2017年04月17日

GOGO80の後は月曜日でも図書館へ

2017年4月17日(月)  GOGO80の後は月曜日でも図書館へ

月曜日のGOGO80の練習(11:00〜13:00)の後は、今までは、スーパーで夕食の刺身等を買って帰るのが、落ちでした。

しかし今年の4月1日から船橋市図書館の運営に「指定管理者制度」(民間委託)が導入され、月曜日も最終月曜日以外は開館されているので、楽しみが増えました。

今借りている「「ノモンハン戦争 モンゴルと満州国」(田中克之)を、閲覧室で読むために持参しました。

従来は、毎週月曜日と最終木曜日(図書整理日)が休館日(月間5〜6日)でしたが、今後は最終月曜日と第2木曜日(図書整理日)の2日だけが休館日となります。

私は「休肝日」(月間4〜6日程度)を削減するつもりはありませんが。

今日は春の日和に誘われたのか、在籍者25名の内19名が参加したので、久し振りに本年最初の紅白戦を行いました。

第3打席には右中間を深々と破る2塁打を放ち、GOGO80での打撃練習のテーマとしている「センター返しや右狙い」の成果が出たので、満足しています。

試合は8-7という僅差の好勝負になったので、皆さん楽しむことが出来たと思います。

ただ、久し振りに練習に参加したIさんと「好好苑」へランチミーティングをしに行ったので、船橋市東図書館での「月曜日デビュー」は、来週以降にお預けとなりました。



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2017年04月16日

盛況のサングリーンテニスクラブ朝練

2017年4月16日(日)  盛況のサングリーンテニスクラブ朝練

このところ土・日曜日に雨天が続いていたので、久し振りのテニスの朝練になりましたが、14名も参加する盛況となりました。

膝の故障の為にテニスを断念してたものの、2年半ぶりに練習に参加したMさん。

受験勉強の為に、1年間くらい遠ざかっていたI君とその親父さん。

車の運行に支障をきたしていたHさん。

これら各氏も今日は参加して朝練は盛況になりましたが、これからの夏場にかけて、このくらいの人数がいた方が、正直に言って助かります。

「サーヴィスアンドヴォリィ」から始まり、1人に対して2人が相手をする「強打ストローク練習」、「ヴォリィ」、「スマッシュ」、という一連の練習が終わったのは11:00を過ぎ、通常より1時間は永くなりました。

Y監督には、疲れ知らずで、ヴォリィやスマッシュの球出しに頑張って戴きました。

久し振りにフルに近いメンバーが集まったので、「花見に行こか」(本心は、何処でもいいから飲みに行こ)と呟きましたが、全く反応はありませんでした。



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2017年04月15日

東金野球クラブとの第1回戦

2017年4月15日(土)  東金野球クラブとの第1回戦

本年の「千葉県還暦軟式野球リーグ」で12試合を戦う2部での戦いが、今日から始まりました。

13:15から「宮野木スポーツセンター野球場」(千葉市稲毛区)で、「東金野球クラブ」との第一回戦を戦いました。

相手は、昨年1部で6位となり、2部に降格してきて、2部の第2位に位置するチームです。

我々は昨年3部で準優勝し、今年は2部に昇格して第7位ですから、相手は格上です。

風が強く、砂塵がしょっちゅう舞い上がる球場で、1番ライトで先発しました。

相手投手は一昨年2部で対戦した、大きくてがっちりした投手が今年も出てきましたが、体重は一層増加したような感じを受けました。

第1打席はバントを失敗し3-2まで追い込まれたので打って出ましたが、1・2塁間を鋭く抜くヒットを放つことが出来ました。

ライトゴロアウトを焦った右翼手が1塁へ悪送球して球がベンチに飛び込んだので、2塁に進塁しました。

内野ゴロの間に3進しましたが、残念ながら先取点には至りませんでした。

第2打席は2塁走者を置いて、ヒットエンドランのサインが出たので、投手の頭を越えるゴロを打ちましたが、1塁アウトの判定を受けたものの、大いに不服です。

2塁走者が3進し、その直後にワイルドピッチでホームに生還したので、大いに意味のある進塁打になりました。

第3打席は2塁走者を返そうと思って力んでしまったので、投手へのゴロに倒れました。

第4打席は満塁の好機に回ってきましたが、交替した投手に早めに2ストライクを取られてしまい、最後はカーブを投げられて、情けなくも敢え無く空振り三振に倒れました。

守備機会は全く有りませんでした。

7回表に1-5から5-5に追いつきましたが、残念ながら7回裏にサヨナラ負けしました。



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2017年04月09日

忍野八海八大龍王

2017年4月4日(火)  忍野八海八大龍王

午前中は「本栖(もとす)湖」や「西湖(さいこ)」、「河口湖」の周りをドライブし、本栖湖では「千円札富士山のヴューポイント」から富士を眺め、西湖では「岬」というカフェでコーヒーを飲みました。

店主の「冬期は冬眠です」という言葉の通り、観光客は本当に少なくて、いい感じでした。

水面の下った浜辺まで降りて、「水面石飛ばし」に熱中しましたが、最高で7段ほど飛ばせました。

「忍野八海(おしのはっかい)」(山梨県南都留郡忍野村)への道沿いに「北口本宮冨士浅間(せんげん)神社」(山梨県富士吉田市、旧社格は「県社」)があったので、立ち寄り参拝しました。

この神社の秋祭りである「富士吉田の火祭り『すすき祭り』」は、2010年8月27日(金)に鑑賞し、2010年9月4日に投稿しているので、ご覧いただければ幸いです。

忍野村では「ほうとう蔵 歩成」で、「黄金ほうとう “山梨のワイン豚(とん)”入り」を戴きました。

忍野村は嘗て湖でしたが、富士山の噴火活動が度重なる内に湖が涸れてしまったものの、富士山の伏流水による湧水池がいくつか残ったのが、「忍野八海」と言われる8つの池です。

8つの池それぞれに霊場があり、祭神である「八大龍王」が祀られています。

「出口池(でぐちいけ)」は1番霊場で、祭神「難陀竜王(なんだりゅうおう)」が祀られていますが、少し離れた所にあるので、5番霊場「湧池(わくいけ)」周辺に群がっていた殆どが中国系の観光客は、此処までは来ていません。

涌池では「池への硬貨投入禁止」(英語と中国語、朝鮮語でも書かれている)という看板が立てられていますが、木の枝には「名水に 硬貨入れても 効果なし」という短冊が下げられていたので、これは使えるなと2人で納得しました。

午後は、「山梨県立リニア見学センター」(山梨県都留市小形山)を見学しましたが、リニアモーターカーは正にあっという間に通り過ぎて行きました。

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江戸から数えて25番目の「大月(おおつき)宿」(山梨県大月市)から13番目の「小原(おばら)宿」( 神奈川県相模原市)まで「甲州街道」の宿場を訪ねるべく、国道20号線を八王子市まで、左右をキョロキョロしながら走りました。

15番目の「吉野(よしの)宿」(相模原市)には旅籠「ふじや」と本陣の土蔵が、また小原宿には「小原宿本陣」(旧清水家住宅)が現存していて、案内板と駐車場もありましたが、時間が遅くて見学は出来ませんでした。

夕食は「うかい竹亭」(東京都八王子市)で懐石料理を戴き、圏央道高尾ICから中央道、首都高、東関東道を経て帰宅しました。



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2017年04月08日

信玄ゆかりの寺社・城祉

2017年4月3日(月)  信玄ゆかりの寺社・城祉

石和温泉の朝風呂で汗を流した後、甲府市で信玄ゆかりの史跡を探訪しました。

「躑躅が崎館(つつじがさきやかた)祉」(甲府市古府中町)には「武田神社」が大正8(1919)年に創建され、武田信玄が祀られいますが、永正16(1519)年、信玄の父信虎が築城し、信虎・信玄・勝頼の3代が63年間にわたって住んでいました。

前回来た時には行かなかった城址の北辺を歩いてみましたが、春の兆しが感じられるポカポカ陽気を満喫出来ました。

「臨済宗妙心寺派 瑞巖山円光(えんこう)護持禅院」(甲府市岩窪町)は城址の東方にありますが、此処には信玄の正室三条夫人の「武田晴信室三条氏之墓」があります。

ここの鐘楼の撞木には「注意 自動で急に動きます さわらないで」と書かれており、上部に自動撞木用の装置らしき物があったので、恐らく自動撞木と思われましたが、私は初めて見て驚き、孫娘も感じ入っていました。

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円光院の少し南には、信玄が死後3年後に荼毘に付された「岩窪(いわくぼ)の墓所」があります。

信玄が遺言によって喪を3年間秘匿していたことや、埋葬地を秘密にしていたこともあり、信玄の墓とされるものは、此処以外に何カ所かあるようです。

城址の北方に位置する「要害(ようがい)山」の南麓の標高約530mの高台に立地する「臨在宗妙心寺派 万松山積翠寺(せきすいじ)」(甲府市上積翠町)には、信玄の産湯を汲んだ井戸があり「産湯天神」が祀られています。

要害山には信虎が躑躅ヶ崎館の詰城として「要害山城」を築城し、信玄は永正18(1521)年に此処で誕生したとされています。

井戸や少し荒れた庭園を見ていたら、住職の奥さんが出てこられたので、色んな話を伺いました。

昼は元祖「甲府鳥もつ煮」発祥店である「そば処 奥藤本店国母店」(甲府市国母)で、「手打ちそば」と「甲府鳥もつ煮」、「甲州芦川産 手作り生芋刺身こんにゃく」 、「甲府名物馬刺し」、「甲州芦川産 葉わさびの醤油漬け」をいただきました。

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ご当地B級グルメとして注目されている「甲府鳥もつ煮」は、昭和25(1950)年ごろに此の店で誕生し、甲府近郊へと広まった料理だそうです。

この後「シャトレーゼ白州(はくしゅう)工場」(山梨県北杜市白州町)を見学し、甘い物は別腹と言う孫娘お目当ての「アイスの無料試食」に励みました。

次にアイスを買う時にはシャトレーゼを探してみようかと思わせたら、目標達成ですかね。

しかも私は娘と飲むために、「白州工場売店限定ワイン 森の白」(シャトレーゼ ベルフォーレ ワイナリー、12%)と「森の赤」(12%)、「ブルーベリーワイン赤」(8.5%)を買ってしまったのです。

今晩は、富士五湖の1つ「精進(しょうじ)湖」畔のホテルに宿泊しましたが、窓から飛び込んできた富士山を見るなり、孫娘に窓側のベッドを取られてしまいました。



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2017年04月07日

石和温泉花みこし

2017年4月2日(日)  石和温泉花みこし

跡部の踊り念仏を観た後、「JAXA臼田(うすだ)宇宙空間観測所」(佐久市上小田切)の間近まで行って引き返し、「石和(いさわ)温泉」(山梨県笛吹市)へと向かいました。

この観測所は、惑星や月などに接近して観測を行う宇宙探査機に向けて動作指令を送信したり、探査機からの観測データを受信する施設で、直径64mの反射鏡を持つ総重量約2,000Tのパラボラアンテナがあるそうです。

山道を上がって行くと道脇に除雪された雪が目立つようになり、いよいよ間近になった地点で、遂には通行止めになったので、孫娘は大層残念がっていました。

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石和温泉では露天風呂がある部屋に宿泊し、湯上りには茂田井宿で買った酒を、早速戴きました。

「石和宿」は「甲州街道」の、江戸から数えて37番目の宿場町ですが、、奈良時代の律令体制下では、国府がおかれた「甲斐国」の中心地でした。

甲州街道は、家康が江戸城陥落の際に甲府までの避難路を想定して造成したと言われていて、街道沿いには砦用に多くの寺院や同心屋敷を置き、短い街道にもかかわらず、「小仏(こぼとけ)宿」と「鶴瀬(つるせ)宿」には関所を設けています。

夕食を終えて部屋で寛いでいたら、外が賑やかになったので表に出てみると、「笛吹市桃源郷春祭り 石和温泉花みこし」の一行が、ホテルの前でホテルの持成しを受けています。

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芸妓の姿も見られ、黒人や白人も神輿を担いでいるのて、国際的な雰囲気もあります。

屋外に出た序でに、ホテルの前を流れる川の両岸に植えられた桜の、3分咲き程度の花を愛でましたが、寒かったので早々に引き上げました。

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2017年04月06日

跡部の踊り念仏(佐久市)

2017年4月2日(日)  跡部の踊り念仏(佐久市)

毎年4月第1日曜日に「浄土宗 西方寺(さいほうじ)」(長野県佐久市跡部)で、「例会」として公開されている「跡部(あとべ)の踊り念仏」が、西方寺の本堂で13:00から行われたので、孫娘と一緒に鑑賞しました。

「跡部の踊り念仏」は、弘安2(1279)年に、時宗の開祖「一遍上人」が善光寺に参詣した帰途に、信濃国佐久郡「伴野庄(ともののしょう)」(佐久市野沢)を訪れた際に、「小田切の里」(佐久市下小田切)で初めて行ったといわれる「踊り念仏」です。

この踊り念仏は、戦前までは跡部だけでなく他の地区にも残っていたようですが、「跡部踊り念仏保存会」によって佐久市内で受け継がれているのは、現在では跡部地区だけです。

踊り念仏は、本堂内に組み立てた4m四方の「道場」(舞台)の中で行われます。

道場は49枚の「板塔婆(いたとうば)」を垣根とし、「発心(ほっしん)門」、「修行(しゅぎょう)門」、「菩提(ぼだい)門」、「涅槃(ねはん)門」という4つの鳥居門を4辺に立て、天蓋形の屋根を白布で覆い、中央に据えた「太鼓台」に「太鼓」が2つ置かれています。

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太鼓は鞨鼓(かっこ)型をしており、大きい方の直径が29p、長さが58p、小さい方の直径が25p、長さが52pあります。

鉦は青銅製で、直径が16pあります。

2人の男性の太鼓方が音頭をとり、8人の女性の踊り手が「鉦(かね)」を打ち鳴らしながら踊ります。

13:00過ぎには住職による誦経が始まり、講話では「恵まれし 命なりせば 今日の日は 再び来ぬ 尊き一日」という言葉が印象に残りました。

保存会長の話が終わって13:30近くになると、太鼓方の合図に従って、踊り手達が「南無阿弥陀仏」と「引声(いんぜい)念仏」を唱えながら道場に入場しました。

女性は紫色の無地の着物に「南無阿弥陀仏」と書かれた白襟を着けており、先頭の2人が袱紗に包んだ「和讃(わさん)本」を両手に捧げ、後に続く6人は胸に鉦を掛けて「撞木(しゅもく)」を手に持って鉦を叩きます。

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和讃を合唱したり、「南無阿弥陀仏」と繰り返しながら、踊りは盛り上がって行きます。

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踊り手は鉦を打ち鳴らしながら右方に1歩跳ね、3度足踏みして左方に1歩跳ね、更には前方に1歩跳ねて、右後方と左後方を交互に振り返り、また前方に1歩跳ねます。

このような踊躍状態が続くと、やがて恍惚状態に至ります。

踊りは13:50頃に終了し、引き続いて、文化伝承に努めている、青い上着姿の子供たちによる踊り念仏が行われ、14:00過ぎには終わりました。

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境内の参道の両側には「知恵団子」を持った子供達が並び、参拝者に配りました。

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2017年04月04日

西方寺(佐久市)

2017年4月2日(日)  西方寺(佐久市)

「浄土宗 西方寺(さいほうじ)」(長野県佐久市跡部)で、毎年4月の第1日曜日に行われる「跡部(あとべ)の踊り念仏」を観に行く前に、「佐久(さく)五宿」を巡りました。

孫娘を6:00にピックアップして、関越道を経て、9:30に中山道「佐久五宿」の1つ「茂田井(もだい)間の宿(あいのしゅく)」(佐久市茂田井)に着きました。

孫娘の春休みを利用した、「甲信地歴・民俗の旅」の始まりです。

「茂田井間の宿」は、「望月〔もちづき)宿」(江戸から25番目)と「芦田(あしだ)宿」(26番目)で対応出来ない際の休憩処でしたが、良質米の産地なので、街道沿いには「大澤酒造」と「武重本家酒造」があります。

大澤酒造の「厳寒の秘造り 久志能加美久志 善光寺秘蔵酒」(15〜16度)と、武重本家酒造の「生酛造り 牧水」(15〜16度)を買いました。

「塩名田(しおなだ)宿」(23番目)は、中山道で唯一千曲川を渡河する場所にある宿場ですが、河畔にある老舗の川魚料理店「のむら」で昼食にして、「鯉の洗い」と「鮠(はや)の唐揚げ」、「岩魚の塩焼き」、「田螺(たにし)の味噌汁」を戴きました。

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田螺の身を穿り出して食べるのには多少手こずりましたが、卵と思われる直径2o程度の黒っぽい球体を食べると、カシャカシャといった独特の噛み心地がして、決して美味しいとは言いませんが、乙な味わいがありました。

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窓外の川の土手に立ち並ぶ桜の木は、残念ながら開花が未だ1週間程先になろうかという状態です。

嘗ては花街も繁盛していたようで、本陣を始め、宿場町の佇まいを感じさせる町並みが残されています。

孫娘も、最も印象深く好い感じがした宿場の筆頭に挙げていました。

食事の後、西方寺で「跡部の踊り念仏」を鑑賞しました。



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2017年03月25日

古希Aチームとの交流戦

2017年3月25日(土)  古希Aチームとの交流戦

3日前の「古希Bチーム」に続いて、今日は「古希Aチーム」と、練習試合を戦いました。

「古希A」は千葉県還暦野球リーグ古希リーグの1位ですから、強豪です。

球団内には、還暦A、還暦B、古希A、古希B、ドンマイ、の5チームがあり、それぞれ違った方針や編成基準があります。

1番レフトで先発しました。

第1打席は3塁線へのバントを試しましたが、投手に捕られてしまったので、間一髪でアウトになりました。

第2打席は満塁の好機に叩き付ける打撃をしたら、1バウンドした球は高く舞い上がったので、1塁手が捕球した時には既にその横を駆け抜けており、軽く内野安打として、打点1を記録しました。

2進した後、内野ゴロの間にホームベースに突っ込んだところ、クロスプレイにはなりましたがセーフとなり、得点1を挙げました。

第3打席は2塁走者を進めるべき打撃が要求される場面でしたが、交替した元ノンプロ投手に簡単に2ストライクに追い込まれたので、思い切り振り切ったらレフト前のポテンヒットになりました。

1・3塁になったので2盗し、3進しましたが、それまででした。

試合は、4-8で破れました。



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2017年03月23日

古希市川ライオンズBチームとの交流戦

2017年3月22日(水)  古希市川ライオンズBチームとの交流戦

市川ライオンズ球団の内部の交流戦を、「古希市川ライオンズBチーム」と、「福栄スポーツ広場野球場」(市川市福栄)で行いました。

「古希市川ライオンズBチーム」は「千葉県還暦軟式野球大会」では、古希リーグ9位(13チーム中)に付けています。

1番センターで先発しました。

第1打席は初球を3塁線にバントして3塁手への内野安打とし、2盗に成功した後、レフト前ヒットで2塁からホームへ生還しました。

第2打席は1球目と2球目にバントを失敗したので、ヒッティングに切り替えたところ、ライト前にライナーを放ってヒットとすることが出来、その後2盗に成功しました。

当りが良かったので、危うくライトゴロに処理される処でしたが、逆に当りが良くて、右翼手がファンブルしてくれたので助かりました。

第3打席は1塁線にバントして、2塁走者を進めようとしたのですが、投手がファンブルしたらしくセーフとなりましたが、記録員が内野安打にしたのか、投手エラーにしたのかは不明です。

2盗の後3進し、パスボールの間にホームを陥れました。

第4打席は3塁手へのボテボテのゴロになったので、内野安打になりました。

敵の1塁手から、バントも含めた内野ゴロの内で、最も好いゴロだったと言われ、複雑な心境になりました。

3進した後、ファーストゴロの間にホームに生還し、今日3つ目の得点を挙げました。

守備面では、殆ど球が飛んでくることがなく、センター前ヒットを一本処理しただけでした。

試合は11-1で勝ちました。



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2017年03月19日

千葉県還暦軟式野球連盟審判員研修会

2017年3月18日(土)  千葉県還暦軟式野球連盟審判員研修会

「千葉公園野球場」(千葉市)で、千葉県還暦野球連盟による「審判研修会」が開催されたので、我がチームからも5名が参加しました。

2015年に初参加して「審判員認定証」を戴いて以来、2年振りです。

野球規則は改訂が結構あるので、ある程度の頻度で参加しておくことが必要です。

球審や塁審の審判の仕方について、実技も含めてみっちり学びました。

他の古希チームに所属するIさんと一緒に帰り、北習志野駅の近くの居酒屋で飲んで、情報交換しました。



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2017年03月12日

坂戸還暦野球クラブとの交流戦

2017年3月11日(土)  坂戸還暦野球クラブとの交流戦

今月は我々もオープン戦の季節です。

「坂戸市民総合運動公園軟式野球場」(埼玉県坂戸市)に出掛け、「坂戸還暦野球クラブ」との今年最初の対外試合に臨みました。

1番ライトで先発しました。

第1打席は球筋を観察するために、ど真ん中の初球を見送ったら、2球目は外角のスライダーを、低めを良く取る審判にストライクと判定されて、早くも0ボール2ストライクと追い込まれました。

もうこうなったら打つしかないので、1-2の後に打って出たら、セカンドフライを打ち上げてバッターアウトです。

第2打席はバントを試してみたかったのですが、失敗したのでヒッティングに切り替えたら、センター前にライナーを運ぶことが出来ました。

2球目には好きなことをやれというサインが出たので、早速2盗に挑み一旦は成功したのですが、勢い余ってオーヴァーランしてしまい、まっこと残念なことにアウトになりました。

しかし盗塁のタイミングやリードの取り方については、確かな手応えを掴みました。

第3打席はバントに執念を燃やしていただけに何とか成功させたかったのですが、3塁手への球が少し強めに転がってしまい、間一髪で間に合いませんでした。

しかし周りからは、好いバントだったが惜しかったという評価も得られたので、これも確かな手応えを感じました。

守備面では、浅めのフライを前進して確実に捕球し、ライトゴロも一つアウトにしたので、日頃の厳しい練習の成果が着実に出てきてるように思います。

試合は3-11で敗れましたが、色んな課題が浮き彫りになった、今年の初試合でした。



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2017年03月10日

瑞泉寺(プティ同窓会の前に)

2017年3月9日(木)  瑞泉寺(プティ同窓会の前に)

京大病院の後、宝が池でテニスをしてから一旦京都駅近辺のホテルに戻って風呂を浴び、三条河原町近くの「文福茶釜のたぬき六角店」(河原町六角東入る)での、京都市立御室小学校6年1組のプティ同窓会に臨みました。

時間があったので、関白「豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ)」の墓所がある「浄土宗西山禅林寺派 慈舟山(じしゅうざん)瑞泉寺(ずいせんじ)」(京都市中京区木屋町通三条下る)に寄りました。

この辺りは、江戸時代の初めまでは鴨川の河原の中州であったらしく、河原は今の河原町通りくらいまで広がっていたようです。

文祿4(1595)年、豊臣秀次の一族の公開処刑が三条河原で行われましたが、瑞泉寺は一族を弔うために建立されました。

一族の遺骸が投げ込まれた「大穴」の跡に築かれた大きな「殺生(せっしょうづか、「摂政関白の塚」からの転意」)の頂上に、秀次の首を納めた「石びつ」が据えられ、三条大橋を渡る人々への見せしめとされました。

石びつは瑞泉寺にある一族の墓所に移されて、石塔の中央部に奉安されていますが、石塔の周りには、一族39名と、秀次に殉じて自刃した家臣10名の、合計49基の五輪石塔があります。

また木屋町あたりを散策していたら、元・立誠小学校の教室跡に「TRAVELING COFFEE」(木屋町蛸薬師)という珈琲店があったので、一休みしました。

旧姓Oさんに無理を言って、京都近辺在住の同級生に声を掛けてもらったところ、男性2名、女性5名の計7名が集まりました。

“飲み放”だったので気兼ねなく、各種アルコールをテニスの後の乾いた体に流し込みながら、大いに食べて大いに語り合いました。

二次会は祇園にある「和京」というカラオケスナックに移動して、「分かってください」や「ゆうすげの恋」、「恋」、「いっそセレナーデ」、「今はもうだれも」、「銀座の恋の物語」、「浪花恋しぐれ」、「ワインレッドの心」、「また君に恋してる」、「忘れていいの」、「都会の天使たち」等を歌いました。



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2017年02月27日

佐倉城址(千葉県佐倉市)

2017年2月26日(日)  佐倉城址(千葉県佐倉市)

テニスの朝練を終えて、佐倉市へと向かいました。

「佐倉城祉」の北西端には「国立歴史民俗博物館」がありますが、娘が小さい頃に来て、城址公園でピクニックした覚えがあります。

「佐倉(さくら)城」(千葉県佐倉市)は「日本100名城」の1つですが、「日本100名城」は、「財団法人日本城郭協会」によって、2006年に定められました。

同協会が設立40周年記念事業として2005年に名城と呼ばれる城郭を公募し、歴史や建築の専門家達が審査して選定したようです。

選定基準は、優れた文化財・史跡、著名な歴史の舞台、時代・地域の代表、各都道府県から1城以上5城以内、環境保存状況や城郭発達史からの観点、だそうです。

この機会に、私が訪問した城郭を数えてみたら、81ヵ城ありました。

城址から近くにある「自家焙煎珈琲 銹釉(さびゆう)」(佐倉市王子台)というカフェで、ランチプティ同窓会を持ちました。

京都のD中学時代の同級生4人(私と「わびすけ君」、「オカポンちゃん」、「チューコさん」)が集まりましたが、「わびすけ君」とは、少なくとも54年振りです。

中学生の頃は、そんなに背の差はないと思っていましたが、今のわびすけ君はかなりの大男でした。

D中学というかD大学の前に「わびすけ」という喫茶店があって、わびすけ君がD中学受験の時に、そこで食事をしたというので、私が付けた綽名です。

昨夏のD中学の関東同窓会で、オカポンちゃんが時々行く「銹釉」が、わびすけ君の地元だったことで、まとまった話です。

店内には、オカポンちゃんの性格の一面を表した緻密な絵画と、わびすけ君の奥さんが作られた浮彫銅版画が、壁に掛けられていたのが意外でした。

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13:00に集まり16:30前に解散するまで、カレーを平らげてグアテマラコーヒーを飲みレアチーズを戴き乍ら、昔話に花を咲かせました。

雪山の愛宕山で遭難しかけたことは、今でも忘れられませんが、淀まで自転車に乗って行って野犬に囲まれたことは、覚えていません。

夜は、北習志野の「好好苑」という中国料理屋で、娘達と久し振りに外食しました。

忙しい一日でした。



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2017年02月26日

上州白久保のお茶講

2017年2月24日(金)  上州白久保のお茶講

「白久保(しろくぼ)天満宮」(群馬県吾妻郡中之条町)の宵祭りに、毎年2月24日に行われている「上州白久保のお茶講」は、中世の頃盛んに行われていたという「闘茶(とうちゃ)」(「茶勝負」とも言われ、茶の味や香りを当てる遊び)の形式をよく残しています。

群馬県吾妻地方には「お茶講」が広く分布していたようですが、多くは消滅してしまいました。

闘茶は室町時代には行われていたものの、茶道が確立し遊びで茶を飲むのが邪道とされてしまったので、闘茶は廃れてしまったたようですが、当地方のお茶講が何時頃から始まったのかは不明です。

白久保の行事は、寛政11(1799)年に書かれた「御茶香覚帳」に記された記録方法と同じもので、それを踏襲しているとされています。

昭和10年代までは、節分をはさんでその前後の1月24日(秋の分)と2月24日(春の分)の年2回行われていましたが、昭和20年代以降は、2月24日に、「天神待ちの行事」と習合したようです。

行事は嘗ては民家の回り持ちで行われていましたが、昭和62年からは「お茶講の家」という専用の施設で行われています。

13:00頃から世話役の方達10人程が出て、お茶講の準備が始まりました。

お茶講に用いる4種類の茶を12包み(4種類を3包づつ)を作製しまする他、勝負結果を記録する「連名帳」や勝負参加者が答えた結果を備忘するための「ササラ紙」、当り賞品の「アメ玉」等を用意します。

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白久保天満宮からお茶講の家までの道に置く行灯も作られます。

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「陳皮(ちんぴ)」(みかんの皮を干したもの)や「甘茶」、「渋茶」(煎茶)を鉄製の「焙烙(ほうらく)」で炒って、石臼で挽いて粉にして、配合表に従って、「一の茶」と「二の茶」、「三の茶」、「客の茶」の4種類の配合茶を作ります。

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部屋の床の間には天神さんの掛軸が掛けられており、その前に、配合された茶が供えられます。

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準備が15:30頃に終わり、世話役は家に戻られたので、白久保天満宮に参拝しました。

18:00まで時間があったので、「道の駅霊山たけやま」まで15分程歩き、そば処で時間を潰そうとしたのですが、15:00に閉まっていたので、已む無く菓子類で小腹を慰めたものの、17:00には寒空に放り出されてしまいました。

まだ早いかなと心配しながら、お茶講の家に戻ると、当番の世話役の方が来られたので、家に入ることが出来て有難かったです。

18:00頃には、嘗ては子供達が行灯を持って「白久保天満宮」へ行き、天神を迎える道しるべとして、行灯を道端に置いて帰ったそうですが、今では子供は少なくなったので、大人も一緒です。

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お茶講には、集落内の男性と数え年12歳までの女子が参加する習わしですが、今年は外部者も併せて22名です。

塩の御祓いの後、お茶講は始まりました。

講には、「茶坊主」(点茶および茶配り)2人、「勝(かつ)」(書記係)1人、「叶」(計算係)1人、の係があります。

はじめに「客の茶」を点てて、天神さんに捧げて参加者一同が拝礼します。

続いて四種類の茶を、各1包みずつ一の茶、二の茶、三の茶、客の茶の順に点てて参加者に配り、「トヨミ」と称して見本とします。

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次に「ホンチャ」(本番)が始まります。

天神さんに捧げた1包み以外の7包みが、順次1包みずつ点てられて参加者に配られ、3〜4名により回し飲みされますが、それが仕来りです。

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開いた「茶包み」は、順番が分かるように、茶坊主が「ウグイス」と呼ばれる竹の棒に挿していきます。

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書記係の「勝」が参加者に判定結果を訊き、参加者が種類を答える都度、勝つは「連名帳」に横書き(一、二、三、客)と縦書き(T、U、V、客)交互に、記入していきます。

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本茶が終わると、アメ玉の数を正解者の数で割り、正解者に配分します。

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全正解者を「ハナカツギ(花担ぎ)」(花が咲いている枝)4つ正解者を「シデツポウ(四鉄砲)」、2つ正解者は「瓠(ふくべ)」、1つ正解者は「イチッポウ(一棒)」と言い、連名帳の氏名の上に、各々の図柄を描いて行事を終了します。

全不正解者は、花の咲いている枝を逆さまに書いて「サカサッパナ」と呼ばれますが、「ハナカツギ」と「サカサッパナ」が多いほど、その年は豊作になるとのことです。

今年は22名中、全正解者が6名いて例年に比べると多かったようですが、全不正解者は居ませんでした。

若い全正解者からも、挨拶の弁がありました。

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19:20頃には終わりましたが、役場の方に中之条駅まで送っていただきました。有難う御座いました。

高崎駅で「MAXたにがわ414号」を待つ間に、コンビニでサンドウィッチと豚まんを買い、1合瓶の酒で空腹を満たしました。

2017年02月25日

白久保天満宮(群馬県中之条町)

2017年2月24日(金)  白久保天満宮(群馬県中之条町)

8:30頃にに船橋市を出て、11:45にJR吾妻線中之条駅に着きました。

「白久保(しろくぼ)天満宮」(群馬県吾妻郡中之条町大字五反田字白久保)の宵祭りに、毎年2月24日に行われている「白久保のお茶講」を観に来ました。

神社や「お茶講(ちゃこう)の家」のある白久保集落までは、既に路線バスが廃止されて久しく、タクシーで行くしかありません。

中之条観光協会の方に教えていただいた、中之条駅近くの「そばきり 吾妻路(あづまじ)」で蕎麦を戴いてから、タクシーで白久保の「お茶講の家」を目指しました。

「吾妻路」(「変わりそば」と「もりそば」)を、「群馬の地酒 利酒セット」(「馥露酣(ふくろかん)」(高崎市)と「群馬泉(ぐんまいずみ)」(太田市)、「結人(むすびと)」(前橋市))で戴きました。

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摘みのチーズは、「かえし」(醤油と味醂、砂糖)に浸けたもので、なんとも言えん程美味でした。

「変わりそば」というのは、うどんより太めの正方柱計の蕎麦で、つけ汁か醤油か塩に浸けて戴くことになってます。

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ヒマラヤ黒塩やヒマラヤ赤塩、マチュピチュインカ天空塩、アンデス紅塩、イラン岩塩ホワイトの5種類が並んでましたが、ヒマ黒とマチュにしました。

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神社には、「お茶講の家」でお茶講の準備状況を見学した後に15:30頃に参拝しましたが、150段位の石段を直急登したのでしんどかったです。



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2017年02月21日

鳥羽の火祭り

2017年2月12日(日)  鳥羽の火祭り

ホテルに荷物を預けて休憩した後、「鳥羽神明社(とばしんめいしゃ)」まで、40分ほど歩いていきました。

14:30頃に神社に着くと参道の右側に、高さが5mもある大松明「すずみ」が2基聳える姿に、圧倒されました。

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すずみは「神木(しんぎ)」を茅で包み、それを青竹60本でまわりを囲み籐で巻き上げ、根元に1年を表わす「十二縄(じゅうになわ)」を巻いたものです。

神木は、地元でアベマキと呼ばれている、枝付きの栃の木です。

神明社の西にある「宮西川」を境に東西の地区に分け、西を「福地(ふくち)」、東を「乾地(かんち)」と呼び、25歳の厄男である「神男(しんおとこ)」を1名ずつ選びます。

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15:00近くになると、神殿の隣の建物でワッショイワッショイと気勢を上げていた「神男」と100名ほどの「奉仕人」が、白い鉢巻を巻き、白足袋を履き、腹に晒を巻いた姿で現れました。。

15:00には、神男2人が御幣をもって先頭に立ち、奉仕人が隊列を組んで約1q南にある鳥羽海岸へ、禊の為に出発しました。

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15分ほどで海岸に到着すると、そのまま海の中に入って行き、遠浅の海の中を延々と沖に向かって進んでいきます。

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再び戻ってきたのが15:33頃でしたから、10分ほど歩いた先まで進んで、海水で首までを浸し、御幣は海の中で洗い落としたようです。

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海中での禊は、福地の神男が御幣を付けた竹棹を海に投げ入れ、これを乾地の神男が拾って終わった様です。

海中から上がって海岸の焚火で体を温めた後、15:45頃に、乾地の神男が御幣が取れてしまった竹竿を持ち、隊列を組んで神社に戻って行きました。

夜の「火祭り」まで時間があったので、三河鳥羽駅から1駅乗って吉良吉田駅まで戻り、「花友」で生ビと清酒「吟醸 尊王(そんのう)」(山崎合資、西尾市、300ml、15.5%)を飲んで、エナジーを補給しました。

19:30少し前には火祭りの神事が始まり、神男たちは拝殿でお祓いを受けます。

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神男や奉仕人たちは、古い幟で作った、白と黒の斑に見える衣装を身に着けていますが、黒いのは幟の文字で、魔除けの意味を持つと言われています。

神男が2人、「添棒(そえぼう)」(前年の神男)が2人、「奉仕人」(神男の補助をする者、各15名)30人、「水かけの者」、「払い棒で落ちた火を払い除ける者」、「火打ち石で火をつける者」、「合図の太鼓を打つ者」、「清めの塩をまく者」、その他「警護者」等で100名近くに上ります。

19:50頃に神事が終わると、拍子木が打たれる厳かな雰囲気の中、高提灯を先頭に、「宮司」達が「すずみ」の前まで整列して進みます。

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20:00過ぎには、神男たちが火打ち石により点火した火を、「ゆすり棒」の先端に括り付けた藁に移し、「ゆすり棒」によって2基の大松明「すずみ」の上部に同時に点火すると、2基の「すずみ」は、あっという間に燃え上がります。

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火が「一の藤(胴藤)」まで燃え移る頃(上から3分の1位)、「一の棒」を入れる太鼓の合図があり、神男たちは「すずみ」に「ゆすり棒」を突き刺して揺さぶります。

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奉仕人たちも梯子や丸太をよじ登って、「すずみ」をゆすったり、燃える茅を掻き出して下へ落としますが、「すずみ」につかまって全身でゆする奉仕人たちの姿や頭巾の形が猫に似ているところから、「ネコ」と呼ばれています。

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「ネコ」は火に包まれないように水を掛けてもらいますが、熱くて堪らなくなると、猫のように「すずみ」から飛び降りたりします。

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半分程燃えた頃、「二の棒」の合図の太鼓が鳴り、神男たちが「ゆすり棒」を「すずみ」に突き立てて揺さぶると、火の粉が舞い上がり、炎が神社の森を赤く照らします。

7割位燃えたところで、「三の棒」の合図の太鼓が鳴ると、奉仕人たちは茅をかき出して、「神木」を取り出そうとします。

「神木」は真っ直ぐな棒ではなく、枝が出て曲がっており、しかも燃え残っている青竹が邪魔になり、思うように引き出すことは大変ですが、奉仕人たちは必死で「神木」を取り出し、競って拝殿前に納めます。

火が煙に変わって立ち込める中で、「十二縄」を取り出して、競って拝殿前に納めます。

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勝負の結果によって豊凶を占う神事ですが、「福地」が勝てば、山間部が豊作に恵まれ一般に雨も多く、「乾地」が勝てば、干天が続いたり異変が起こると伝えられています。。

20:30には、両方の「神木」と「十二縄」が拝殿前に納められ、火祭りが無事終了したことが奉告され、神事は終了しました。

ホテルからは送迎バスが出ていたので、帰りは楽に帰れました。

翌日は、三河湾の長閑な風景を楽しみながら名鉄蒲郡線で蒲郡に出て、豊橋からこだま号に乗って帰りました。

豊橋駅では「飯田線秘境駅オリジナル弁当」と清酒「四海王 鬼殺し」(福井酒造、豊橋市、300ml、15〜16度)を買い込みましたが、昼間の酒は周りが素面なだけに良く効くので、私一人が‟夢の途中♬”(来生 たかお)」。

目の前を恐ろしい速さで、のぞみ号かひかり号がビュンビュン飛ばしていきますが、こだま号に乗って、来し方行く末に思いを馳せるのも、ええもんやなぁ。



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2017年02月20日

鳥羽神明社(西尾市)

2017年2月12日(日)  鳥羽神明社(西尾市)

8:15に近鉄伊勢市駅を発って、10:55には名鉄吉良吉田駅に着き、ホテルの送迎バスを待つ間に、駅の近くの「花友」という食事処で、「うなぎ長焼定食」を戴きました。

小さいけれど身が引き締まっていて、もちもちした食感がして、なかなか美味しかったです。

「鳥羽神明社(とばしんめいしゃ)」(西尾市鳥羽町、旧社格は「村社」)は、第51代平城天皇の大同年間(806〜809年)の創建と伝わっていますが、神宮寺消亡の際に、由緒記録等が焼失してしまったので、詳細は分りません。

1200年の歴史を有するとされる「鳥羽(とば)の火祭り」は、嘗ては旧暦1月7日に行われてきましたが、昭和45(1970)年以降は、毎年2月の第2日曜日に行われています。

25歳の厄男を中心とした「ネコ」と呼ばれる「奉仕人」が、燃えさかる大松明「すずみ」に立ち向かい、「神木(しんぎ)」と「十二縄(じゅうになわ)」を競って取り出し、神前に供える旧正月の行事です。



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2017年02月19日

高向御頭神事

2017年2月11日(土)  高向御頭神事

「高向御頭神事(たかぶくおかしらしんじ)」の歴史は、前稿の「高向大社」で書いた通りです。

6:45に御頭の行列が「会所(かいしょ)」を出発して高向大社へ着き、9:00から神社の祭典が行われたそうですが、それには間に合いませんでした。

必死に歩いて9:10過ぎに高向大社に着くと、宮司による御祓いが行われていましたが、神殿に向かって左側に「上社(かみしゃ)」の御頭、右側には「鏑(かぶら)社」の御頭が置かれています。

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9:30頃には、神前に置かれていた御頭が太鼓と松明に導かれて、「日和だー、日和だー」との掛け声とともに鳥居まで運ばれてきて、鳥居前の 「不浄除け石」を一周すると神殿へ引き返す、「日和見(ひよりみ)」という行事がありました。

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9:35頃から神前にて、「大社御頭(かみさん)」による「七起こし舞い」という獅子舞が奉納されました。

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「七起こし舞」は序段「中門入り」に始まり、1段目「おこし」から2段目「にのこうじ」、「りんがん」、「きりびょうし」、「とりまめ」、「かみいれ」、「すらへ」までの7段から構成されていて、素戔嗚尊の八岐大蛇退治の神話を表していると言われています。

11:00過ぎに舞は終わり、「鏑社御頭(かぶらさん)」による獅子舞が続けて行われますが、寒いので日の当たる場所に退散しました。

11:30過ぎには太鼓、松明とともに獅子は、「布久目物(ふくめもの)」に出掛けました。

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各戸が「ククメモノ」(布久目物)とか「厄を付す」と称して、金や米、餅を獅子に託し、「打ち祭り」行事によって村内を巡り、村境で「斬り祓い」儀式を行う事によって、新年の除災儀礼とされるものです。

12:00過ぎに各戸を回って来た上社の獅子は、上社の「禱屋(とうや)」である樋口幸・元彦氏宅に到着し、ここでも七起こし舞を奉納します。

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「禱屋」は高向大社の神祭(大祭・小祭)に奉仕し、2月の大祭・御頭神事の当日に「禱屋番」を努めます。。

当主が21歳以上の男子の家では、男子が20歳以上になれば禱屋入りして禱屋の資格を得、順番が来れば禱屋番を引き受けて、氏子としての責任を果します。

平成10年頃から少子高齢化の影響を受けて、禱屋入りする人数が減少してきて、大変だそうです。

七起こし舞に先立って、玄関前で、代わる代わる御頭を掲げて左右に振って、「前髪や」とか「ろくや」(26歳のこと)とか「中老や」とか叫びながら気勢を上げます。

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「大社御頭(かみさん)」は26歳歳が優先的に揚げる権利があり、「鏑社御頭(かぶらさん)」は23歳だそうです。

神事には「共盛団」という組織があり、それには古来から継承されてきた年齢に応じた、下記の5つの職制があります。

1.「前髪(まえがみ)」:16歳から18歳までの団員。

2.「額地(がくち・ひたいじ・したいじ)」:19歳から20歳までの団員で、「前髪」を指揮して、若衆中の雑役処理に当たる。

3.「若衆(わかしゅう)」:21歳から30歳までの団員で、 9段階あり、23歳と26歳は、御頭を1番に揚げる特権がある。

4.「中老(ちゅうろう)」:31歳から41歳までの団員で、若衆からみて老分である。

5.「年寄役(としよりやく)」:42歳以上に資格がある。

接待係の方から清酒を勧められ、腹も減っていたので、蒟蒻や竹輪、沢庵を摘みに美味しく戴いていたら、紙コップに4杯くらいも飲んでしまいました。

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神社では、この辺にコンビニか食堂はありませんかと尋ねたら、富山県新湊から娘さんの嫁ぎ先にやってきたというご婦人から、コンビニは無いから小型のバウムクーヘンをどうぞと2個も戴いたので、大いに感謝しています。

「七起こし舞」の奉納が終わると、「口取り(くっとり)舞」が禱屋宅座敷で、奉納されました。

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14:00過ぎには、獅子は禱屋宅を出て、「布久目物」に出掛けました。

夜行われる「打ち祭り」まで時間があったので、一旦ホテルにチェックインして休憩し、ホテルのレストラン「伊勢みやび」で「伊勢志摩めぐり」(「てこね寿司」と「伊勢うどん」)を、清酒「宮の雪 冷や生貯蔵酒」(宮崎本店、四日市市、13度、300ml)で戴き、腹ごしらえをしました。

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「会所横ツムギ祭場」で「打ち祭り」の始まるのを待っていたら、19:20頃に松明に導かれて獅子行列がやってきて、祭場の火を三周してから、元来た道を戻って「斬り祓い」祭場へと向かいました。  

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村の村落の狭い街路を2頭の御頭行列が行き、道中ずっと代わる代わる御頭を振りかざし、左右に振り回していきます。

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22:00過ぎには 「斬り祓い」祭場に到着し、行列は会所へ戻って行きました。

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会所に戻って「お方踊り」が舞われた後に「打ち祭り」は終了しますが、斬り祓い祭場で終わったと勘違いして、このまま帰りました。

村はずれの斬り祓い祭場まで来てしまって、何処にいるのかサッパリ分からなくなったので、周りの人に訊きまくって、何とか宮町駅に辿り着きました。



2017年02月18日

高向大社(伊勢市)

2017年2月11日(土)  高向大社(伊勢市)

「高向(たかぶく)大社」(三重県伊勢市、旧社格は「村社」)の「御頭神事(おかしらしんじ)」は、2009年以降は、2月の第2土曜日に行われています。

伊勢地方では獅子のことを「御頭(おかしら)」といい各地で神事がおこなわれていますが、高向大社のものは特に有名で、約800年の伝統があります。

JR豊橋駅を5:47に発ち、8:10に近鉄伊勢市駅に着いてホテルに荷物を預け、高向大社に着いたのは9:00頃になりました。

伊勢市駅から1駅の宮町駅に着いて駅員に訊いても、高向大社の場所が分からないので、茫然自失。

それはないやろ、なんでやねん!

気を取り直して、予習して頭に叩き込んできた地図を頼りに出発し、途中で訊きまくって、何とか辿り着くことが出来ました。

明治41年に近隣の2社を合祀しましたが、御薗村の神社合祀には参加せず、孤高を保ったそうです。

伝えによると、長暦2(1038)年、高向の住人で本滝定行という人が、3年前から枯れていた大きな柳の木を切って、2頭の御頭を作り、「大社」と「加布良(かぶら)社」に献進しました。

杉の木のヤニの中から化生したと言われる「木椙」という男子が12歳頃になった頃(1181年)、全国的な天候異変や悪疫が蔓延する「養和の大疫」が発生し、この地方でも多くの死者が出たそうです。

この時、神が木椙に乗り移り、氏寺の神庫から御頭を出し、長老・神役人・村役人らを従えて村中をお祓いの舞をして回ると、悪疫が退散し、激しかった流行病もぴたりと止まりました。

これが「御頭神事」で舞われる獅子舞の始まりであり、高向獅子神楽の舞人が「杉太夫」といわれる由縁です。



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2017年02月17日

豊橋鬼祭

2017年2月10日(金)  豊橋鬼祭

「安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)」(愛知県豊橋市)で行われる「豊橋鬼祭(おにまつり)」は、翌日は伊勢市で行われる「高向神事」を観に行くので、「宵祭」だけを鑑賞することにせざるを得ませんでした。

「鬼祭」は、 元々、日本の神話を田楽に取り入れたものだと言われています。

江戸時代初期に、それまでの田楽中心の農村的祭礼から、賑やかな「赤鬼と天狗のからかい」中心の都市的祭礼へと、変化していったと考えられています。

田楽の一種が豊年を祈る特殊神事として、古式を崩さずに継承され、神楽と田楽の混淆が著しい所に、特徴があります。

神楽には、「笹良児(ささらこ)神楽」や「日の出神楽」が、田楽には「赤鬼と天狗のからかい」や「司天師(してんじ)田楽」があります。

8:00から行われたとされる「青鬼修祓」は、場所が特定出来なかったので、観ておりません。

9:40頃には、神殿の南の方にある「潔斎殿」の前に、「青鬼」(「赤鬼」や「天狗」とは違って「神役」ではない)の担当町である「中八町」の子供達が集まり、「あーおー」と大声を上げています。

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10:10頃には、青鬼が両脇を抱えられて潔斎殿から出てきて、神殿の前に設えられた「八角台」まで走って行くと、子供達も付いて行きます。

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青鬼には、八町通3丁目に住む、満年齢12歳の男子が、選ばれています。

岩戸舞は、古代服を着た「天児屋命(あまのこやねのみこと)」や「太玉命(ふとだまのみこと)」、「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」の3神によって舞われ、青鬼に扮した「手力男神(たちからおのかみ)」が、力強い所作を披露します。

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その後「青鬼厄除飴まき行事」が行われ、八角台から「タンきり飴」が撒かれましたが、ポジションが良くなかったので、1つもゲットできませんでした。

11:00ごろからはランチに出掛け、その後「吉田城」や「吉田神社」を訪ねました。

13:00前に神社に戻り、神殿に向かって左にある「神楽殿」において奉奏された「五十鈴神楽」を観ました。

この後も16:00まで時間が空いたので、ホテルにいったん戻り、休憩しました。

16:25過ぎには、青鬼が氏子地域から神社へ戻って来て、再度、岩戸舞と青鬼厄除飴まき行事が行われました。

今度の飴まきでは、前回の失敗からの学習効果が出たのか、3個をゲットしました。

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袋の中身が気になったので1個を開けてみると、片栗粉がぎっしり詰まっていて、その中に小さな「タンキリ飴」が数個入っています。

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青鬼は神社を後にして氏子の各戸を訪問し、ご祝儀をもらった後、氏子を片栗粉で真っ白にして、気勢を上げながら次の家へと向かいます。

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結構速いペースで進むので付いて行くのを諦めてホテルに戻り、豊橋駅前の「「いちょう」という店で、「なめし田楽」(菜飯と豆腐田楽7本)を、生ビと冷酒で戴きました。

これまでに既に14,601歩歩いていたし、これから夜の本番に備えて、体を温めておく必要がありました。

19:00少し前に「潔斎殿」を覘くと、「赤鬼と天狗のからかい」に出演する「赤鬼」(大学生の18歳、中世古町)と「天狗」(実習教員の23歳、飽海町)の衣装合わせが、着々と進められています。

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19:00過ぎには「夜宮祭」が始まり、先ずは「司天師(してんじ)田楽」や「笹良児(ささらこ)神楽」が舞われました。

司天師田楽は、2人の「司天師」(足や腰を打たれて傷ついた2神、旭町の46歳と旭本町の42歳)が、夫々小太鼓と皷を打ちながら、傷ついた足を引くような所作をして、面白可笑しく蓆の周りを廻る、古式豊かな素朴な踊りです。

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八足とんで、八方どこへ行っても安全で危害を受けることなく平穏無事であることを意味し、国内の平安になったことを喜びあう踊りです。

司天師を先頭にして6人の笹良児が2列に並んで、「拍板」言われる小板を綴り合わせる楽器を持って付き従い、司天師の1人がポンと皷を打つと、もう1人がテンと小太鼓で受け、笹良児がザラと拍板で拍子をとるので、「ポンテンザラ」と呼ばれています。

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19:40頃、子供たちが潔斎殿の前で「あーかー」と叫ぶ中、赤鬼と天狗が出てきて、最も人気のある「赤鬼と天狗のからかい」が始まりました。

日本神話から採られた武神である「天狗」が、荒ぶる神である「赤鬼」を懲らしめると、赤鬼は自分の非に気づき、お詫びとして「タンキリ飴」を人々に渡していくそうですが、今夜は予習なので其の部分はありません。

「赤鬼」は総身赤の装束で固めた巨躯を白の太い紐でかがり、虎の皮の褌を締め、赤と銀の「だんだら」巻きの撞木をかざし、赤い髪を後ろに長く垂らし、橙を刺した御幣を背負っています。

「天狗」は甲冑に身を固め、太刀を佩き、侍烏帽子を頂き、薙刀を持っています。

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赤鬼が手を上げてさし招くと、天狗もこれに答えて手を上げて招き、天狗は薙刀を構えて大地を踏み締めながら歩み寄り、跳び上がったりして赤鬼に迫ると、赤鬼は八角台の前ま追い詰められます。

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その後赤鬼は参道を退きますが、天狗に追い詰められると秘術である「からかい」の所作を赤鬼が行うと、天狗は怒って薙刀を持ち直して赤鬼に起ち向かいます。

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赤鬼は再三挑戦するものの叶わず、だんだん追いつめられ、八角台のところまで追い詰められて、遂に逃げ出していきます。

天狗もそうですが、重たそうな衣装をまとった赤鬼は更に大変そうで、立ち止まったところでは、はあはあ息をし、ぜいぜい喘いでいます。

21:00頃には、天狗は八角台の上に上り、神前に報告します。

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21:30頃には 「司天師田楽」が、再度舞われました。

途中で小雪が舞う厳しい寒さの中行われた夜宮祭が終了したのは、22:00近くになりました。



2017年02月16日

吉田神社(豊橋市)

2017年2月10日(金)  吉田神社(豊橋市)

吉田城の北を流れる「豊川」に沿って西に歩くと、「吉田神社」(旧社格は「県社」)があります。

「吉田神社略記」には「花火ノ創始ハ羽田吉田綜録二、永禄元年今川義元公吉田城城代太原肥前守知尚花火を始ムトアリ、云々」とあり 、吉田神社が「手筒(てづつ)花火」の発祥の地とされています。

しかし、豊川市の「進雄神社」を、手筒花火発祥の地とする説もあるようです。

7月第3金・土・日曜日に行われる「祇園祭」では、金曜日に境内で約300本の手筒花火が奉納されますが、花火は氏子町内会が手作りして、それを神輿がわりに担いで練り歩いて、奉納するそうです。

13:00には神社に戻って「五十鈴神楽」を観ましたが、その後はホテルに戻ってチェックインし、暫し休憩しました。



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2017年02月14日

三河吉田城(豊橋市)

2017年2月10日(金)  三河吉田城(豊橋市)

安久美神戸神明社は「豊橋公園」のすぐ南にあります。

鬼祭の「青鬼出動」と「岩戸舞」が11:00前に終わったので、豊橋公園のすぐ西にある豊橋市役所の13階にある「COSTA RICA city garden」で、ウィークリーランチを戴きました。

天気が良いので東三河を見渡す眺めは素晴らしかったのですが、東側の豊橋公園の中に「三河吉田城」が見えたので、訪ねてみました。

S化学で合成樹脂の国内営業を担当していた頃にA社には良く通いましたが、工場と豊橋駅近辺を往復しただけで、豊橋市内を観て回るのは初めてです。

吉田城は16世紀初頭の戦国時代に建てられましたが、この地が東海道53次の宿場町であり、伊勢への航路の湊町として要衝にあったので、戦国時代には争奪戦が繰り返されたそうです。

江戸幕藩体制では、譜代の大名が統治してきたようです。



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2017年02月13日

安久美神戸神明社(豊橋市)

2017年2月10日(金)  安久美神戸神明社(豊橋市)

市川ライオンズの土曜日の野球練習が休みになったので、「豊橋鬼祭」を始め、「高向の御頭神事」(伊勢市)や「鳥羽の火祭り」(愛知県西尾市)の鑑賞に出掛けます。

6:26東京駅発ひかりで豊橋駅には7:58に着いたので、駅上のホテルに荷物を預けて、先ずは神社へ直行しました。

豊川鉄道の市内電車の「1日フリー乗車券」を購入して、豊橋駅から15分程の所にある神社との間を、結果的には3往復しました。

「安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)」(愛知県豊橋市、旧社格は「県社」)は、天慶3(940)年、平将門の乱の鎮圧を喜んだ朱雀天皇が、豊川左岸の「飽海荘(あくみのしょう)」を伊勢神宮へ寄進した「神領地(神戸)」を起源としています。

明治18(1885)年、旧社地(現豊橋公園)が陸軍用地となったのに伴い、現在の地に奉遷されました。

「豊橋鬼祭(おにまつり)」は、本来大晦日に行う年越しの神事でしたが、昭和43(1968)年からは、祝日(建国記念の日)である2月11日を「本祭」とし、その前日に「宵祭」を行っています。



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2017年01月30日

市川ライオンズB 2017新年会

2017年1月29日(日)  市川ライオンズB 2017新年会

市川ライオンズの新年会が、JR本八幡駅近くにある「くつろぎや」でありました。

Bチーム登録選手17名の内12名と、還暦登録もした古希選手3名が参加しました。

テニスの朝練を午前中に終えて、昼から出掛けました。

今期から2部に昇格しただけに、先ずは2部残留、あわよくば準優勝以上で1部昇格を狙いたいところです。

飲み放題なので誰に遠慮することもなく、生ビ、梅酒、マッコリ、焼酎、赤ワインを戴き、テニスで乾いた肉体を潤すことが出来ました。

捕球体勢についてコーチから指摘を受けたので、これからの練習の中で、直していかねばなりません。

足力や打撃については好い評価を受けたので、更に磨きをかけていきたいと思います。

新年会の後は、日曜日でカラオケ店が混んでいたので、何とか見つけたカラオケ店で先ず歌い、梯子して2次会で更に歌い続けました。

沢山の曲を歌いましたが思い出せるのは、「襟裳岬」や「ゆうすげの恋」、「北の蛍」(以上、森進一)、「いっそセレナーデ」、「ホテルはリバーサイド」(以上、井上陽水)、「わかってください」(因幡晃)、「最後の恋」(クミコ)、「浪花恋しぐれ」(都はるみ/岡千秋)、「悲しい酒」(美空ひばり)、「中の島ブルース」(クールファイブ)、といったところです。



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2017年01月24日

沈黙

2017年1月23日(月)  沈黙

孫娘が、入学試験休みだったので、「沈黙 サイレンス」を観に行きました。

遠藤周作の難しい小説ですが、昨春の九州旅行で「遠藤周作文学館」(長崎市東出津町)を訪ねた折に、一応読んでいきました。

2016年3月27日に投稿した「ハウス・テン・ボス(宮殿)」(2016年3月22日(火)訪問)にも触れています。

神は存在するのかといった、難しい問題を突き付けています。

宗教的には仏教による支配体制が確立した日本に、当時カソリック教が攻め込むことは、無理だったようです。

イオンモール八千代緑が丘店にある「Buffet Pasti」で、イタリア料理を鱈腹食べられて、孫娘は大満足でした。

私も税抜き999円の飲み放題で、生ビと赤白ワインを戴きながら、映画について、孫娘との会話を楽しみました。



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2017年01月18日

伏見稲荷大社御旅所

2017年1月11日(水)  伏見稲荷大社御旅所

今回の京大病院は冬期の道路事情を考慮して、「JR50+」を利用して、こだま号のグリーン車で、お茶を飲んで読書しながら行きました。

宿泊した京都駅近くのホテルの北側に、「伏見稲荷大社御旅所」(南区西九条)があることを、初めて知りました。

寒い京都の夕暮れ時とて、参拝者は私以外に居ませんが、「大神宮」(祭神:天照皇大神、豊受皇大神)、「上命婦社」(祭神:上之命婦)、「下命婦社」(祭神:下之命婦)の3殿が祀られています。

普段は静かですが、4月20日前後の日曜日〜5月3日の「稲荷祭」の期間には、大変賑わうそうです。

日程を見ると、神輿が稲荷大社から2時間で御旅所に着いているので、なんでやねん、と思ったのですが、5基の神輿はトラックで運ばれるようです。

稲荷祭の「氏子区内巡幸」が、伏見稲荷大社から可成り離れた此の近辺で行われるのが、意外です。

夜は久し振りに、酒の強い従弟(父の弟の次男)と京都駅近辺で飲み、新幹線の発着を窓越しに見ながら、カラオケで交互に10数曲ずつ歌ったので、グッスリ眠ることが出来ました。

幼い頃からよく遊んだ従弟から、「伯母さん(私の母)の喋り方と一緒やもん」と言われた時には、母の性格に私が一番似ていると思っていたものの、やっぱりそーなんだ、と思いました。

アメリカ合衆国で生活している従兄(父の長兄の長男)が、従兄弟姉妹会をしたがっているのは前から聞いていましたが、実現できそうにないので、この秋にでも2人でアメリカへ行こうかという話にもなりました。

翌日は京大病院の後、宝が池で高校の同級生の主宰するサークルに寄せてもらって、テニスをしてから帰りました。

京都駅構内では「松葉」のにしん蕎麦を昼食に戴き、八重洲では「マグロ茶屋 北の浜」で、刺身と野菜サラダを、生大で戴きました。



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2017年01月17日

日体大軟庭部出身の本チャン

2017年1月10日(火)  日体大軟庭部出身の本チャン

旅先で知り合った、日本体育大学軟式庭球部出身の“本チャン”と、テニスのお手合わせをさせて頂くことになりました。

旅行中、お互いの経歴や体形、膝・肩・腰等の身体状況、年齢、最近のテニス運動量等について、腹の探り合いに終始しました。

所詮は、決着がつくまでの御慰みですが。

D大学軟式庭球部出身の友人とはいい勝負であると告げると、当初からの上から目線的風貌に、わずかながら表情や顔色に変化が認められたので、この辺がポイントになりそうです。

またTK大学硬式庭球部出身の友人には、70歳になったらシングルスで打ち破る計画だったものの、癌で亡くなってしまったので、目標の1つが失われたという話に対しても、多少の反応がみられました。

今日は「藤沢周平展」を三越本店まで観に行く予定だったので、その帰りに、葛飾区でオーナーシェフをしておられるフレンチレストランを訪れて、美味しくてヴォリュームのある料理を、赤フランスワインで戴きました。

お手合わせの場所や人選、日程等についても、話し合いました。



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2017年01月16日

ルアンパバーンから成田へ

2017年1月7日(土)  ルアンパバーンから成田へ

ルアンパバーン空港での荷物検査では、ダメもとで米焼酎と水をリュックに入れた儘にしていたのですが、幸いにして取られなかったので、待合室で結局一本720mlを“完飲”して、凄く幸せな気分になりました

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19:10ルアンパバーン発ヴェトナム航空VN930便でハノイに向かい、トランジットして00:45ハノイ発VN310 便で、成田には7:00に帰着しました。

ハノイ空港のラウンジの設備は中々のものでしたが、麺はインスタントという有様だったので、適当に飲んでました。

飛行時間が4時間強しかなかったので、ワインを一杯飲むと一眠りしました。

機内の朝食は和食を選択し、Made in Vietnamの料理を戴きましたが、もう朝なので酒類は止めました。

まぁしかし、よう飲んでよう歌うた旅行やったなぁ。



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2017年01月15日

ルアンパバーン(2)

2017年1月6日(金)  ルアンパバーン(2)

5:30の気温は18.6℃で、雨は上がりました。

象乗りはネパール以来ですが、ここには犀がいない代わりに、象の頭に乗せてもらいました。

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“鐙”はなく、掴まるところは象の耳の骨の部分しかなく、それも前後に動くので、落ちたらどないなるんやろと思うと、怖かったです。

胡麻が振られた川海苔の揚げ物が、少し油濃かったものの物凄く美味しかったので、またまた米焼酎40%が進みました。

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「ワットシェントーン(Wat Xiengthong)」は、1560年にセーターティラート王が建てた、反りの激しい2〜3重屋根の、ルアンパバーン様式の仏教寺院です。

「ワットマイ(Wat Mai)」は、1778年に建造された、最上格の王宮寺院です。

「王宮博物館」は、フランスが保護領時代の1909年に、「シーサワンオン(Sisavang Vong)王」の住居として建設したものですが、王を地下牢に幽閉して衰弱死させたそうです。

「プーシー(Phousi)丘」(「仙人」の意)は高さが150mあり、町の眺望が見事です。

スーパーでは、野球俱楽部の皆さんへの土産にタイ製のビスケット、娘の家で飲むためのワイン、韓国製海苔を買いました。

今まで何処の国でも、使い残した現地通貨では足りない金額を、クレカで支払ってきましたが、ここではそれが出来ないので、不足額は米ドルで支払いました。



posted by yone at 06:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 海外旅行(ラオス) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする