横須賀の高等遊民」君を誘って出掛けました。

鑑賞する前に、近くにある「上野東照宮」(台東区上野、祭神は家康と吉宗、慶喜の3人 )を訪ねました。

「東叡山寛永寺」には多くの伽藍や子院が建立されましたが、寛永4(1627)年に創建された「東照社」が上野東照宮の始まりです。

現存する社殿は慶安4(1651)年に家光が建替えたもので、日光までお参りに行くことが出来ない江戸庶民のために、日光東照宮に準じた豪華な社殿を建立したと言われています

幕末の上野戦争にも関東大震災にも倒れることもなく、第二次世界大戦では社殿のすぐ裏に爆弾が落下したものの、不発弾で社殿は倒壊を免れたように、強運の持ち主です。

神仏分離令により五重塔を寛永寺に譲渡(現在は東京都の管理)したりしたので、現在の敷地は小さくなりました。

「ピーテル・ブリューゲル1世」(1526頃〜1569年)の「バベルの塔」(1568年頃)は、「ブリューゲルの最高傑作、24年振り奇跡の来日!」と謳われています。

驚異の写実と言われていて、一説には描かれた人数は1,400人と言われています。

ブリューゲルが手本とした「ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch )」(1450頃〜1516年)の絵画2点を始め、16世紀ネーデルラントの油彩絵画やボスの怪物モチーフが描かれた版画作品、木彫の粋を尽くした彫刻作品が、展示されていました。

我々にとっての‟本日のメインイヴェント”は、「マトリョーシカ」(丸井上野店)という店で、以下の女子会コースのロシア料理を戴きました。

■完熟トマトのボルシチスープ ■コラーゲン入りピロシキ ■はと麦と緑のサラダ ■緑黄色野菜のつぼ焼き ■チーズフォンデュ(ヨーグルト酵母のもっちりパン、魚介、温野菜つき) ■チョコレートフォンデュ(フルーツ、マシュマロ、シューつき) ■ロシア紅茶 

ロシアビールと2種類のウォッカが、久し振りの会話を弾ませました。



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2017年05月20日

これまで3戦全勝と好調の「浦安ベイクラブ」と残念乍ら引き分け

2017年5月20日(土)  これまで3戦全勝と好調の「浦安ベイクラブ」と残念乍ら引き分け

相手は、昨年度2部で第4位になり、今年度は2部に残留して第4位につけていて、今年も今まで3勝無敗と好調です。

12:00から「宮野木スポーツセンター野球場」(千葉市稲毛区)で、第1回戦を戦いました。

1番レフトで先発しました。

打撃は4打席とも内野ゴロで、見るべき所は全く有りません。

リードオフマンがこれでは、全く話になりません。

しかし試合は7-7で6回を迎え、両チームとも得点圏に走者を出しながらも、6回の裏表が0点に終わり、時間制限で引き分けました。

これで今期の成績を、1勝1引き分け2敗としました。



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2017年05月18日

NHK-BSでは圭と同時に阪神タイガース戦を編成することも

2017年5月17日(水)  NHK-BSでは圭と同時に阪神タイガース戦を編成することも

市川ライオンズBの野球練習が市川市塩浜で終わった後は、孫娘の家で一風呂浴び、孫娘と食事しながら、NHK-BSの番組を楽しみました。

チャンネル102では、阪神タイガースと中日ドラゴンズの第8回戦(これまで4勝3敗)、チャンネル101では、錦織圭とDavid Ferrerとの対戦が、放送されました。

どちらも気になるので、状況に応じて、3アウトになるとテニスを観、コートチェンジになると野球を観る、という事を繰り返しました。

阪神は、8回裏に高山のセンターオーヴァーの2塁打で2-1と勝ち越し、9回は守護神ドリスが抑えて、辛くも接戦を制し、貯金を12に伸ばしました。

錦織(ATPランキング第9位)は、「BNLイタリア国際大会」(ATP World Tour Masters 1000)のRound32
(ベスト16決め)で、David Ferrer(スペイン、ATPランキング第30位)に、セットカウント2-0(7-5,6-2)で勝ちました。

結構な番組を、同時に2つ楽しませていただきました。



posted by yone at 08:11| Comment(2) | TrackBack(0) | テニス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

涌泉寺(京都市左京区松ヶ崎)と「妙」の送り火

2017年5月11日(木)  涌泉寺(京都市左京区松ヶ崎)と「妙」の送り火

「宝ヶ池公園テニス場」(京都市左京区松ヶ崎)でテニスをしていると、いつも目の前に、京都五山送り火の1つ「妙」が迫ってきます。

今日も京大病院の後、高校時代の友人が主宰する「上七軒テニスサークル」に寄せてもらって、テニスを楽しみました。

毎年8月16日の精霊会の送り火には、「妙」と「法」の2文字が松ヶ崎地区の住民により、「西山(万灯籠山)」と「東山(大黒天山)」に燃やされます。

「日蓮宗 松ア山(しょうきさん)涌泉寺(ゆうせんじ)」(京都市左京区松ヶ崎)の寺伝では、送り火の起源は、徳治元(1306)年、日像によって天台宗から法華宗に改宗した際に、日像が「西山」に妙の字をかいて点火した事とされています。

ただし五山の送り火の起源については、定説はないとされているようです。

また送り火の終了後21:00頃から約1時間、涌泉寺の境内で「題目踊り」が行われるようですが、機会があれば観てしてみたいとは思います。

2か月前に小学校のプティクラス会をした時には、実質的に幹事をして貰ったのに、肩の緊急手術で参加できなかったOさんとファミレスで数時間話をして、色んな情報を交換しました。

50+で予約した、19:06京都発こだまのグリーン席でゆっくりと帰りましたが、泊まったホテルの下にある居酒屋「いろはかるた」で、生ビ大でテニスの後の体の渇きを癒した後、4種類の酒飲み比べを戴きました。

「澤屋まつもと守破離(しゅはり)純米酒」(京都市伏見区、松本酒造)、「祝蔵舞(いわいくらぶ)純米酒」(京都府京丹後市、竹野酒造)、「城陽(じょうよう)特別純米酒」(京都府城陽市、城陽酒造)、「京丹波 玉川(たまかわ)特別純米酒」(京都府京丹後市、木下酒造)、各90㎖です。



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2017年05月15日

南宮大社神幸祭・蛇山神事(岐阜県垂井町)

2017年5月5日(金・祝)  南宮大社神幸祭・蛇山神事(岐阜県垂井町)

例大祭には、「神幸(しんこう)式」と「蛇山(じゃやま)神事」、「還幸舞(かんこうのまい)」が行われます。

神幸式は、南宮大社が嘗ては北へ二キロほどのところの府中の「御旅神社」(祭神は南宮大社祭神の后とされている)の地にあったという伝承から、年に一度、祭神が神輿に乗って帰るという意味合いの神事と考えられ、「神輿渡御式」とも言われています。

10:00頃から、氏子をはじめ全国の金属業者や近隣の関係者が本殿に参列して、「例大祭」が行われました。

境内に居ても、遠くから太鼓のドンドコドンドコ鳴る音や人の歓声が聞こえてくるので、北の方に1q弱歩いて行くと新幹線の手前に大鳥居があり、その袂に設置された「蛇山(じゃやま)」の上で「蛇頭」が勢いよく舞っています。

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本殿の前にある「高舞殿」には、3基(「金山彦命(かなやまひこのみこと)」を真ん中に、左右に「樹下神社」、「高山神社」)の御輿が安置されています。

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14:00頃から「神幸(しんこう)祭」が始まり、「発輿(はっこう)祭」では各祭神の神霊が各御輿に移されました。

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14:40頃、御輿は「母衣花(ほろばな)」等に先導されて、2q程北にある南宮大社の摂社「南宮御旅神社」(旧社格は村社)に向かって「発輿」しました。

昔は御輿が川を渡御したという「相川」に架かる橋を渡って、15:30前に「南宮御旅神社」に着くと、御旅神社と白鬚神社で「着輿(ちゃっこう)祭」が行われました。

15:50頃には、本殿の前で「胡蝶の舞」が奉納されました。

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還御の御輿が17:15頃に宮代地区の「市場野祭礼場」に着くと、17:20過ぎから「蛇山(じゃやま)神事」が行われました。

高さが約13mある、「蛇山」と呼ばれる常設のコンクリート製の櫓の上で行われる「蛇頭の舞」は、五穀豊穣を祈る農耕神事ですが、蛇が激しく首を振り、髪の毛を振り回す度に歓声が上がります。

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今日の未明の1:00頃に、南宮神社の南方にある「南宮山」の奥にある「蛇池」から降神した「蛇頭」を「市場野祭礼場」まで運び、「蛇山」の天辺に取り付けたものです。

明け方から神輿が還幸する19:00頃まで、「ドンドコドンドコ」の囃子に合わせて蛇頭を上下左右に勢いよく振り動かし、口を開閉して舞い続けて、祭りの景気付けに努めてきました。  

櫓の前に置かれた「だんじり」では、「還幸舞(かんこうのまい)」が蛇頭の舞と並行して、奉奏されました。

昨日の夕方に「試楽」で見聞した、「鞨鼓(かっこ)舞」、「脱下(ぬぎさげ)舞」、「竜子(りゅうし)舞」です。

「羯鼓舞」は、稚児姿の男児2人が宝冠を頂き、前に羯鼓をさげて、撥で羯鼓を打ったり、互いに交叉したりして舞われます。

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「脱下舞」は、「ユライ」と呼ばれる紫縮緬の頭巾をかぶり、緋縮緬の綿入を片袖脱いで腰にまとった男児2人が舞いますが、この舞にだけ歌があって出出しの歌詞が「ありがたや」なので、「有難舞」ともいわれています。

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「竜子舞」は、羯鼓舞と脱下舞を演じた男児四人が、木彫りの「竜頭」をかぶり、鱗紋様の衣を着て、たつつけ袴を穿いて舞います。

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還幸舞の五人囃子の音色が一段と忙しくなると、上の「蛇頭の舞」と下の「竜子舞」が呼応して乱舞し、祭りは最高に盛り上がります。

19:00頃から「還幸祭」の予定でしたが、御輿が町内に向かって練り直し、戻ってきそうになかったので、適当に切り上げて帰りました。



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2017年05月14日

DeNAベイスターズに快勝し貯金を10に

2017年5月14日(日)  DeNAベイスターズに快勝し貯金を10に

テニスの朝練がコートコンディション不良のため出来なかったので、早めに横浜球場へ孫娘と、阪神タイガースのユニフォームに久し振りに袖を通して出掛けました。

STARSIDE(3塁側)内野指定席SSを、張り込みました。

試合前の練習では、糸井(3番センター)と福留(4番ライト)がキャッチボールをしていましたが、必ずしも全て胸元に球が来るわけではなく、たまには暴投もあったので、何故か少し安心したような気になりました。

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先発投手は藤浪で、四球とエラーとタイムリーで1回裏に2点を失ったので、どないなるんかいなと心配しましたが、2回表に2点を返してくれたのでホッとしました。

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この後均衡が続きましたが、9回表に福留がタイムリーを放って勝ち越し、守護神ドリスで逃げ切りました。

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これで貯金を10に伸ばし、読売に勝った広島には1.5ゲーム差、負けた読売には4.5ゲーム差をつけています。

試合終了後には娘と合流して、横浜中華街の「龍江飯店」で食べ放題、飲み放題を楽しみました。



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垂井曳山まつり(岐阜県垂井町)

2017年5月4日(木・祝)  垂井曳山まつり(岐阜県垂井町)

「還幸舞」の試楽が途中人が倒れると言った事故があり、終了時間が少し遅くなったので、終わると急いで中山道57番目(69次のうち)の「垂井(たるい)宿」(岐阜県不破郡垂井町)へと直行しました。

「垂井曳山まつり」は、毎年5月2〜4日に行われる「八重垣神社」の例祭ですが、豪華絢爛な3輌の曳山が有名で、舞台では子供歌舞伎が演じられます。

垂井では、「曳山」の「山」が「車偏に山」と表記されていますが、どうも漢字がなさそうなので、以下では「山」と表記します。

この祭りは、南北朝時代の文和2 (1353)年、北朝の「後光厳(ごこうごん)天皇」が垂井へ難を逃れた時の慰めに、村人が花車を造って曳き回したことが始まりといわれています。

その後、安永年間(1772〜1780年)に、曳山の上で子供による能狂言が演じられるようになり、その後稚児歌舞伎を奉納するようになり、現在へ継承されています。

18:00前に着いたので、先ずは「たるい庵」でチラシを戴いて、「後宴」(3日目である本日)の予定を確認して、18:10開始予定の「攀鱗閣(はんりんかく)」(2番山、西町)へと、駆け足で向かいました。

「西町」は中山道の通りの西の端なので、東町からの移動は大変です。

「攀鱗閣」の芸題は、「源平布引の滝(げんぺいぬのびきのたき) 実盛物語(さねもりものがたり)」です。

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「齋藤実盛」は11歳男子、「瀬尾十郎」は10歳男子、「葵御前」は10歳男子が務めていますが、「本山女人禁制」とされているからです。

こことは同じ文化圏に属する、国指定無形重文(垂井は、町指定無形民俗文化財)の「長浜子供歌舞伎」での、往年の売れっ子大スター「長浜の酔仙」さんの演技とは比ぶべくもないのでしょうが、皆さん上手に演じています。

しかし垂井まつりの山車の方が、立派であるように感じました。

女人禁制の他には、「練込中横断禁止」、「二階よりの観覧厳禁」、「文化財の保護」、「投菓子類の禁止」にご協力下さい、とありますが、それなりに経緯があるんでしょうね。

18:30から東町にある一番山「鳳凰山(ほうおうざん)」で芸があるので、攀鱗閣は途中で失礼して、垂井宿の西端から東端まで、必死で歩きました。

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「鳳凰山」の芸題は、「一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり) 奥殿(おくでん)」で、三番叟を10歳男子、一條大蔵長成を10歳男子、常盤御前を11歳男子が務めています。

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「紫雲閣(しうんかく)」(三番山、中町)では、「傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると) どんどろ大師(たいし)」が演じられたようですが、残念ながら観るタイミングを逸しました。

19:00には失礼してホテルに戻って風呂に入った後、駅前の飲み屋街を目指して突進し、「旬彩 侘助(わびすけ)」(大垣市高屋町)という居酒屋を見付けたました。

青魚と野菜を、「天降甘露地出 醴泉(れいせん)」(玉泉堂酒造、岐阜県養老町、15〜16度)と「三千盛(みちさかり) 悠醸(ゆうじょう)」(45%純米大吟醸、三千盛梶A多治見市、15〜16度)で戴きました。



2017年05月13日

南宮大社例大祭御田植祭(岐阜県垂井町)

2017年5月4日(木・祝)  南宮大社例大祭御田植祭(岐阜県垂井町)

午前中は余裕があったので、S化学での上司であったKさんの教えに従って「“水都”大垣」の城下町を朝散し、「奥の細道むすびの地」も訪ねました。

少し離れた「輪中(わじゅう)館」(大垣市入方)や「輪中生活館」にも足を延ばし、小学校で習って以来60年後になって、やっと現地を訪問することが出来ました。

「御田植祭(おたうえさい)」は、 農作物の豊穣を願う祭りで、例大祭(5月5日)の前日に行われます。

15:00から本殿で祭典が行われ、「御田植祭」は15:30頃から始まります。

少し時間があったので、国道21号線やJR東海道線の北にある、中山道57番目(69次のうち)の「垂井(たるい)宿」を見学に行ったところ、「垂井曳山(「山」は車偏に山と書かれている)まつり」に出くわしました。

2日の「試楽」、3日の「本楽」に続いて、今日の「後宴」で祭りが終わるので、南宮大社の御田植祭が終わったら観に来ることにして、一旦は南宮大社へ戻りました。

本殿の右手前の敷地の砂利を払いのけて土を露出させ、注連縄が張られた仮設の斎田に、宮代地区から選ばれた3歳から5歳までの少女21人の「早乙女」が、手甲、脚絆、襷、前掛姿で、左右に参列します。

「囃子方」3名(笛・太鼓・小鼓)や「所役」2名(「鍬役」と「杁(いり)役」)、「歌役」2名は、下座に座しています。

鍬役が真ん中に盛られた盛土を鍬で崩し、杁役が崩された盛土を「均し棒」(とんぼ、T字棒)で均します。

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杁役が、駕籠に入った苗(松の葉)の束を、早乙女達の前に1束づつ置いて回ります。

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囃し方が演奏を始め、歌役が田植え歌を歌います。

田植え歌が後半になったところで拍子木が打たれ、それを合図に早乙女たちが一斉に立ち上がり、苗を中央から自席の方へ5束に分けて並べます。

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幼女が21名もいれば、性格や能力等の違いによって並べ方や速度に違いが出て、なかなか微笑ましいものです。

境内で行う珍しい田植えは室町時代に完成しましたが、関ヶ原の戦いで中止され、寛永年間(1624〜1645年)の社殿再建に合わせて、他の諸神事とともに復活したそうです。

御田植は15:30過ぎに終了し、16:00過ぎからは、南宮大社の入り口の右側に鎮座する、末社の「数立(かずたて)神社」の例祭が行われました。

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数立神社は嘗て「美濃国総社」であり、国府からここへ遷されたという説があります。

16:30から「斎館」2階の「儀式殿」で、明日舞われる「還幸舞(かんこうのまい)」(羯鼓を打ち鳴らす「鞨鼓(かっこ)舞」、綿入れを片袖脱いで腰にまとう「脱下(ぬぎさげ)舞」、木彫りの竜頭をかぶる「竜子(りゅうし)舞」の3種類)の「試楽(しがく)」が行われました。

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還幸舞は宮代の4地区が毎年交代で担当しており、今年は天満地区の担当だそうです。

試楽は17:30過ぎに終わりました。



2017年05月12日

GOGO80の後は図書館月曜日デビュー

2017年5月8日(月)  GOGO80の後は図書館月曜日デビュー

GOGO80の野球練習は、月曜日、水曜日、金曜日の週3回ですが、水曜日は市川ライオンズの練習と被るので、最大週2回しか参加できません。

金曜日は練習終了後には図書館へ行けたのですが、昨年度までは月曜日が休館日だったので、虚しく、夕食の刺身等を買って帰るしかありませんでした。

しかも月曜日は、阪神タイガース(現在首位をキープ)の試合中継もなく、寂しい一日だったのです。

しかし本年度から船橋市が、図書館運営の“ミンカン”委託に踏み切り、晴れて月曜日の利用が可能になったので、今日は”月曜日デビュー”を果たしました。

今借りている「図説 満州帝国」(太平洋戦争研究会)を読み進めました。

GOGO80ではピッチングマシーンを使って、1回20球を2回(計40球)、打つことが出来ます。

今は、1回目はバントとセンター返し、2回目はライト(右)方向へ飛ばすことを、心掛けています。

しかし千葉還暦軟式野球リーグの公式戦では、徐々に効果が出てきた面もありますが、生身の投手の投球は、なかなか難しいと言わざるを得ません。

まあしかし、この歳になって、少しでも上達するものがあるという事は、嬉しいものです。



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南宮大社(岐阜県垂井町)

2017年5月3日(水、祝)  南宮大社(岐阜県垂井町)

「田原の御田」が終わると、渋滞が危惧される名神高速道路を避けて、京都縦貫道、舞鶴若狭道路、北陸道、名神高速道路経由の北回りで、「南宮大社(なんぐうたいしゃ)」(岐阜県不破郡垂井町、美濃国一宮、旧社格は国幣大社)を目指しました。

「美濃国の国府(こくふ)」の南に位置する宮として「南宮」を名乗るようになったとされ、鉱山を司どる神である「金山彦命(かなやまひこのみこと)」を祭神としており、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めています。

毎年5月5日の例大祭では、「神幸式」や「蛇山(じゃやま)神事」、「還幸(かんこう)舞」などの「南宮の神事芸能」が行われます。

明日南宮大社の神興が渡御する「南宮御旅神社(なんぐうおたびじんじゃ)」(旧社格は村社)は、南宮大社の北2qほどの所にありますが、ここは「美濃国の国府」があった場所と言われ、嘗ては「美濃国総社(そうじゃ)」であったと伝えられています。

律令制時代に国司が赴任すると、最初の仕事として、定められた神社を順番に参拝して回りましたが、平安時代になると国府の近くに「総社」を設け、巡回を省略しました。

現在は南宮大社の摂社となっており、祭神は「金山姫命(かなやまひめのみこと」(金山彦命の后とされています)です。

ホテルの近くの酒屋で「本醸造 美濃紅梅」(大垣市、武内合資会社、14〜15度、300ml)を買ってきて、湯上りに一気に飲んで一息つき、夕食はホテルで湯葉料理を戴きました。



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2017年05月10日

千葉スパローズに対して自滅

2017年5月6日(土)  千葉スパローズに対して自滅

相手は、昨年度2部で第5位になり、今年度は2部に残留して第5位につけている、格上のチームです。

14:15から「有吉公園スポーツ施設・野球場」(千葉市緑区おゆみ野)で第1回戦を戦いました。

1番レフトで先発しました。

第1打席は、内角を抉られて空振り三振を喫しましたが、後続の打線が爆発して2点を取ってくれたので、ホッとしました。

第2打席は、1塁走者を楽に走らせてやろうと思って振って出ましたが、ピッチャーフライに倒れました。

第3打席はリードされていて、何とか出塁したいと思っていましたが、投手が跳びついても取れない内野への高いゴロが、内野安打になりました。

すかさず2盗を決め、2番打者のヒットで3進し、3番打者のフィールダーズチョイス(野選)の間にホームに生還し、追い上げの追加点となる得点1を上げました。

今日は味方エラーが多く、安打数がほぼ互角にも拘らず、7-14というダブルスコアで負けてしまいました。

試合後コーチからは、何のために練習してんのんや、という意味の関東弁で、檄が飛びました。



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田原の御田(南丹市)

2017年5月3日(水・祝)  田原の御田(南丹市)

10:00過ぎに到着して神社境内でゆっくりしていたら、「作次郎」さんが「これから練習をするので、観られませんか」と言って下さったので、社務所裏の会議室で行われた練習も観せていただきました

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田原(たはら)の御田(おんだ)」 は豊作祈願の神事ですが、田植えが始まる時期の前に、一連の農耕作業の所作が演じられます。

10:30頃から本殿前で祭典が始まり、11:00には拝殿で演技が始まりました。

鎌倉時代の徳治2(1306)年に豊作祈願の神事として始まったと言われていまが、種撒きから刈り取りまでの農耕作業を、吉本の漫才のように面白おかしく、「作太郎(さくたろう)」や「作次郎(さくじろう)」、「牛役」、「早乙女」4名、「歌い手」10名の、計17名によって演じられます。

演技は作太郎(突っ込み)と作次郎(ボケ)の掛け合いで進められますが、役柄を演じる家は代々世襲されているそうです。

1.日柄改め

「今年はいつ種籾を水につけたらよかろう ほな暦をみましょうか。」との、作太郎と作次郎の会話があり、実際の暦を見て判断します。

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2.籾種揃え 

蔵の扉を開けて俵を取り出して籾種を検査して、見事な籾種であることに感心します。

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3.池さらえ

籾種を水に浸け置くために池の泥を上げる、「泥上げ作業」が演じられます。

会話の内容がネットに載せられていたので、実際にこの通りに言ったのかどうかには自信はありませんが、雰囲気を伝える意味で、転載しておきます。 

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"作太郎「なんと、よう埋まってますなあ」
作次郎「ほんによう埋まってますわ」
作太郎「おおう、ぎょうさんイモリが居りますわ」
作次郎「ほんまに、よけい居りますなあ」
作太郎「殺すのも可愛そうやはけ、横の方にやっときまひょ」
作次郎「そうしまひょ、イモリはあんまり悪いこともせえへんやろしなあ」
作太郎「よいしょ、よいしょ、ああ腰が痛とうなりました。作次郎はんは若いさけ、そんなことおへんやろけど」
作次郎「いやいや、腰の痛いのは変わらしまへんで。まあ腰を伸しもってやっておくれやす」"

4.種漬け、5.種上げ 

俵に石の重りを付けて、7〜10日間池の中に漬け、俵を取り出します。

6.苗代作り

鍬で苗代を作ります。

7.種蒔き

早生と晩生の種を苗代に蒔きますが、作次郎はいつも自分が「おくて」である事を嫌がって、作太郎に訴えかけます。

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8.鳥追い

作次郎が「おばあさん役」になり、鍋蓋のような円盤状の道具で、種を食べに来る鳥を追い払います。 

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9.牛買い

水田を耕す牛を作次郎が但馬へ買いに行きますが、20両からはびた一文まけられないという売主に対し、そこを何とか25両にまけてくれと値段交渉をします。

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25両で買った牛(牛役は小学生の男子)を連れて帰ってきて、この牛の肉付きの好い尻を見てみなさい、立派な牛でしょうと、作次郎は自慢気に話しますが、作太郎はあきれ顔です。 

10.田鋤き

牛が道具を付けられて田鋤きをしますが、牛が作次郎に体当たりしたので、作次郎はひっくり返ります。

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11.苗取り

4名の早乙女(小学校4〜6年生の女子)が、菖蒲を使って苗取りをします。

12−1.田植え

裃姿の「歌い手」10名によって「朝の田植え歌」が歌われる中で、早乙女達が稲(菖蒲)を持って田植えを行います。

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歌い手の持つ扇子には、午前と午後の田植え歌の歌詞が書かれていて、「今朝の日はよーんれ よーんれ よーんれ 黄金にまさるまた」から始まります。

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これが終わると5分間ほどの休憩となり、お供えされていた菓子類が、早乙女を始め全員に配られ、私も酢昆布とオカキを戴きました。

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12−2.田植え

1:55頃には「午後の田植え歌」が歌われて、午後の田植えが始まり、「つばくろが巣をかけたよ いまはこの稲に 七穂に八舛」と続きます。

13.見廻り、14.刈り入れ

稲を刈りますが、よく切れる鎌は播磨の曲がり鎌と強調されます。

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15.刈り終い

刈り取った稲(菖蒲)を稲木に掛け終わると、作太郎と作次郎が祭神と歌い手に対して終了の報告をして、「田原の御田」の演技は、12:05頃に終了しました。

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2017年05月09日

多治神社(南丹市)

2017年5月3日(水・祝)  多治神社(南丹市)

2日朝に高岡市を発ち、能越道路、北陸道、舞鶴若狭道路、京都縦貫道を経て、「多治神社(たじじんじゃ)」(京都府南丹市日吉町、旧社格は郷社)へ向かいました。

京丹波町に宿泊して、丹波牛200gを「丹波の銘酒 長老」(京丹波町、(有)長老)のワンカップで戴き、翌朝神社へと向かいました。

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社伝では、奈良時代の慶雲年間(704-707年に)、天智天皇第3皇子「田原(たはら)左大臣」による創建とされています。

鎮座地の集落名が「田原(たはら)郷」であることから「多治」の字が充てられたらしいのですが、鎌倉時代の乾元元(1302)年の棟札には「多沼大明神」の記載があり、「多沼」と称した時期もあったようです。

「田原(たはら)の御田(おんだ)」 は、毎年5月3日に行われており、鎌倉時代の徳治2(1306)年に、豊作祈願の神事として始まったものと言われています。



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2017年05月08日

御車山祭本祭(高岡市)

2017年5月1日(月)  御車山祭本祭(高岡市)

今日は「本祭」ですが天気が心配されていて、6:00〜8:00頃に降ると、山車の組み立てが出来ないそうです。

S化学での同期入社者で、退職後富山県に戻ったM君を誘っていたので、9:30過ぎにホテルで再会した時には、11:00からの「御車山曳揃い」は中止になっていました。

巡行も中止された2007年以来、10年振りに「曳揃い」と「勢揃い式」が中止になりましたが、昼前から天気が回復したので、15:00には山車7基が高岡信用金庫本店前に集合し、巡行が始まりました。

神々が通る道を予め払い清める露払い役として、「坂下町(さかしたまち)」の「源太夫獅子(げんだいじし)」が7基の御車山行列の先導を務めます。

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室町時代から江戸中期にかけて製作された「箱獅子」とよばれる平べったい獅子頭が、富山県には各所に残されていて行列の先導を務めますが、源太夫獅子はこれにあたります。

山車の巡行の順番は、慣例により「通町」が先頭となり、「御馬出町」、「守山町」、「木舟町」、「小馬出町」、「一番街通」が続き、最後が「二番町」と決まっています。

1.「通町とおりまち)」の山車は、毎年慣例により御車山巡行の先頭に立ちますが、「唐子(からこ)人形」がでんぐり返しを 行います。

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「鉾留(ほこどめ)」(御車山頂上部)に「 鳥兜 (とりかぶと)」、「本座( ほん ざ)」(ご神体)に「布袋和尚(ほていおしょう)」を乗せており、「後屏(こうへい)」(本座背面部)は高岡漆器の代表作といわれています。

2.「御馬出町(おんまだしまち)」の山車の鉾留には 「胡簶(やなぐい)に弓矢」、本座には「佐野源左衛門(さのげんざえもん)」を乗せています。

山車の幕は、藍地に三獣(象、唐獅子、虎)唐子遊模様を織り出したつづれ織で、「幔幕(まんまく)」の中では白眉といわれています。

3.「守山町もりやままち)」の山車は、鉾留に「 五鈷鈴(ごこ れい)」、本座に「 恵比須(えびす)」を乗せています。

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「高欄(こうらん)」に飾 られた龍や鳳凰などの金具、極彩色の「波涛と燕が飛び交う様」が見どころです。

この山車の前輪は修理中なので、飾り金具のない、真っ黒な前輪で巡行しましたが、異例なことの様です。

2016年から3年計画で修理しており、今は漆の中塗りの段階で、漆塗りに2年かけて2017年度に上塗りして、飾り金具を取り付ける計画だそうです。

4.「木舟町(きふねまち)」の山車は、鉾留に「 胡蝶(こちょう)」、本座に「大黒天(だいこくてん)」を乗せています。

高岡漆器の名工の作といわれる高欄や人形をはじめ、部材や工芸品に見るべきものがあります。

5.「小馬出町(こんまだしまち)」の山車は、鉾留に「太鼓に鶏(たいこにとり)」、本座に「 猩々(しょうじょう)」を乗せています。

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高欄や幕押えの金具は、高岡彫金の祖の作であり、彫金着色の技術は群を 抜いています。

6.「一番街通いちばんまちどおり)」の山車は、鉾留に「釣鐘(つりがね)」、本座に「尉と姥(じょうとうば)」を乗せています。

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「長押(なげし)」には 草花を背景にした十二支の金具が取り付けられており、中でも子や寅、申は、特に優れています。

7.「二番町(にばんまち)」の山車は、鉾留に「桐(きり)」、本座)に「 千枚分銅(せんまいぶんどう)」を乗せています。

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この山車の車輪だけが2輪で、直径2m5p、厚さは12.5p、材質は欅材、車輪の外周には幅4.5p、厚さ1.5pの二枚の鉄輪が嵌めこまれており、車輪に施された金工品は、御車山の中で最上品といわれています。

途中に通過する山宿では挨拶が行われ、1分間の黙祷のような、永いお辞儀が続きます。

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16:00頃には休憩のため、「大和デパート」の上階にある食堂で、生ビの大ジョッキを飲み干して咽喉の渇きを癒しましたが、小さく見える山車の鉾留が遠望できました。

17:00頃には、先頭の山車が高岡関野神社の鳥居前に参詣し、順次「曳納め(ひきおさめ)」となりました。

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飲み屋街の「桐の木通り」で居酒屋を探し、きときとの刺身やホタルイカ、白海老以外に「ガメ海老の唐揚げ」を、「勝駒(かちこま)」(高岡市、清都酒造場) の特別冷蔵酒で戴きました。

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何年か振りの再会だったので、積もる話に花が咲きました。



2017年05月07日

御車山祭宵祭(高岡市)

2017年4月30日(日)  御車山祭宵祭(高岡市)

「御車山(みくるまやま)」は、豊臣秀吉が天皇を聚楽第に迎えた時に使用した「御所車」を加賀藩初代前田利家が貰い受け、2代利長が慶長14(1609)年に高岡城を築くにあたり、町民に与えたのが始まりと伝えられています。

京都祇園の祭礼にならって「御所車」に鉾を立てたものが「御車山」で、[高岡関野神社]の春季例大祭に神輿と共に曳廻されて、高岡の発展とともに継承されてきました。

高さが約8m、長さが約6mあります。

高岡の金工、漆工、染色などの優れた工芸技術による装飾が、「車輪」や「高欄(こうらん)」、「長押(なげし)」等に施されています。

御車山は10町の「山町(やままち)」が保有し受け継いできましたが、高岡城から西に町割りされた地区にあります。

富山・守山・木舟の旧城下や、前田家ゆかりの美濃・近江・越前から移住してきた町民が居を構えたのが、始まりとされています。

城は一国一城令によって廃城となったものの、3代利常が高岡の産業振興に力を注いだので商工業都市として発展しましたが、「山町」の住民たちはその経済発展を担うとともに、華麗な御車山を伝承してきました。

10町の「山町」の内、「通町(とおりまち)」、「御馬出町(おんまだしまち)」、「守山町(もりやままち)」、「木舟町(きふねまち)」、「小馬出町(こんまだしまち)」、「二番町(にばんまち)」の6町は、各1基の「山車(やま)」を所有しています。

「一番町」、「三番町」、「源平町」の3町は、「一番街通(いちばんまちどおり)」の山車を1基共有しています。

「坂下町(さかしたまち)」は山車は所有せず、御車山行列を先導する獅子頭「源太夫獅子(げんだいじし)」を所有しています。

今晩は、明日の「本祭」に先立って、「宵祭」が行われます。

「山宿(やまやど)」と呼ばれる各町の町家では、人形や幔幕など、組み上げる前の御車山の部材や、以前使用されていた部材などが展示されています。

0.坂下町の山宿は「坂下町公民館」にあり、「源太夫獅子(げんだいじし)」が飾られています。

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1.「通町(とおりまち)」の山宿は「通町御車山交流館」にあります。

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2.「御馬出町(おんまだしまち)」の山宿は「澤田家」にあります。

3.「守山町(もりやままち)」の山宿は「高岡信用金庫本店」にあります。

4.「木舟町(きふねまち)」の山宿は「発田家」にありますが、山車は近くの観光駐車場の臨時山倉に既に組み立てられていて、雨対策がなされています。

「鉾留(ほこどめ)」に「 胡蝶(こちょう)」、「本座(ほんざ)」(ご神体)には「大黒天」を乗せています。

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5.「小馬出町(こんまだしまち)」の山宿は「土蔵造りのまち資料館」にあります。

6.「一番街通(いちばんまちどおり)」の山宿は「長谷川家」にあります。

7.「二番町(にばんまち)」の山宿は「田井家」にあります。

一旦ホテルに戻って、「食楽房 ENJYU(槐)」で「新湊産ホタルイカ酢味噌掛け」や「新湊産白海老唐揚げ」、「のどぐろ一夜干し」を、エクストラコールド生ビと、「苗加屋(のうかや)特別純米 琳青(りんのあお)」(砺波市、若鶴酒造、17度)で戴きました。

18:40頃に「二番町」の山宿「田井家」に行くと、高岡関野神社から二番町の山宿へ「弥真進大人命((まごころいやすすめうしのみこと)」を迎える神事が、前田家18代当主も参列して始まっていました。

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江戸時代に一命を投げ打って御車山の由緒を守った「津幡屋与四兵衛(つばたやよしべえ)」は、御車山の守護神「弥真進大人命」として、関野神社本殿の右(西)側にある祠に祀られています。

近くにある「津幡屋与四兵衛顕彰碑」も訪ねました。

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「御馬出町(おんまだしまち)」の山車は、山宿近くの駐車場にある臨時山倉に展示されていて、その前では「囃し方の試楽(しがく)」が行われています。

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鉾留には 「胡簶(やなぐい)に弓矢」、本座には「佐野源左衛門」を乗せています。



2017年05月06日

高岡関野神社

2017年4月30日(日)  高岡関野神社

「高岡関野神社(たかおかせきのじんじゃ)」(富山県高岡市、旧社格は県社)の春季例大祭「高岡御車山(みくるまやま)祭」は、毎年4月30日に宵祭、5月1日に本祭が行われます。

今年は、「ユネスコ無形文化遺産」に登録されて以降初めての開催です。

早朝に船橋市を発って「越中・丹波・美濃民俗の旅」を開始し、14:00頃に高岡市に着いてホテルにチェックインしました。

高岡市から加越能鉄道万葉線で繋がっていた新湊市(現在は射水市)にあったアルミニウム製錬の事業所に、1984〜1987年に勤務していた頃には、娘が幼かったこともあり、高岡市の街中を歩いた覚えはなく、高岡関野神社に詣でた記憶もありません。

「越中八尾 おわら風の盆」や「福野夜高祭(ふくのよたかまつり)」、「城端(じょうはな)むぎや祭」等は鑑賞しましたが、ゴールデンウィーク中に行われた「御車山祭」の記憶はありません。

恐らく、ゴールデンウイークには帰京していたか、どこかへ旅行していたからかと思います。



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2017年04月29日

市原クラブ銀杏との第1回戦に勝利し片目を開ける

2017年4月29日(土)  市原クラブ銀杏との第1回戦に勝利し片目を開ける

9:45から、「有吉公園スポーツ施設・野球場」(千葉市緑区おゆみ野)で「市原クラブ銀杏」との第1回戦を戦いました。

相手チームは、前年度2部で第3位となり、今年度も2部第3位に残留しています。

1番レフトで先発しました。

今時の阪神タイガースなら、高山か中谷といったところです。

球場は、左翼90m、右翼85m、中堅96mと広いので、外野手にとっては抜かれたら大変です。

第1打席は2塁手前へのフライとなりましたが、打球が変則回転していたので、2塁手が捕球することが出来ず、内野安打となりました。

2盗に成功し、パスボールの間に3塁を陥れ、3番打者のセカンドゴロの間にホームに生還したので、先制点となり、得点1を記録しました。

第2打席は速球派投手に挑戦して、周囲からも高評価を得たバントとしましたが、投手の好守備に阻まれて、惜しくもアウトになりました。

第3打席は空振り三振に倒れましたが、前回の東金戦でのスローカーブが低めに来た感じだったので、教訓を生かし切れませんでした。

第4打席は3塁走者を置いて追加点のチャンスでしたが、右に流した打球が上がり過ぎたので、ライトフライに倒れました。

守備機会は1度だけ7回裏に来ましたが、3塁手の後方へのフライをダッシュして好捕し、2アウト目を取りました。

甲子園流に言えば、この場面で「あと一人!あと一人!」コールとなるところですが、、試合は3-1で逃げ切り、2部での2試合目に片目を開けることが出来ました。

エラーが少なく、引き締まって緊張感のある、好試合でした。



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2017年04月17日

GOGO80の後は月曜日でも図書館へ

2017年4月17日(月)  GOGO80の後は月曜日でも図書館へ

月曜日のGOGO80の練習(11:00〜13:00)の後は、今までは、スーパーで夕食の刺身等を買って帰るのが、落ちでした。

しかし今年の4月1日から船橋市図書館の運営に「指定管理者制度」(民間委託)が導入され、月曜日も最終月曜日以外は開館されているので、楽しみが増えました。

今借りている「「ノモンハン戦争 モンゴルと満州国」(田中克之)を、閲覧室で読むために持参しました。

従来は、毎週月曜日と最終木曜日(図書整理日)が休館日(月間5〜6日)でしたが、今後は最終月曜日と第2木曜日(図書整理日)の2日だけが休館日となります。

私は「休肝日」(月間4〜6日程度)を削減するつもりはありませんが。

今日は春の日和に誘われたのか、在籍者25名の内19名が参加したので、久し振りに本年最初の紅白戦を行いました。

第3打席には右中間を深々と破る2塁打を放ち、GOGO80での打撃練習のテーマとしている「センター返しや右狙い」の成果が出たので、満足しています。

試合は8-7という僅差の好勝負になったので、皆さん楽しむことが出来たと思います。

ただ、久し振りに練習に参加したIさんと「好好苑」へランチミーティングをしに行ったので、船橋市東図書館での「月曜日デビュー」は、来週以降にお預けとなりました。



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2017年04月16日

盛況のサングリーンテニスクラブ朝練

2017年4月16日(日)  盛況のサングリーンテニスクラブ朝練

このところ土・日曜日に雨天が続いていたので、久し振りのテニスの朝練になりましたが、14名も参加する盛況となりました。

膝の故障の為にテニスを断念してたものの、2年半ぶりに練習に参加したMさん。

受験勉強の為に、1年間くらい遠ざかっていたI君とその親父さん。

車の運行に支障をきたしていたHさん。

これら各氏も今日は参加して朝練は盛況になりましたが、これからの夏場にかけて、このくらいの人数がいた方が、正直に言って助かります。

「サーヴィスアンドヴォリィ」から始まり、1人に対して2人が相手をする「強打ストローク練習」、「ヴォリィ」、「スマッシュ」、という一連の練習が終わったのは11:00を過ぎ、通常より1時間は永くなりました。

Y監督には、疲れ知らずで、ヴォリィやスマッシュの球出しに頑張って戴きました。

久し振りにフルに近いメンバーが集まったので、「花見に行こか」(本心は、何処でもいいから飲みに行こ)と呟きましたが、全く反応はありませんでした。



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2017年04月15日

東金野球クラブとの第1回戦

2017年4月15日(土)  東金野球クラブとの第1回戦

本年の「千葉県還暦軟式野球リーグ」で12試合を戦う2部での戦いが、今日から始まりました。

13:15から「宮野木スポーツセンター野球場」(千葉市稲毛区)で、「東金野球クラブ」との第一回戦を戦いました。

相手は、昨年1部で6位となり、2部に降格してきて、2部の第2位に位置するチームです。

我々は昨年3部で準優勝し、今年は2部に昇格して第7位ですから、相手は格上です。

風が強く、砂塵がしょっちゅう舞い上がる球場で、1番ライトで先発しました。

相手投手は一昨年2部で対戦した、大きくてがっちりした投手が今年も出てきましたが、体重は一層増加したような感じを受けました。

第1打席はバントを失敗し3-2まで追い込まれたので打って出ましたが、1・2塁間を鋭く抜くヒットを放つことが出来ました。

ライトゴロアウトを焦った右翼手が1塁へ悪送球して球がベンチに飛び込んだので、2塁に進塁しました。

内野ゴロの間に3進しましたが、残念ながら先取点には至りませんでした。

第2打席は2塁走者を置いて、ヒットエンドランのサインが出たので、投手の頭を越えるゴロを打ちましたが、1塁アウトの判定を受けたものの、大いに不服です。

2塁走者が3進し、その直後にワイルドピッチでホームに生還したので、大いに意味のある進塁打になりました。

第3打席は2塁走者を返そうと思って力んでしまったので、投手へのゴロに倒れました。

第4打席は満塁の好機に回ってきましたが、交替した投手に早めに2ストライクを取られてしまい、最後はカーブを投げられて、情けなくも敢え無く空振り三振に倒れました。

守備機会は全く有りませんでした。

7回表に1-5から5-5に追いつきましたが、残念ながら7回裏にサヨナラ負けしました。



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2017年04月09日

忍野八海八大龍王

2017年4月4日(火)  忍野八海八大龍王

午前中は「本栖(もとす)湖」や「西湖(さいこ)」、「河口湖」の周りをドライブし、本栖湖では「千円札富士山のヴューポイント」から富士を眺め、西湖では「岬」というカフェでコーヒーを飲みました。

店主の「冬期は冬眠です」という言葉の通り、観光客は本当に少なくて、いい感じでした。

水面の下った浜辺まで降りて、「水面石飛ばし」に熱中しましたが、最高で7段ほど飛ばせました。

「忍野八海(おしのはっかい)」(山梨県南都留郡忍野村)への道沿いに「北口本宮冨士浅間(せんげん)神社」(山梨県富士吉田市、旧社格は「県社」)があったので、立ち寄り参拝しました。

この神社の秋祭りである「富士吉田の火祭り『すすき祭り』」は、2010年8月27日(金)に鑑賞し、2010年9月4日に投稿しているので、ご覧いただければ幸いです。

忍野村では「ほうとう蔵 歩成」で、「黄金ほうとう “山梨のワイン豚(とん)”入り」を戴きました。

忍野村は嘗て湖でしたが、富士山の噴火活動が度重なる内に湖が涸れてしまったものの、富士山の伏流水による湧水池がいくつか残ったのが、「忍野八海」と言われる8つの池です。

8つの池それぞれに霊場があり、祭神である「八大龍王」が祀られています。

「出口池(でぐちいけ)」は1番霊場で、祭神「難陀竜王(なんだりゅうおう)」が祀られていますが、少し離れた所にあるので、5番霊場「湧池(わくいけ)」周辺に群がっていた殆どが中国系の観光客は、此処までは来ていません。

涌池では「池への硬貨投入禁止」(英語と中国語、朝鮮語でも書かれている)という看板が立てられていますが、木の枝には「名水に 硬貨入れても 効果なし」という短冊が下げられていたので、これは使えるなと2人で納得しました。

午後は、「山梨県立リニア見学センター」(山梨県都留市小形山)を見学しましたが、リニアモーターカーは正にあっという間に通り過ぎて行きました。

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江戸から数えて25番目の「大月(おおつき)宿」(山梨県大月市)から13番目の「小原(おばら)宿」( 神奈川県相模原市)まで「甲州街道」の宿場を訪ねるべく、国道20号線を八王子市まで、左右をキョロキョロしながら走りました。

15番目の「吉野(よしの)宿」(相模原市)には旅籠「ふじや」と本陣の土蔵が、また小原宿には「小原宿本陣」(旧清水家住宅)が現存していて、案内板と駐車場もありましたが、時間が遅くて見学は出来ませんでした。

夕食は「うかい竹亭」(東京都八王子市)で懐石料理を戴き、圏央道高尾ICから中央道、首都高、東関東道を経て帰宅しました。



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2017年04月08日

信玄ゆかりの寺社・城祉

2017年4月3日(月)  信玄ゆかりの寺社・城祉

石和温泉の朝風呂で汗を流した後、甲府市で信玄ゆかりの史跡を探訪しました。

「躑躅が崎館(つつじがさきやかた)祉」(甲府市古府中町)には「武田神社」が大正8(1919)年に創建され、武田信玄が祀られいますが、永正16(1519)年、信玄の父信虎が築城し、信虎・信玄・勝頼の3代が63年間にわたって住んでいました。

前回来た時には行かなかった城址の北辺を歩いてみましたが、春の兆しが感じられるポカポカ陽気を満喫出来ました。

「臨済宗妙心寺派 瑞巖山円光(えんこう)護持禅院」(甲府市岩窪町)は城址の東方にありますが、此処には信玄の正室三条夫人の「武田晴信室三条氏之墓」があります。

ここの鐘楼の撞木には「注意 自動で急に動きます さわらないで」と書かれており、上部に自動撞木用の装置らしき物があったので、恐らく自動撞木と思われましたが、私は初めて見て驚き、孫娘も感じ入っていました。

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円光院の少し南には、信玄が死後3年後に荼毘に付された「岩窪(いわくぼ)の墓所」があります。

信玄が遺言によって喪を3年間秘匿していたことや、埋葬地を秘密にしていたこともあり、信玄の墓とされるものは、此処以外に何カ所かあるようです。

城址の北方に位置する「要害(ようがい)山」の南麓の標高約530mの高台に立地する「臨在宗妙心寺派 万松山積翠寺(せきすいじ)」(甲府市上積翠町)には、信玄の産湯を汲んだ井戸があり「産湯天神」が祀られています。

要害山には信虎が躑躅ヶ崎館の詰城として「要害山城」を築城し、信玄は永正18(1521)年に此処で誕生したとされています。

井戸や少し荒れた庭園を見ていたら、住職の奥さんが出てこられたので、色んな話を伺いました。

昼は元祖「甲府鳥もつ煮」発祥店である「そば処 奥藤本店国母店」(甲府市国母)で、「手打ちそば」と「甲府鳥もつ煮」、「甲州芦川産 手作り生芋刺身こんにゃく」 、「甲府名物馬刺し」、「甲州芦川産 葉わさびの醤油漬け」をいただきました。

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ご当地B級グルメとして注目されている「甲府鳥もつ煮」は、昭和25(1950)年ごろに此の店で誕生し、甲府近郊へと広まった料理だそうです。

この後「シャトレーゼ白州(はくしゅう)工場」(山梨県北杜市白州町)を見学し、甘い物は別腹と言う孫娘お目当ての「アイスの無料試食」に励みました。

次にアイスを買う時にはシャトレーゼを探してみようかと思わせたら、目標達成ですかね。

しかも私は娘と飲むために、「白州工場売店限定ワイン 森の白」(シャトレーゼ ベルフォーレ ワイナリー、12%)と「森の赤」(12%)、「ブルーベリーワイン赤」(8.5%)を買ってしまったのです。

今晩は、富士五湖の1つ「精進(しょうじ)湖」畔のホテルに宿泊しましたが、窓から飛び込んできた富士山を見るなり、孫娘に窓側のベッドを取られてしまいました。



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2017年04月07日

石和温泉花みこし

2017年4月2日(日)  石和温泉花みこし

跡部の踊り念仏を観た後、「JAXA臼田(うすだ)宇宙空間観測所」(佐久市上小田切)の間近まで行って引き返し、「石和(いさわ)温泉」(山梨県笛吹市)へと向かいました。

この観測所は、惑星や月などに接近して観測を行う宇宙探査機に向けて動作指令を送信したり、探査機からの観測データを受信する施設で、直径64mの反射鏡を持つ総重量約2,000Tのパラボラアンテナがあるそうです。

山道を上がって行くと道脇に除雪された雪が目立つようになり、いよいよ間近になった地点で、遂には通行止めになったので、孫娘は大層残念がっていました。

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石和温泉では露天風呂がある部屋に宿泊し、湯上りには茂田井宿で買った酒を、早速戴きました。

「石和宿」は「甲州街道」の、江戸から数えて37番目の宿場町ですが、、奈良時代の律令体制下では、国府がおかれた「甲斐国」の中心地でした。

甲州街道は、家康が江戸城陥落の際に甲府までの避難路を想定して造成したと言われていて、街道沿いには砦用に多くの寺院や同心屋敷を置き、短い街道にもかかわらず、「小仏(こぼとけ)宿」と「鶴瀬(つるせ)宿」には関所を設けています。

夕食を終えて部屋で寛いでいたら、外が賑やかになったので表に出てみると、「笛吹市桃源郷春祭り 石和温泉花みこし」の一行が、ホテルの前でホテルの持成しを受けています。

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芸妓の姿も見られ、黒人や白人も神輿を担いでいるのて、国際的な雰囲気もあります。

屋外に出た序でに、ホテルの前を流れる川の両岸に植えられた桜の、3分咲き程度の花を愛でましたが、寒かったので早々に引き上げました。

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2017年04月06日

跡部の踊り念仏(佐久市)

2017年4月2日(日)  跡部の踊り念仏(佐久市)

毎年4月第1日曜日に「浄土宗 西方寺(さいほうじ)」(長野県佐久市跡部)で、「例会」として公開されている「跡部(あとべ)の踊り念仏」が、西方寺の本堂で13:00から行われたので、孫娘と一緒に鑑賞しました。

「跡部の踊り念仏」は、弘安2(1279)年に、時宗の開祖「一遍上人」が善光寺に参詣した帰途に、信濃国佐久郡「伴野庄(ともののしょう)」(佐久市野沢)を訪れた際に、「小田切の里」(佐久市下小田切)で初めて行ったといわれる「踊り念仏」です。

この踊り念仏は、戦前までは跡部だけでなく他の地区にも残っていたようですが、「跡部踊り念仏保存会」によって佐久市内で受け継がれているのは、現在では跡部地区だけです。

踊り念仏は、本堂内に組み立てた4m四方の「道場」(舞台)の中で行われます。

道場は49枚の「板塔婆(いたとうば)」を垣根とし、「発心(ほっしん)門」、「修行(しゅぎょう)門」、「菩提(ぼだい)門」、「涅槃(ねはん)門」という4つの鳥居門を4辺に立て、天蓋形の屋根を白布で覆い、中央に据えた「太鼓台」に「太鼓」が2つ置かれています。

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太鼓は鞨鼓(かっこ)型をしており、大きい方の直径が29p、長さが58p、小さい方の直径が25p、長さが52pあります。

鉦は青銅製で、直径が16pあります。

2人の男性の太鼓方が音頭をとり、8人の女性の踊り手が「鉦(かね)」を打ち鳴らしながら踊ります。

13:00過ぎには住職による誦経が始まり、講話では「恵まれし 命なりせば 今日の日は 再び来ぬ 尊き一日」という言葉が印象に残りました。

保存会長の話が終わって13:30近くになると、太鼓方の合図に従って、踊り手達が「南無阿弥陀仏」と「引声(いんぜい)念仏」を唱えながら道場に入場しました。

女性は紫色の無地の着物に「南無阿弥陀仏」と書かれた白襟を着けており、先頭の2人が袱紗に包んだ「和讃(わさん)本」を両手に捧げ、後に続く6人は胸に鉦を掛けて「撞木(しゅもく)」を手に持って鉦を叩きます。

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和讃を合唱したり、「南無阿弥陀仏」と繰り返しながら、踊りは盛り上がって行きます。

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踊り手は鉦を打ち鳴らしながら右方に1歩跳ね、3度足踏みして左方に1歩跳ね、更には前方に1歩跳ねて、右後方と左後方を交互に振り返り、また前方に1歩跳ねます。

このような踊躍状態が続くと、やがて恍惚状態に至ります。

踊りは13:50頃に終了し、引き続いて、文化伝承に努めている、青い上着姿の子供たちによる踊り念仏が行われ、14:00過ぎには終わりました。

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境内の参道の両側には「知恵団子」を持った子供達が並び、参拝者に配りました。

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2017年04月04日

西方寺(佐久市)

2017年4月2日(日)  西方寺(佐久市)

「浄土宗 西方寺(さいほうじ)」(長野県佐久市跡部)で、毎年4月の第1日曜日に行われる「跡部(あとべ)の踊り念仏」を観に行く前に、「佐久(さく)五宿」を巡りました。

孫娘を6:00にピックアップして、関越道を経て、9:30に中山道「佐久五宿」の1つ「茂田井(もだい)間の宿(あいのしゅく)」(佐久市茂田井)に着きました。

孫娘の春休みを利用した、「甲信地歴・民俗の旅」の始まりです。

「茂田井間の宿」は、「望月〔もちづき)宿」(江戸から25番目)と「芦田(あしだ)宿」(26番目)で対応出来ない際の休憩処でしたが、良質米の産地なので、街道沿いには「大澤酒造」と「武重本家酒造」があります。

大澤酒造の「厳寒の秘造り 久志能加美久志 善光寺秘蔵酒」(15〜16度)と、武重本家酒造の「生酛造り 牧水」(15〜16度)を買いました。

「塩名田(しおなだ)宿」(23番目)は、中山道で唯一千曲川を渡河する場所にある宿場ですが、河畔にある老舗の川魚料理店「のむら」で昼食にして、「鯉の洗い」と「鮠(はや)の唐揚げ」、「岩魚の塩焼き」、「田螺(たにし)の味噌汁」を戴きました。

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田螺の身を穿り出して食べるのには多少手こずりましたが、卵と思われる直径2o程度の黒っぽい球体を食べると、カシャカシャといった独特の噛み心地がして、決して美味しいとは言いませんが、乙な味わいがありました。

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窓外の川の土手に立ち並ぶ桜の木は、残念ながら開花が未だ1週間程先になろうかという状態です。

嘗ては花街も繁盛していたようで、本陣を始め、宿場町の佇まいを感じさせる町並みが残されています。

孫娘も、最も印象深く好い感じがした宿場の筆頭に挙げていました。

食事の後、西方寺で「跡部の踊り念仏」を鑑賞しました。



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2017年03月25日

古希Aチームとの交流戦

2017年3月25日(土)  古希Aチームとの交流戦

3日前の「古希Bチーム」に続いて、今日は「古希Aチーム」と、練習試合を戦いました。

「古希A」は千葉県還暦野球リーグ古希リーグの1位ですから、強豪です。

球団内には、還暦A、還暦B、古希A、古希B、ドンマイ、の5チームがあり、それぞれ違った方針や編成基準があります。

1番レフトで先発しました。

第1打席は3塁線へのバントを試しましたが、投手に捕られてしまったので、間一髪でアウトになりました。

第2打席は満塁の好機に叩き付ける打撃をしたら、1バウンドした球は高く舞い上がったので、1塁手が捕球した時には既にその横を駆け抜けており、軽く内野安打として、打点1を記録しました。

2進した後、内野ゴロの間にホームベースに突っ込んだところ、クロスプレイにはなりましたがセーフとなり、得点1を挙げました。

第3打席は2塁走者を進めるべき打撃が要求される場面でしたが、交替した元ノンプロ投手に簡単に2ストライクに追い込まれたので、思い切り振り切ったらレフト前のポテンヒットになりました。

1・3塁になったので2盗し、3進しましたが、それまででした。

試合は、4-8で破れました。



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2017年03月23日

古希市川ライオンズBチームとの交流戦

2017年3月22日(水)  古希市川ライオンズBチームとの交流戦

市川ライオンズ球団の内部の交流戦を、「古希市川ライオンズBチーム」と、「福栄スポーツ広場野球場」(市川市福栄)で行いました。

「古希市川ライオンズBチーム」は「千葉県還暦軟式野球大会」では、古希リーグ9位(13チーム中)に付けています。

1番センターで先発しました。

第1打席は初球を3塁線にバントして3塁手への内野安打とし、2盗に成功した後、レフト前ヒットで2塁からホームへ生還しました。

第2打席は1球目と2球目にバントを失敗したので、ヒッティングに切り替えたところ、ライト前にライナーを放ってヒットとすることが出来、その後2盗に成功しました。

当りが良かったので、危うくライトゴロに処理される処でしたが、逆に当りが良くて、右翼手がファンブルしてくれたので助かりました。

第3打席は1塁線にバントして、2塁走者を進めようとしたのですが、投手がファンブルしたらしくセーフとなりましたが、記録員が内野安打にしたのか、投手エラーにしたのかは不明です。

2盗の後3進し、パスボールの間にホームを陥れました。

第4打席は3塁手へのボテボテのゴロになったので、内野安打になりました。

敵の1塁手から、バントも含めた内野ゴロの内で、最も好いゴロだったと言われ、複雑な心境になりました。

3進した後、ファーストゴロの間にホームに生還し、今日3つ目の得点を挙げました。

守備面では、殆ど球が飛んでくることがなく、センター前ヒットを一本処理しただけでした。

試合は11-1で勝ちました。



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2017年03月19日

千葉県還暦軟式野球連盟審判員研修会

2017年3月18日(土)  千葉県還暦軟式野球連盟審判員研修会

「千葉公園野球場」(千葉市)で、千葉県還暦野球連盟による「審判研修会」が開催されたので、我がチームからも5名が参加しました。

2015年に初参加して「審判員認定証」を戴いて以来、2年振りです。

野球規則は改訂が結構あるので、ある程度の頻度で参加しておくことが必要です。

球審や塁審の審判の仕方について、実技も含めてみっちり学びました。

他の古希チームに所属するIさんと一緒に帰り、北習志野駅の近くの居酒屋で飲んで、情報交換しました。



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2017年03月12日

坂戸還暦野球クラブとの交流戦

2017年3月11日(土)  坂戸還暦野球クラブとの交流戦

今月は我々もオープン戦の季節です。

「坂戸市民総合運動公園軟式野球場」(埼玉県坂戸市)に出掛け、「坂戸還暦野球クラブ」との今年最初の対外試合に臨みました。

1番ライトで先発しました。

第1打席は球筋を観察するために、ど真ん中の初球を見送ったら、2球目は外角のスライダーを、低めを良く取る審判にストライクと判定されて、早くも0ボール2ストライクと追い込まれました。

もうこうなったら打つしかないので、1-2の後に打って出たら、セカンドフライを打ち上げてバッターアウトです。

第2打席はバントを試してみたかったのですが、失敗したのでヒッティングに切り替えたら、センター前にライナーを運ぶことが出来ました。

2球目には好きなことをやれというサインが出たので、早速2盗に挑み一旦は成功したのですが、勢い余ってオーヴァーランしてしまい、まっこと残念なことにアウトになりました。

しかし盗塁のタイミングやリードの取り方については、確かな手応えを掴みました。

第3打席はバントに執念を燃やしていただけに何とか成功させたかったのですが、3塁手への球が少し強めに転がってしまい、間一髪で間に合いませんでした。

しかし周りからは、好いバントだったが惜しかったという評価も得られたので、これも確かな手応えを感じました。

守備面では、浅めのフライを前進して確実に捕球し、ライトゴロも一つアウトにしたので、日頃の厳しい練習の成果が着実に出てきてるように思います。

試合は3-11で敗れましたが、色んな課題が浮き彫りになった、今年の初試合でした。



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2017年03月10日

瑞泉寺(プティ同窓会の前に)

2017年3月9日(木)  瑞泉寺(プティ同窓会の前に)

京大病院の後、宝が池でテニスをしてから一旦京都駅近辺のホテルに戻って風呂を浴び、三条河原町近くの「文福茶釜のたぬき六角店」(河原町六角東入る)での、京都市立御室小学校6年1組のプティ同窓会に臨みました。

時間があったので、関白「豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ)」の墓所がある「浄土宗西山禅林寺派 慈舟山(じしゅうざん)瑞泉寺(ずいせんじ)」(京都市中京区木屋町通三条下る)に寄りました。

この辺りは、江戸時代の初めまでは鴨川の河原の中州であったらしく、河原は今の河原町通りくらいまで広がっていたようです。

文祿4(1595)年、豊臣秀次の一族の公開処刑が三条河原で行われましたが、瑞泉寺は一族を弔うために建立されました。

一族の遺骸が投げ込まれた「大穴」の跡に築かれた大きな「殺生(せっしょうづか、「摂政関白の塚」からの転意」)の頂上に、秀次の首を納めた「石びつ」が据えられ、三条大橋を渡る人々への見せしめとされました。

石びつは瑞泉寺にある一族の墓所に移されて、石塔の中央部に奉安されていますが、石塔の周りには、一族39名と、秀次に殉じて自刃した家臣10名の、合計49基の五輪石塔があります。

また木屋町あたりを散策していたら、元・立誠小学校の教室跡に「TRAVELING COFFEE」(木屋町蛸薬師)という珈琲店があったので、一休みしました。

旧姓Oさんに無理を言って、京都近辺在住の同級生に声を掛けてもらったところ、男性2名、女性5名の計7名が集まりました。

“飲み放”だったので気兼ねなく、各種アルコールをテニスの後の乾いた体に流し込みながら、大いに食べて大いに語り合いました。

二次会は祇園にある「和京」というカラオケスナックに移動して、「分かってください」や「ゆうすげの恋」、「恋」、「いっそセレナーデ」、「今はもうだれも」、「銀座の恋の物語」、「浪花恋しぐれ」、「ワインレッドの心」、「また君に恋してる」、「忘れていいの」、「都会の天使たち」等を歌いました。



posted by yone at 16:55| Comment(9) | TrackBack(0) | 寺社、宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする